平泉-HIRAIZUMI-は、2011年6月世界遺産に登録されました。

世界遺産平泉の文化遺産の総合案内 いわて平泉 世界遺産情報局

世界遺産平泉・東北復興対談 達増拓也岩手県知事×ドナルド・キーン氏(日本文学研究者)

復興の象徴・平泉

「立派な東北の姿確信」キーン氏 「共生の理念を復興に」達増知事

(右から)達増知事、ドナルド・キーン氏、千葉絢子アナウンサー

――平泉が大震災からの復興の象徴として、人々の心のよりどころになる役割は大きいということですね。知事はどう思いますか。

知事 かつて東北が戦乱で荒れ果てた後、平泉が復興の中心でした。藤原清衡公は、中尊寺建立に当たって「戦乱で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、浄土に導き、『みちのく』といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設したい」という趣旨の願文(中尊寺建立供養願文)を読み上げたと伝えられています。そこには、もう戦争はしないという不戦の誓いがまずあります。そして、敵も味方も関係なく、亡くなった人たちを等しく慰めようという「人と人との共生」や、自然の中で、人が生きていく浄土を実際の山や川の場所につくるという「人と自然との共生」の理念があるのです。
 それらが900年前の平泉には既に存在していました。「人と人、人と自然との共生」の理念は、今の時代にも非常に大事なことであり、復興の理念として大事にしていきたいと思います。

――キーンさんはこれから日本人として、大震災から日本が立ち上がる姿をご覧になると思いますが、どのような期待や希望を持っていますか。

キーン 私には特別な経験があります。1945年の冬、私が中国から飛行機で厚木に着き、東京の街へ向かった時のことです。常識的には、街の中心に近づくと家や建物が多くなりますが、実際はその逆で、中心に行くに従って家が少なくなっていきました。煙突と蔵だけが残り、人間が住んでいるようには見えませんでした。その時の東京を見た人は、東京が復興する可能性はないと思ったはずです。
 私はその光景を見ているので、東北も東京と同じように復興する日が必ず来ると確信しています。ある程度の期間は非常に苦しい生活を強いられると思いますが、以前よりも立派な東北になると思います。
 日本の長い歴史には似たような例があります。例えば応仁の乱。京都という日本の都、文化の中心地がほとんど全部焼けてしまったのです。常識的に考えればそのような町が再び都になることはあり得ません。しかし、わずか10年で東山文化が栄えるまでになり、茶の湯や能など、その文化は日本の最も大切な伝統として今に受け継がれています。同じようなことは東北でも十分にあり得ると信じています。

知事 被災地を何度も回っていますが、被災者の方から「ありがとうございます」とお礼を言われることが多くあります。とても大変な被害を受けているのですが、全国、世界中からの応援や支援に被災地の皆さんは感謝しています。こうしたきれいな心を持った人たちのためにも頑張らなければならないと思います。

キーン 米国でも日本に好感を持つ人が増えているそうです。それは何故かと言えば、災害の際に略奪がなく、皆が整然と並び、やるべきことをやった立派な国民だということを多くの人が知ったからです。他の国に義援金を送る場合、お金がどこに行くかよく分からない、軍が独占してしまうかもしれないといった危惧がありますが、日本に関してはそんな心配がありません。
 日本との関係がなくても、何かの方法で日本のために役立ちたい――そんな手紙を何通も受け取りました。どうすればお金を送れるかとか、演劇の収入を義援金にしたいとか。日本国民への外国人の評判は本当に高くなりました。

――よみがえった京都や東京のように、岩手も平泉の世界遺産登録を契機として、確かな形で復興していくとの見通しをいただいて心が軽くなりました。

知事 前よりも良くなるように復興していかなければなりませんが、それはできると思います。市町村ごとの復興計画もでき、新しい生活や仕事をどうしていくかだんだん決まってきています。また、復興は、開かれたものでなければなりません。全国や世界から応援をいただき、岩手県の底力を発揮し、そして全国や世界とのつながりをより強くしていくことで、前よりも素晴らしい岩手県をつくっていきたいと思います。平泉がその象徴になります。

キーン 私もそう思います。復興した姿を見るのを楽しみにしています。

出典:平成24年1月8日付岩手日報