第44回・企画展「度量衡と交易」
〜 長さ・容積・重さをはかる 〜
展示期間:平成22年4月8日 〜 平成22年6月30日

はじめに 
 
 生産物の交換や販売をする場合、あるいは租税として取り扱いをする場合には、不正や不公平が生じないよう正確な基準が必要となります。

 そのため、「(ものさし)」、「(ます)」、「(はかり)」といった用具が考案されました。これらの用具は、時代によってその基準が改正されながら普及し、今日にいたっています。

 今回の企画展では、当博物館の収蔵品を主体に、「取引の基準や交易に使われた用具類」を展示・紹介します。

 

「はかる」ための用具のいろいろ

 
度量衡(どりょうこう)の始まりと歴史
 
 日本には中国・朝鮮半島から度量衡が伝わり、701年(大宝元年)に定められた「大宝律令(たいほうりつりょう)」が日本の度量衡制度の始まりと言われています。

 今では日常的に使われている「メートル」という単位が登場したのは、1789年のフランスです。産業革命により産業が飛躍的に発達したことを背景に、ちょうどフランス革命のあった1789年に「メートル」が生まれました。1885年(明治28年)には、日本も国際条約である「メートル条約」に加盟しました。

 さらに、1960(昭和35)年には、第10回国際度量衡法総会において、全世界で共通の新たな単位系として「国際単位系(SI)」が採択され、国際的に度量衡が統一されています。

 

「曲尺(かねじゃく)」
 このように、単位の約束ごとである度量衡は、世界的に統一されていく流れにあります。
 しかし、日本では、「」という長さの単位が建築や裁縫に根強く使われており、建築用には曲尺 、裁縫用には鯨尺(くじらじゃく)という古い道具が今でも使われ、日常生活に残されています。現在でも古い度量衡が残っているのは、それぞれの国や民族の生活・文化と切り離せない歴史があるためと考えられます。
   
日本が取り入れた度量衡
 
◎長さについて

 古代中国では、音階の基本音(黄鐘(おうしき))を出す音の笛を用い、その笛の中に粒の大きさが均一な「秬黍(くろきび)」の粒を90粒並べ、その1粒分の寸法を「(ぶ)」と呼びました。そして、10分を「1」、10寸を「1」、10尺を「1」、10丈を「1(いん)」と定めました。
 この時代の1尺は、23cm(曲尺で7寸5分9厘)でしたが、時代が移るとともに寸法が伸び、現在では約30.3cmと定められています。

◎容積について
 この笛の中に秬黍を1,200粒入れ、その体積と同じ水の量を「(やく)」と称し、その2倍を「1」、10合を「1」、10升を「1」、10斗を「1(こく)」として容積を量るマス(漢嘉量(かんかりょう))をつくっています。
 日本では、1合の1/10を「(しゃく)」、「斛」を「(こく)」として尺貫法に置き換えています。

◎重さについて
 秬黍1,200粒の重さを12(しゅ)と定め重さの基準((100粒=1銖(0.593g))とし、その2倍の24銖を「」(14.175g)、16両を「」(226.88g)、30斤を「(きん)」(6.81kg)、4鈞を「(せき)」(27.22kg)としました。

「漢嘉量(かんかりょう)」

いろいろな容積を量る「枡(ます)」

重さを量るための「棹秤(さおばかり)」
 
枡の歴史と用途
◎「枡」の単位が統一されるまで
 物差しの「長さ」と秤の分銅の「重さ」は、歴史の移り変わりの中にあっても大きく変化することなく、現代に伝えられています。
 しかし、枡については、朝廷が力を失い豪族や荘園の勢力が拡大した平安中期以降、政治の混乱に乗じて全国で様々なものが出現し、混乱を極めました。
 「公定枡」と言われる古代枡から「宣旨枡」(1072(延久4)年制定)を経て、「京枡」に至るまでの数百年に渡り「私枡」が勝手に作られた結果、古代には現在の4合1勺相当であった1升の容積が2倍半にまで拡大しています。

 近世に入り、1586(天正14)年に豊臣秀吉が「京枡(方4寸9分、深さ2寸7分)」を1升枡として制定し、全国に配布しました。
 しかし、東国では1590(天正18)年に徳川家康が関東に入部した際に作られた「江戸枡(方5寸、深さ2寸5分)」が、西国では京枡が用いられ、全国的に京枡に統一されたのは、実に80年以上経った1669(寛文9)年のことでした。
 
◎くらしの中の枡
 封建時代は、米が経済の基本であったため、俸禄は領地内の米の生産高で決まり、俸給は米で支払われました。したがって、枡で量った米の高(量)が、現代における賃金の額に相当しました。

 商業においても枡は重要であり、商人は常に枡を所持していました。枡は量り方によって誤差が大きくなることから、常に不正枡と枡使いの技術が話題となりました。

 また、枡は酒、醤油、酢、油などの商取引の際、その容量を量ることに用いられ、その単位は現在でも1合徳利、1升瓶、1斗樽など様々なものに使われています。
 

「五升枡」
江戸時代の貨幣制度
 
◎貨幣取引の要・「天秤」

 重さは、長さや容積のように直接目で見て判断出来ないため、交換取引の単位として用いるのが遅れました。

 文明が発達するにつれ、権力者を中心に貴金属や宝石などが重宝され、その取り引きが活発になりました。天秤は、最も正確に重さを量ることができる測定器として発明され、現在も様々な場面で使われています。

 日本では、江戸時代の両替商が使用したものが有名です。天秤には必ず基準になる分銅があり、その分銅と比較することで正確に重さを求めることができました。

 江戸時代の銀貨は、棒状の「丁銀」や粒状の「豆板銀」があり、その形や大きさは一定ではなく、通用金額も書かれていませんでした。取引・両替の際には、秤で量って金額を決める「秤量貨幣」であることから、その取り扱いには天秤が必要不可欠でした。
 

「計量器(科学天秤)」
 
◎貨幣の価格
 江戸幕府は1609年 (慶長14年)に、金1両の価格を「銀50匁(1貫=1,000匁)」あるいは「銭4貫文(4,000枚)」とする御定相場を制定しました。しかし、東西間の経済活動が活発になるにつれ実際の相場は大きく変動し、幕府の定めた相場は形骸化していきました。
 金貨は主に大名〜上級武士と裕福な商人、銀貨は下級武士と一般商人、銭貨は百姓や町人の間に流通しました。
 
◎江戸時代の「金持ち」とは

 井原西鶴が著した「日本永代蔵」に、「銀五百貫目よりして是を『分限』といえり、千貫のうへを『長者』とは云うなり」という一節があります。

 「〜永代蔵」が書かれた貞享5年(1688年)頃には、金1両の相場は銀50匁であったことから、分限は小判にして1万両、長者は2万両以上の蓄えがある者、ということになります。

 また、米の価格から現在の貨幣価値に換算すると、平年作の1石を金1両=銀50匁と仮定すれば、分限は現在の10億円、長者は20億円以上にあたると計算されます。

「金箱」(左)と「銭箱」(右)
 
資料責任:農業科学博物館 資料調査員 藤原 勝栄

参考・引用文献
 A: 「ものと人間の文化史22 ものさし」 小泉 袈裟勝・著/(財)法政大学出版部・刊
 B: 「ものと人間の文化史36 枡(ます)」 小泉 袈裟勝・著/(財)法政大学出版部・刊
 C: 「ものと人間の文化史48 秤(はかり)」 小泉 袈裟勝・著/(財)法政大学出版部・刊
 D: 「トコトンやさしい単位の本」 山川 正光・著/日刊工業新聞社・刊
 E: 「計測の文化史」 橋本 万平・著/朝日新聞社・刊
 F: 「南部枡所在確認調書」 吉田 和彦・澤藤 悦子・著/北上市博物館研究報告・第16号 別刷

「農業ふれあい公園」トップへ
第43回・企画展へ 第45回・企画展へ
トップページへ