岩手県立博物館

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庶民のくらし[民俗分野]
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オシラサマ


オシラサマ(貫頭衣) 陸前高田市

遠野物語・六十九話

昔ある処に貧しき娘あり。
妻はなくて美しき娘あり。
また一匹の馬を養ふ。
娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦に成れり。
ある夜父此事を知りて、其次の日娘に知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬の居らぬより父にたずねてこの事をしり、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きゐたしを、父は之を悪みて斧を以て馬の首を切り落せしに、忽ち娘はその首に乗りたるまま天に昇りて去れり。
オシラサマと云うはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像をつくる。

 東北地方に古くから伝わるオシラサマ信仰は、柳田國男(やなぎだくにお)の『遠野物語』(明治43年)のオシラサマ伝説によって広く世に知られるようになりました。
 古くから、東北地方は良馬の産地として知られ、曲り屋の中に馬屋があり、馬と家族同然の暮らしをしていました。そんな中より生まれた馬と娘との婚姻(こんいん)の話は突飛すぎる訳ではないのかもしれません。

 「庶民のくらし」のコーナーに展示されているガラスケース内には、包頭衣(ほうとうい=頭から布をすっぽりかぶっているもの)と貫頭衣(かんとうい=首を出しているもの)の2種類のオシラサマがあります。ここでは、馬と娘の首が見える貫頭衣の方を一覧表で紹介します。(上参照)

オシラサマの中には作られた時の年号が書かれているものがあります。その中で最古のものとして知られているのが、種市町で見つかった大永年間(1521-28)のもので、今から約470年前にはオシラサマが存在していたのですね。

 『遠野物語拾遺(しゅうい)』によりますと、オシラサマは蚕(かいこ)の神とか眼の神、子供の神、農耕の神といわれる他に、狩人の信仰する神でもありました。今日は、どの方面の山に行ったらよいか??そんな時、御神体を両手にはさみ鉤(かぎ)をまわすように回して、その馬面が向いた方向へ行ったという話があります。他に、火事や地震など不吉な事が起こる前兆(ぜんちょう)に向きを変えて知らせたという話も多くあります。
 「お知らせ様」…名前の由来(ゆらい)はここにあるのかもしれません。

 それにしても、その信仰の本質はなかなか明らかにならず、いまだ謎に包まれたオシラサマなのです。


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