住田町へUターン
わたしの IWATE LIFE

世田米地区 ローカルコーディネーター
植田敦代うえたあつよさん
〈花巻市出身 / 2012年に移住〉

動くことで、人も地域も変わっていく。
住田町から新しい繋がりの形を発信

テレビで見た大津波の映像が
東京での暮らしを180度変えた

 「東京時代は寝る間も惜しんで働く日々。大変だったけど、やりたい仕事をやらせてもらっていました」。
 高校までを花巻市(はなまきし)で過ごし、都内の大学へ進学した植田敦代さん。リクルートエージェント(現リクルートキャリア)では顧客の新規開拓を皮切りに、企業の部長クラスやトップとも接する法人営業を担当。仕事のスキルもキャリアも順調に積み重ねていました。
 しかし、あの東日本大震災が発生。「ニュースで三陸の津波を見て…。この仕事を続けていていいのか、岩手のために何かしたいと思い始めたんです」。

住田町出身のシェフが住田をはじめとする地域の食材を使った料理を提供するレストラン「kerasse」は早くも人気スポットに。

 そんな時、岩手県が「いわて復興応援隊」を募集していることを知り応募。2012年に着任したのは、三陸沿岸と内陸を結ぶ位置にある住田町(すみたちょう)。「となりのトトロの世界って思いました」と振り返って笑います。
 住田町観光協会に配属された植田さんは、積極的に地域の人たちと交流します。「地域行事に参加したり、誘われれば消防団の飲み会にも行く(笑)。自分からコミュニティに入っていくことで初めて信頼関係が生まれ、いろいろな話ができるようになるんです」。
 2014年には県内のUターン仲間と、若手の力で岩手を盛り上げるNPO法人wizを結成。さらに2015年には住田町のUターン・Iターン仲間5人で一般社団法人SUMICAを結成。住田を盛り上げる活動も始めました。

コミュニティカフェ「SUMIcafe」で、集落支援員の村上恵さんやスタッフの千田香さんと。

アイデアとつながりを大切に
住田の良さを内外に発信する

 住田町の中心地域の世田米(せたまい)は、かつて宿場町として栄えたところ。2015年、ここに残る豪商の町家を住民交流拠点とする町のプロジェクトが立ち上がり、植田さんたちのSUMICAが施設の指定管理者に決まります。
 改修工事を経て2016年6月に完成した「まちや世田米駅」には、コミュニティカフェやオープンテラス付きレストラン、広々とした中庭も登場。植田さんたちが「こういう場所にしたい」と役場や建築家と話し合いを重ね、ワクワクするような場所が完成しました。
 この「まちや世田米駅」を使い、積極的にイベントを企画している植田さん。震災をきっかけに出会った人たちとの「縁」をつなぎ、住田のにぎわいにもつなげていきたいと考えています。そして「住田町っていいねと思ってもらえるようにしたい」と未来を描きます。

実業家であった菅野家が住居兼店舗として使用していた町家を利用した「まちや世田米駅」。

 さらに今年結婚をしたことで、植田さんは自分と家族との未来にも思いをはせるようになりました。「理想は、子どもを生んだ女性でも自己実現できる社会。子どもがいてもできる仕事はあるし、できないことは家族や周りがサポートしてくれる。そんな働き方やライフスタイルを、住田の人たちと一緒に見つけていければと思っています」。
 震災を機に考えた幸せの価値観や本当の豊かさ。住田町で暮らす中で、答えを見つけた植田さんです。

Q&A

Q1住田の魅力は?

とにかく人柄がいい。私のような外の人間を受け入れてくれ、会社を作ることもできました。町の規模としても、新しいことにチャレンジするにはちょうどいいと思います。

Q2移住者を呼び込むコツは?

いきなり「移住してください」は重いじゃないですか。「いいところだな」と思えば人は住んでくれるだろうし、その暮らしを支える仕組みを作っておけばいいと思います。

Q3ストレス解消法は?

時々、仕事や暮らしとまったく関係のない仲間と飲みに行ったり話をすること。この場所を好きでい続けるためにも外で話を聞いたり新しい情報をインプットできれば、明日も頑張ろうって思えます。

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