ボランティアがつないだ縁で岩手へ。
公務員を辞めて新たな冒険に挑戦!

たのはた食堂
中机悦子さん
〈千葉県出身/2013年に移住〉

千葉県出身。東京消防庁に勤務していた時に、震災が発生。ボランティアで何度も岩手に通ううち、2013年から田野畑村の「いわて復興応援隊」に。
2015年に地元の男性と結婚し、定住。

岩手の復興の力になりたい!
バスツアーで芽生えた支援の想い

あの日、中机悦子さんは勤務先の東京消防庁・品川消防署にいました。震災で震度5弱以上を観測した東京でも大きな混乱や深刻な食糧不足が起き、急遽被災地に向かうことになった職員たちの宿泊環境を整えたり、情報収集に駆け回っていたと言います。「テレビで見た津波の映像がとてもショッキングで…これから日本はどうなるんだろうとすごく不安でした」と当時を振り返ります。
そんな中机さんが岩手に関わるようになったのは、2011年の6月から。岩手県内の旅行会社が企画した「復興ボランティアバスツアー」に、参加するようになったのがきっかけでした。ツアーには一人での参加者が多く、首都圏で働いている人たちがほとんど。毎月のように顔を合わせるうち、参加者たちと都内で交流を深めるようになり、被災地でも知り合いが増えていきました。
 「その当時は、月一回のツアーですらもどかしく、もっと岩手に深く関わりたいという思いが強くなっていました。少しでも役に立ちたいと考え、思い切って消防庁を辞めて“いわて復興応援隊”に応募したんです」。それまで中机さんは、陸前高田市や大槌町で活動することが多かったのですが、赴任先に選んだ場所はこれまで行ったことのない田野畑村。「なんとかなる!と前向きに考えていましたから、知らない場所でも不安はありませんでした」と、中机さんは笑います。

地元の男性と結婚して定住へ
田野畑村は、私の大切な“故郷”

 「地方公務員をやりたい人はたくさんいる。でも、田野畑村で応援隊として働きたいという人は、きっと私くらいしかいない(笑)。どうせならこれまでとは全く違う経験を積んでみたいと思ったんです」。
 2013年、田野畑村に移住した中机さんが所属したのは、NPO法人体験村・たのはたネットワーク。サッパ船アドベンチャーズを始め、様々な体験プログラムを企画・運営する団体です。ここで中机さんは参加者のアテンドを行ったり、観光客の誘致活動に携わっていましたが、2015年に漁師のご主人と結婚し、娘の真緒ちゃんを授かりました。
「田野畑に来た当初は、地元の人の言葉も聞き取れなくて苦労しましたが、なんとかなる!という持ち前の楽天家気質で、村の住人になりました」。結婚後は育児の傍ら、道の駅たのはたにある先輩移住者が営む食堂をお手伝いしながら、忙しい日々を送っています。
「公務員をしていた自分にしてみたら、田野畑村への移住自体かなりの冒険なんです。でも、地元の人はみんな優しくていい人ばかりですし、人と人との距離が近い。何より、子どもを安心して育てられる環境が一番の魅力ですね」。同じ村内や近隣の市町村には、ボランティアを一緒にやった仲間も移住しているため、「相談できる人が近くにいることも心強い」と話す中机さん。
田野畑村の豊かな自然の中で、一人娘の真緒ちゃんの成長を楽しみにしています。

Q and A

Q1岩手での暮らしについて色々教えて!

田野畑村は海と山に恵まれ、自然豊かなことが一番の魅力だと思います。でも、地元の人にとっては“当たり前”過ぎて、何が素晴らしく、どこに価値があるのか、わかっていない人が多いんです。そこがまた、地元の良さでもありますが(笑)、私たちのような外部の目線で村の魅力を拾い出すことも大事かもしれませんね。

Q2田舎暮らしは不便ではないですか?

そもそも便利なものを求めるのであれば、移住する必要もありません。田野畑村にはコンビニも居酒屋もありませんが、十分幸せに暮らせますし、最初からそういうものだと思っていたので特に不便は感じませんね。豊かな自然や新鮮な魚介類など、都会では出会えない環境がここにはあります。

Q3どんな時に「シアワセ」を感じますか?

娘とほっぺたをくっつけながら一緒に眠ることです!子育ての面では、とても良い環境が整っているので、何より安心です。ただ、子どもの数が減っているため、学校内で競争できなかったり、全てにおいて選択肢が少ないことが難点ですかね。でも、子どもたちが子どもらしく元気に成長できるのが一番です。

わたしの IWATE LIFE

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