岩手県立博物館

岩手山を望める丘のミュージアム

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展示室のご案内

2階

総合展示室

いわての夜明け[考古分野]

 岩手の人類の歩みは、数万年前にさかのぼることが確実で、1万2000年ほど前に縄文文化が確立します。岩手県の土偶出土数は日本一で、縄文時代の宝庫と呼べるほど膨大な遺跡が分布しています。とりわけ沿岸地方に散在する貝塚、北上山地の洞穴遺跡は、明治時代以降県内外の研究者によって調査され、日本考古学上、貴重な成果をあげてきました。精緻な土器や遮光器土偶に代表される亀ヶ岡文化においても重要な地域でした。
 つづく弥生時代、北上川中流域では稲作が開始されましたが、北上山地のなかでは、縄文文化の伝統を色濃く残し、稲作以外の生業によっていたところがあったこともみのがせません。日本最北の前方後円墳が築かれた後、7世紀以降は、各地で大きな集落がいとなまれ、政治的なリーダーが登場しました。彼らの中央との交流は、やがて8世紀後半の古代律令国家との対立を産みだしていきました。
 この展示室では、旧石器時代から平安時代初期にいたる岩手の歩みを時代別に四つのテーマにわけて紹介し、日本最大の土偶の頭部、縄文人の足跡、人骨、竪穴住居、復元された群集墳の埋葬施設などがあります。

展示品のご案内

盛岡市手代森遺跡出土土偶

縄文時代晩期・重要文化財

手代森遺跡出土土偶の目を中心とする表現は、エスキモーなど極北の人々が雪面の強い紫外線から目を護るために用いた遮光器を連想させます。こうした遮光器土偶は、縄文時代晩期、東北地方北部を中心にみられます。

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盛岡市萪内遺跡出土土偶

縄文時代後期・重要文化財

萪内遺跡出土土偶は、大型土偶の頭部にあたるもので、仮面をかぶった姿を表現したものとされています。頭部や顎には、鳥の羽やひげ様の繊維質のものを差し込むあながあけられ、儀式をとりしきる呪術者の姿を連想させます。

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花巻市熊堂古墳群出土和同開珎

奈良時代

近年、7世紀後半の富本銭が我が国最古の貨幣と判明しましたが、和同開珎は、それに次ぐもので、和銅元年(708)に鋳造が始まり、全国的に出土しています。岩手県内では、末期古墳などからの出土例が知られています。