第51回・企画展「昔の灯りと暖を取る道具
展示期間:平成24年1月9日 〜 平成24年3月28日

火の利用 
 
 現在では電気、ガス、石油がふんだんに使用でき、照明や暖房がスイッチ一つで点く、便利な暮らしが当たり前の時代に私たちは暮らしています。人類が火の利用を発見し、火を自由に作り出して利用できることになったのは最も偉大な発明でした。

 長い人類の歴史の中で、人々は食物を煮焼きし、体を暖め、夜の闇を明るく照らすために、全て火を直接利用してきました。更に、火を動力や製鉄に利用すること発明し、さらには発電に利用するなど、火によって人々の暮らしは大きな改善や進歩を遂げてきました。

 日本では、原始的なたき火(庭火)から、縄文時代(15000年前〜3000年前)の住居跡には囲炉裏
(いろり)の原型である炉がすでに見られており、生活の中で重要な役割を果たしていました。時代が大きく下がり、土間、居間、座敷などの居住空間が機能分化すると、火を使う場所として囲炉裏が登場しました。

 僅か百年ほど前までの農村の家々には囲炉裏があり、これ一つで暖を取り、炊事をし、土間での夜なべ仕事をするなど、炊事と暖房と照明の三つの機能が一体化した囲炉裏中心の暮らしがなされていました。

 
 

様々な時代の照明&暖房器具 
 
  この囲炉裏の火から、炊事、暖房、照明など、それぞれの機能が混然としながらも分離し、発達してきました。暖房は囲炉裏から火鉢、行火(あんか)、こたつ、ストーブに、炊事はかまどや七輪へ、照明は肥松(こえまつ)から魚油、草種油を用いた行灯(あんどん)、ろうそく、石油ランプなどに進化してきました。

 今回の企画展では、江戸時代(1603〜1868)から昭和前半(1950年代)まで使用されてきた、暖房に用いた器具、明かりを灯すために用いた道具を紹介します。

 
●昔の暖房具
◎火鉢
 
 火鉢が使われ出したのは、奈良時代(710〜794)の頃からで、はじめは木製で囲炉裏の燠(おき)を利用することから始まったと考えられています。古くは火桶とも呼ばれました。火鉢の利点は煙が出ないことであり、座敷や店先でも問題なく使えたことから、近世(安土桃山時代〜江戸時代)になって、木炭の流通増加とあいまって、薪(たきぎ)を燃料とすることが困難な都市部を主体に、広く庶民の間にも使われ出しました。

 材質は石製、木製、金属製、陶製など様々で、形や大きさも変化に富んでいます。名称には、丸火鉢、角火鉢、長火鉢、箱火鉢などがありました。このうち長火鉢は長方形の箱火鉢で、一般的には長さ1尺、幅1尺2寸、高さ1尺1寸に作られ、右側に3〜4段の引き出しが設けられているもので、近世の都市家庭の茶の間の必需品でした。

 火鉢を使うためには付随する道具が必要で、炭を入れておく炭入れや、火箸、五徳、十能なども使われました。

角火鉢

丸火鉢

長火鉢
◎行火(あんか)
 
 行火は、炭火を入れて手足を暖めるための暖房具で、室町時代(1336〜1573)から使われ出したとされています。「行」を「あん」と読む言葉はいくつかありますが、「行」とは持ち運んだり、どこかに行く、という意味で、持ち運べる可動式の炉として付けられた「行火炉(あんかろ)」の略称です。

 江戸時代のものは木製、明治・大正時代に使われた物は主に土製で、その中に土製の火入れを置き、薄い布団などを掛けて手足を暖めました。主に一人用で、布団の中に入れて寝るときの暖房に用いられたりもしました。

 形状の異なるものが複数あり、やぐらこたつ、ねこあんかなどとも呼ばれ、持ち運びのできる置炬燵(おきごたつ)が使われるようになってから、行火と炬燵(こたつ)の区別が混同されるようになりました。
 

行火(あんか)
◎炬燵(こたつ)
 
 炬燵は、大きくは掘炬燵(ほりごたつ)と置炬燵に分けられます。室町時代の頃から用いられ、はじめは囲炉裏の上に櫓(やぐら)を置き、紙子(かみこ:和紙を原料とした着物)などをかぶせて櫓に足を乗せて暖めていたようです。江戸時代には、床を掘り下げて炉を作り、床面に腰掛ける腰掛け炬燵(堀炬燵)が登場しました。

 このように、元々の炬燵は固定的なものでしたが、江戸時代にはさらに移動が可能な置炬燵が使われるようになりました。これは持ち運びできる土製の火鉢を櫓の中に置き、布団を掛けたもので、昭和に至るまで農村では使われていました。現在の電気炬燵の原型ともなっています。

 炬燵や行火などの暖房具は、いずれも少量の燃料で暖を取ることができ、江戸時代に徐々に普及していきましたが、庶民に十分に利用されるのは木炭の生産と流通がさらに増大した明治時代(1868〜1912)以降のことでした。

炬燵(こたつ)
◎ストーブ
 
 ストーブは現在では様々なエネルギー源を用い、生活に欠かせないものとなっています。
 日本で最初にストーブが作られたのは、江戸時代末期の北海道だとされています。明治初期には石炭ストーブが作られ、大正時代に入りストーブの一般住宅への普及が進みました。
 
闇夜を照らした灯火具
◎庭火・篝火(かがりび)・松明(たいまつ)・ひでばち
 
 古代の日本での灯りは、外では庭火や篝火(かがりび)、さらに携帯用として松明(たいまつ)が用いられました。

 庭火は、地面に直接薪を置いて燃やすもので、最も古い灯りです。篝火は、篝(かがり)と呼ばれる鉄製の籠(かご)を三叉(さんさ)に組んだ台架の上に置いて薪を燃やすもので、松などの燃えやすい木材を燃やすものですが、松明(たいまつ)と異なるのは携帯用でないということです。古代には室内でも用いられました。篝火は、現在でも神社の祭儀や鵜飼いなどで目にすることができます。

 松明は、江戸、明治の近代に至るまでの二千数百年間、唯一の携帯用灯火として用いられました。松明は、細く割った松や竹杉の皮を束ねたものですが、油分の多い松を用いることが多かったため、「松明」の文字が当てられたようです。「焚(た)き松(まつ)」の音便という説、手に持つあかりという意味の「手火松(てひまつ)」から派生したという説があります。

 室内では、囲炉裏の明かりや、松脂(まつやに)を多く含んだ松の根株を掘り出して細かく割った肥松(こえまつ。ひで・あぶらまつ)を燃やして明かりを得ていました。肥松は、ヒデバチという石の台や、鉄製の灯台(まつとうがい)の上に乗せて燃やしました。

灯台(マツトウガイ)
   
◎灯明皿(とうみょうざら)・秉燭(ひょうそく)
 
 松の根株など火をたく明かりに次いで、動物や植物の油脂を燃料として灯りにすることが行われました。特に魚の脂を用いることは、比較的早くから行われていたと考えられています。

 奈良時代になると、植物の油を用いた灯りが社寺などで使われだしました。はじめは椿(つばき)などの果実油が使われましたが、後に荏胡麻(えごま)などの草実油が用いられました。平安時代〜室町時代になると、植物油の使用が増加しましたが、まだまだ庶民が使える灯りではありませんでした。江戸時代に入ると菜種油(なたねあぶら)の製造も始まり、植物油の使用は一般庶民の間に大いに普及し、これに伴って様々な灯火道具が考案されました。

 はじめは油そのものに点火していましたが、その後灯芯(とうしん)をつけてそれに点火するようになり、灯明皿(とうみょうざら)のような簡単な道具を、燈台に乗せて裸火でともしました。

 秉燭(ひょうそく)は、油に灯芯を浸して灯をともす、高さは13cm以内の容器で、秉燭の意味は、手で持つ明かりということのようです。そのまま裸火で灯したり、行灯(あんどん)の明かりとして使いました。和ろうそくは高価で、日常は使えなかったのでこの秉燭がよく使われました。

吊し油皿

秉燭(ひょうそく)
 
◎行灯(あんどん)
 
 行灯は、油皿や秉燭の回りに框(わく)を作り、これに紙や布を貼って、風や消えたりすることのないように火袋(ひぶくろ)を付けた物です。

 行灯とは、字の意味するとおり携行用の灯火とういう意味で、当初は上部に取手があり、手に持って移動できるもの(手提げ行灯)でした。

 江戸時代には移動用の灯りとして蝋燭(ろうそく)が使われるようになり、行灯は次第に室内の照明器具(置行灯、掛行灯)として定着するとともに、看板や街燈にも用いられ、多種多様の形状のものが作られました。

 行灯(あんどん)は明治時代に石油ランプが伝来するまで、屋内の灯りとして広く用いられました。
(左)手提げ行灯、(右)置行灯
◎蝋燭(ろうそく)
 
 蝋燭は、仏教の伝来とともに日本にもたらされたらしく、飛鳥時代(592〜710)から奈良時代(710〜794)になると、ミツバチの巣から採った「蜜蝋燭」が中国から輸入されましたが、大変貴重な物で一部の神社などで使われるのみでした。

 その後、平安時代(794〜1185)になると、遣唐使が廃止され大陸との交通が絶えたため、輸入の蜜蝋に代わって国内産の蝋燭が作られました。これは主に松脂を採取して作った松脂蝋燭で、東北地方では明治時代の終わり頃まで使われていました。

 室町時代に入り、ようやくウルシやハゼの実から作った「和蝋燭(木蝋燭)」が誕生しましたが、高価なために江戸時代に入るまで一般庶民に普及するまでには至りませんでした。さらに明治時代に入って、石油パラフィンから作る洋蝋燭(ようろうそく)が用いられるようになりました。

 蝋燭の普及にあわせて、蝋燭を立てて灯す道具として様々な形態の燭台(しょくだい)や、生活に便利な道具が作られてきました。手燭(てしょく)は燭台に取っ手を付けて持ち運べるようにしたもので、これに風除けの火袋を付けたものは雪洞(ぼんぼり)手燭と呼ばれました。

 提灯(ちょうちん)は、携行用の灯りとして手提げ行灯に代わって、江戸時代から大いに使用されました。また、上下左右どの方向にも動かしても蝋燭が直立状態に維持されて火が消えない「がんどう」なども使用されました。

手燭


がんどう

◎石油ランプ
 
 石油ランプは、石油を金属製またはガラス製の油壺に入れ、口には口金をつけ、ねじで上下する灯芯を差し込み点火し、風で吹き消されるのを防ぐ「火屋(ほや)」(ガラス製の筒)を着せて燃えをよくしたものです。

 種類としては、吊り下げるものと据え置くものとがありました。火屋はすすで汚れるので、清掃は手の小さな子供の仕事でした。

 石油ランプが日本に入ったのは万延元年(1860年)とされ、その明るさが賞賛されて明治10年代には都市部の家々で点火され、明治30年以降からは地方の農村でも普及していきました。

 電力が普及するまで一般家庭の照明を蝋燭と二分していましたが、一般に蝋燭のほうが高価だったため、石油ランプは貧しい家庭の照明を担い、地方に電灯が灯される大正〜昭和初期まで家庭を照らし続けました。

 
(左)置ランプ
(右)吊りランプ

◎その他 〜 カンテラ
 
 カンテラの名称は、ポルトガル語の"andela"(燭台)やオランダ語の"kandelaar"に由来するもので、明治時代に携行用の石油灯火具として広まりました。

 ブリキ、トタン製の缶に芯を立て、これに裸火をともす形式や、これを四方ガラス張りの角型の枠あるいは前方にレンズをつけた筒型など、火屋に入れた形式のものがあり、後者はランプと似ています。カーバイドから発生するアセチレンガスを利用するものにもカンテラと呼ばれたものがあります。

 火屋付きの手提げカンテラは、乾電池式の懐中電灯が普及するまで、長く鉄道、船舶、炭坑などの労働現場で一般的に用いられました。
カンテラ
 
 
資料責任:農業科学博物館 資料調査員 小野田 和夫

参考・引用文献
 A: 「日本の生活環境文化大辞典」 日本民俗建築学会・/柏書房・刊
 B: 「民具入門 考古民俗叢書 5」 宮本 馨太郎・著/慶友社・刊
 C: 「日本の生活文化財」 祝宮 静・編/第一法規出版(株)・刊
 D: 「あかり」 一関市博物館
 E: 「日本の民具」 中村 たかを・著/弘文堂・刊
 F: 「日本民俗資料辞典」 文化庁文化財保護部・監修/第一法規出版(株)・刊
 G: 「日本燈火史」 内阪 素夫・著/東京電気(株)・刊

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