産業・雇用対策特別委員会会議記録

産業・雇用対策特別委員会委員長 中平 均

1 日時
  平成21年8月5日(水曜日)
  午前10時3分開会、午前11時55分散会
2 場所
  第1委員会室
3 出席委員
  中平均委員長、小西和子副委員長、渡辺幸貫委員、伊藤勢至委員、佐々木博委員、
 五日市王委員、小野寺研一委員、平沼健委員、工藤勝子委員、吉田洋治委員、
 阿部富雄委員
4 欠席委員
  なし
5 事務局職員
  多賀担当書記、菅野担当書記
6 説明のため出席した者
  (講師)財団法人岩手経済研究所地域研究部主席研究員 谷藤邦基氏
7 一般傍聴者
  なし
8 会議に付した事件
 (1) 調査
   「岩手県経済の流れと現状」
 (2) その他
    次回の委員会運営について
9 議事の内容
○中平均委員長 ただいまから産業・雇用対策特別委員会を開会いたします。
 これより本日の会議を開きます。
 本日は、お手元に配付いたしております日程により会議を行います。
 これより、岩手県経済の流れと現状について調査を行います。本日は、講師として、財団法人岩手経済研究所地域研究部主席研究員、谷藤邦基様をお招きしておりますので、御紹介を申し上げます。
○谷藤邦基講師 岩手経済研究所の谷藤でございます。本日はよろしくお願いいたします。
○中平均委員長 谷藤様の御経歴につきましては、お手元に配付いたしておりますとおりでございます。
 本日は、「岩手県経済の流れと現状」と題しまして、谷藤様より御講演をいただくこととしておりますが、谷藤様には御多忙のところ御講演をお引き受けいただきまして、改めて感謝を申し上げます。
 これから御講演をいただくわけでありますが、後ほど谷藤様を交えての質疑、意見交換の時間を設けておりますので、皆様よろしくお願いいたします。
 なお、上着等はどうぞとっていただいて結構でございます。
 それでは、谷藤様、よろしくお願いいたします。
○谷藤邦基講師 改めまして、岩手経済研究所の谷藤です。よろしくお願いいたします。
 最初に、自己紹介の延長ではないのですが、お断りしておくべきことがございますというのも変ですが、しばしば講演に行きますと聞かれるので最初にお断りすることにしているのですが、盛岡市長とは何の関係もございません。家は近所なのですが、盛岡駅の近辺といいますか、北上川の西側といいますか、あの地区に結構、谷藤という名字がいっぱいあるところがございまして、そういう意味で家は近所なのですが、関係はございません。ということをあらかじめお断りいたしまして、本日の話をさせていただこうと思っております。
 岩手県経済の流れと現状という、わかったような、わからないようなタイトルをつけたのですが、実は最初は縦と横から見る岩手県経済にしようかなと思いました。けれども、そうしますとそっちのほうがもっとわからないかなと思いまして、一応そういうタイトルにしております。考え方としては、岩手県の経済、足元のことだけ見ていてもなかなかよくわからない。ましてや将来のことはなかなか見通しがつかないということがございまして、そういう意味できょうは1時間ちょっとということでございますけれども、短い時間の中ですので、時間軸に沿った流れと、それから現状、世界経済の中でどんな感じになっているのかという、その二つの観点からお話しさせていただこうかなというふうに考えています。それが流れと現状ということでありまして、それが最初申し上げた縦と横、縦とはすなわち時間軸に沿った流れですね。それから、横というのは現状というようなイメージです。
 ということで、お手元の資料、A3の裏表印刷したものと、それから資料1、資料2と書いたものがあるかと思いますが、主にA3の資料に沿ってお話しさせていただきます。表側のほうがある意味、縦の話です。流れの話。裏のほうが世界経済、というと少し大げさなのですが、岩手県の経済にかかわる範囲でどういうことを見ておけばいいのかなというのを私なりにまとめたものであります。
 ということで、A3のレジュメ、表に戻っていただきまして、最初に岩手県の経済、ここに至るまでどんな流れだったのかというのをざっとかいつまんでお話しさせていただこうと思います。この辺は、私より詳しい方もいらっしゃるのではないかなと思うのですが、一応便宜上、私のほうから御説明させていただくというふうに御理解いただきたいと思います。
 現状、岩手県の経済というのはかなり、県南、内陸部、あるいは別な言い方をすれば北上川流域地区が経済の中心になっておりまして、沿岸、県北はいささか芳しくないという状況でありますが、では昔からそうだったのかというと、そうでもないわけであります。1の岩手県経済小史(戦後の岩手県経済)ということで題を振ってありますが、大体大ざっぱな話ですが、昭和40年代ぐらいまでは、むしろ岩手県の沿岸地区、あるいは若干県北まで含めて考えた場合でもいいと思うのですが、こちらのほうが岩手県の経済の主力地域だったわけです。言うまでもなく漁業が盛んでございました。これは、三陸沖という非常に世界的にもすぐれた漁場を抱えているということがあったわけですが、そればかりではなく、製造業においても岩手県の主力地域は沿岸であったわけです。
 そこに幾つか代表的な企業名が書いてありますが、例えば久慈には川崎製鉄がいたわけです。これは、現在、日本鋼管と一緒になっているJFEホールディングスという会社になっていますが、もともとは日本を代表する鉄鋼メーカーの一つである川崎製鉄、これが久慈にいたわけです。ちなみに、久慈市役所の近辺が川崎町という地名になっていますが、あれは川崎製鉄があそこにいたからなわけです。
 それから、宮古にはラサ工業がいました。ラサ工業といっても、今の若い人たちは全然ぴんとこないようなのですが、でもかつては肥料製造とか銅精錬では日本を代表する会社だったわけです。今は宮古のラサ工業の跡地には煙突しか残っていないわけですが、そこに生協のDORAがあるというような状況になっていますけれども、いずれそういう日本を代表する製造業の工場が宮古にもあった。
 それから、釜石には、言うまでもなく新日鉄、かつての富士製鉄がいたわけです。いたと過去形ではないですね。今も立地はしておりますが、昔に比べると大分規模は変わってきた、小さくなってしまったということです。
 それから、大船渡には小野田セメント、現在は太平洋セメントになっていますが、そういう大きなセメント会社がいた。
 つまり日本を代表するような大手の企業が沿岸地域には結構立地しておったわけです。ないしは今も立地はしているのですが、今に比べても大きな規模でやっていた。結果として、その下に製造品出荷額、これは昔風の言い方をすれば工業出荷額です。大まかな推移が書いてありますが、例えば昭和40年の時点で区切ってみると、北上川流域、これは現在の広域振興圏でいうと県央と県南というふうにイメージしていただいていいと思うのですが、昭和40年当時はこちらの570億円、それに対して沿岸と県北を合わせると698億円で、沿岸、県北のほうが出荷額が多かったわけです。この時点では45対55で沿岸、県北のほうが多かった。それがだんだんと北上川流域のほうに工場の立地が進んでまいりまして、例えば昭和56年時点では大ざっぱに6対4で、もう既にこの時点では北上川流域のほうが多いのですが、細かい数字はここには出していませんけれども、大体昭和45年あたりが両者均衡していた時期です。昭和45年というと何があったかなと。東京あたりで昭和45年というと、ああ、大阪万博でしょうと言われるのですが、岩手県は言うまでもなく岩手国体があった年です。岩手国体があった年ということは、ある意味、別な面から見ると岩手県にとっても一つのエポックだったわけです。要するに地域内の交通網が非常に整備された。国体を契機に道路が相当整備されたということがあります。結果として工場の立地が沿岸でなくてもそんなに輸送上支障がなくなってきたということが多分この背景にはあるのだろうと思っています。そういうことで、昭和45年あたりを境にして、内陸のほうに工場の立地が進んできて、昭和56年時点では大体6対4になっているという状況です。
 なぜ昭和56年をあえてここに出したかというのは、次の話につなげるためなのですが、いずれさらにどんどん北上川流域に立地が進んできて、平成19年時点では8対2になっているということです。6対4から8対2というと大して違わないようにも思われるかもしれませんが、そこの生の数字を見ていただくとわかるとおり、沿岸、県北の立場から見ると、北上川流域に対して1.5倍の差をつけられたのが昭和56年です。それが平成19年になると4倍の差になっているということなのです。ですから、比較の対象になっているほうから見ると、これはえらい差がつけられてしまったという状況になっているわけです。
 では、何でそういうことになったのでしょうかと。その理由はいろいろあるかと思うのですが、一つ絶対欠かせないポイントが高速交通網の整備ということであります。それが(2)の昭和50年代以降のところに書いてあることです。昭和50年代というのは、いろんな切り方は可能だと思うのですが、私たちがよく言うのは昭和50年代は岩手県が高速交通時代に突入していった時期、高速交通網が到来した時期が昭和50年代だというふうに認識しております。高速交通、三種の神器とよく言われるのですが、それは新幹線、高速道、空港、この三つを高速交通の三種の神器とよく言うわけですけれども、これらがまさに重層的に整備されてきたのが昭和50年代だったわけです。
 東北縦貫道、最初に盛岡〜一関間が開通したのがたしか昭和52年のことであります。その時点では、まだ宮城県のほうとは必ずしもちゃんとつながっていなかったのですが、いずれ盛岡〜一関間、昭和52年に開業したのを手始めとして、その後順次つながっていった。大体、昭和50年代を通じてつながっていったということです。
 それから、新幹線は昭和57年の6月に大宮始発の暫定開業でしたが、いずれ昭和57年に走り始める。
 それから、花巻空港も、空港自体は前からあったのですが、昭和58年の3月にようやくジェット機が飛ぶようになった。花巻空港だけジェット化とつけているのはそういう意味でございます。それまでYS11というプロペラ機が飛んでいたわけですが、昭和58年の3月からジェット機も飛ぶようになった。
 ということで、昭和50年代を通じて岩手県が高速交通の時代に突入していく、その幕あけの時期だったわけです。ただ、岩手県がと申し上げていましたが、実は正確に言うと岩手県全域ではなかったわけです。その恩恵を受けていた地域というのが言うまでもなく北上川流域地区にとどまっていたということでもある。結果として、高速交通網の恩恵という形で北上川流域に製造業の集積が相当に進んだというふうに考えられるところであります。
 それを裏づけるものとして、そこに誘致企業の立地状況について簡単に書いてありますけれども、これは県のデータによるのですが、昭和30年から平成18年まで、これは52年間の期間があるわけですが、この間のトータルの立地件数というのは710件です。710社。そのうちの77%が北上川流域地区に立地しているのですが、そのうち特に3割が岩手中部(花巻、北上)なのですけれども、実は年代的に見ますとポツの五つ目のところですが、今申し上げた52年間で立地した710社というのは、昭和57年から平成3年までの10年間にそのうち4割以上の企業が立地している。50年以上かけて立地した企業の4割以上がたった10年間に集中的に立地している。昭和57年からというのを起点にしたのは、先ほど申し上げた新幹線が開業したところを起点にして考えているわけです。先ほど(1)のところで申し上げた昭和56年というのは、開業前の状況です。そこからこれだけ差がついたという意味で、昭和56年をそこに数字として上げておいたわけです。そこに書いてあるとおりですが、昭和57年から平成3年までの10年間で43%、307社が集中的に立地していたということです。
 実は、こういう話をすると、よく新幹線は物を運ぶわけではないから、工場の立地には余り関係がないのではないかという疑問を出されます。私もそういうふうに思っていた時期が実はあるのですが、まさにその時期にそういうことを考えていたのですが、実はそうでもないというのが私の個人的な体験の中でいろいろわかってきたところであります。先ほどお手元に私の経歴が配られているということだったのですが、実は私もともとは銀行員でありまして、昭和60年から5年間、岩手銀行の東京支店に勤務しておりました。そこでどういう巡り合わせか誘致企業の担当を4年間やっておりまして、これから岩手県に工場を出そうという会社の担当者とよく話をする機会があったのです。そのころから今申し上げたようなこと、要するに新幹線は物を運ぶわけではないから余り関係ないでしょうと、高速道路は当然トラック輸送がありますから関係あるにしても、新幹線は余り関係ないのではないかなというイメージあったのですが、ただ一連の担当者との会話を通じてわかったことは、少なくとも東京で岩手県に工場を出そうと考えている人たちの脳裏にあったのは、新幹線があるから安心だということでした。どういうことかというと、東京に本社機能を残したまま工場だけ岩手県に持ってくるわけです。そうすると、東京で図面を書いてそれを送ってやって、そのとおりやれよと。そのとおり機械が動いていれば別段問題ないのですが、何かトラブルが起こるかもしれない。何かの拍子に機械が動かなくなったとか、あるいは設計図面どおりのものができないとか、何かそういうトラブルが起こるかもしれない。そういったときに、東京から技術者が現場の工場に駆けつけて、現場で対応しなければならない場合があるだろう。「かもしれない」とか「だろう」の話なのですが、当然出す前の話ですからそういうレベルの話になるのです。そのときに、東京から技術者が駆けつけなければならないという場面を想定した場合に、新幹線があるとすぐ行ける。その安心感が非常に大きいというわけです。では、飛行機で飛んでいけるところも3時間以内なら結構ありますよねと言うと、そのとおりなのだけれども、飛行機というのはそういった点では安心感がないと言うのです。まず飛行機は天気が悪いと飛ばない、満席なら乗れない。しかも、乗るためには搭乗手続のために出発前1時間とか30分前に行かなければならない。その点、新幹線だと、まずめったにとまることはないし、とにかく駅に向かって走っていって、飛び乗ってしまえば何とかなると、そういう安心感があるというわけです。ということで、少なくとも私らが考える以上に新幹線の効果というのは大きかったようです。
 本当は時間があれなので余談をする余裕はないのですが、ただ余談として申し上げたいことが一つあって、今まさにそれで新幹線が引き続き各地につくられているわけです。これからできるところの人たちは、私どものところに昔の成功事例という認識が彼らにあるものですから、話を聞きに来る。新幹線ができたことで大分企業集積が進んだろうと、その秘訣を教えてくれみたいなことで来るのです。来るのは結構なのですけれども、ただ残念ながら、今からだと多分同じような効果は出ませんよというのはいつも申し上げています。というのは、結局今からもう二十何年、25年以上前の話ですから、その当時ですと通信上の問題があって、要するに技術者が現場に行かないと話にならないという状況があったわけです。ところが、今は例えばデジカメで機械がこういう状態で動かないというのは映像を撮って送ることができるわけです。今だと動画で送ることもできるわけです。動画で、現場の工場でこういう状況ですよというのを写真に撮って、こう動いてきてここでとまってしまうのですよというようなことを例えばビデオに撮って、それを直ちに電子メールで送ることができる。今そういう世の中になっているわけですね。であるとすれば、技術者がそこまで行かなくても解決できるケースというのはかなりふえているだろうと。だとすると、昔のように新幹線があることで安心感があるというようなことには多分ならないですよということはいつも申し上げています。だから、これから青森にも延伸するわけですけれども、同じことがある。ですから、私が青森の人たちに言っているのですが、これから延ばしても同じ効果は期待できない。そういうことは申し上げているところです。ちょっとこれは余談でございます。
 話を戻しまして、そういうことで新幹線を含めた高速交通網のメリットを享受した地域としての北上川流域に相当数の企業が集積したという現状がまず一つあります。
 もう一つ、余りここは語られないのですが、注意しておかなければならないのは、実は今申し上げた昭和57年から平成3年、4割と言いましたけれども、そのうちのさらに半分、ですから全体の2割、52年間の2割分というのはたった3年間で立地しています。それがいつからいつかというと昭和63年から平成2年、この3年間に150社の立地があった。50年間で立地した企業のすべての企業のうちの2割がたった3年間で立地しているということです。これはなぜかというと、実はこれは円高不況のおかげです。不況のおかげという言い方も変に聞こえるかもしれませんが、そのことは後でまた詳しく御説明いたします。いずれにしても円高不況のおかげで、さらに岩手県の工業立地が進んだということです。
 以上の結果として、冒頭もちょっと申し上げましたけれども、経済、特に製造業の主力地域が沿岸から内陸のほうに移行してきたと、沿岸、県北から北上川流域のほうに移行してきたという状況があります。これは、実は日本経済全体の動きとも微妙にリンクしておりまして、日本経済全体でも製造業の中で覇権の移行というのは少し大げさですけれども、主力の移行はあったわけです。昔の日本経済、戦後間もなくの高度成長期の日本経済を支えてきたのは、鉄鋼とか造船、重機といった、いわゆる重厚長大産業です。それがだんだんと家電製品などを中心とする、いわゆる軽薄短小型の製造業のほうに主力が移ってきた。岩手県の場合もそれと同じことが起こった。ただ、岩手県の場合は単純に製造業の主力が変わったというだけではなくて、それが地域の移行も伴っていたということです。沿岸に立地していた企業、先ほど四つ挙げてありましたが、これらは皆いわゆる重厚長大産業です。素材型の重厚長大産業。それが、岩手県の内陸に立地しているところというのは、例えば半導体であるとか、もろもろの電子部品関係、最近は自動車もありますけれども、どちらかというと軽薄短小型に移ってきた。結局、日本経済全体の中でも重厚長大型から軽薄短小型への移行というのはあったわけですが、それと同じ動きが岩手県内でも起きて、それが岩手県の場合には同時に沿岸、県北から北上川流域への地域の移行も伴っていたということです。それが大体、昭和50年代までの状況でございます。
 先ほどちょっと申し上げた円高不況が岩手県の工業化を促進したという話、それが(3)のところであります。プラザ合意から円高不況期ということでございますが、プラザ合意って何だっけというような、かなり昔の話なのですけれども、これは昭和60年の9月の出来事であります。1985年9月ですので、もうかれこれ24年前ですか、ちょうど私も岩手銀行の東京支店におりまして、何かテレビで騒いでいるなというぐらいの印象しか実はその当時の記憶は残っていないのですが、昭和60年9月、忘れもしません、日本時間でいいますと昭和60年9月23日です。アメリカ現地時間は9月22日だったのですが、ニューヨークのプラザホテルというところに、当時のG5の蔵相、中央銀行総裁が集まって、ある合意をしたという出来事であります。たまたま合意をしたのがプラザホテルというところだったので、プラザ合意と言われています。プラザホテルというのは、ニューヨークでも最高級のホテルなのだそうです。私はアメリカにも行ったことがないのでよくわからないのですが、日本でいうと帝国ホテルとかホテルニューオータニとか、あの辺を全部足してなおかつ追いつかないぐらいの最高級ホテルらしいです。ここに当時のG5の蔵相とか中央銀行総裁、日本でいうと当時の大蔵大臣とか日銀総裁が集まったわけですけれども、それが極秘のうちに集まっていたのです。極秘のうちに集まって、極秘に合意をして、ただ当然、記者発表をしたわけで、それが唐突だったものですから、非常にインパクトがあった、そういうものであります。
 具体的に言うと、当時ドルが実力以上に高かった。そのドルが高いがゆえにアメリカは非常に困っていた。そのドル高を何とかしようというのがプラザ合意です。ですから、ドル高を是正する。ドルが高いということは、裏を返すと円が安いということでありまして、円安だったものを円高にしましょうという、そういう合意です。ただ、G5での合意ですので、日本だけではなくて、例えばイギリスの関係ではドル安ポンド高に移行する。あるいは当時はまだドイツが統合する前で西ドイツでしたけれども、通貨もマルクだったわけですが、西ドイツの関係ではドル安マルク高に誘導する。日本との関係ではドル安円高に誘導すると、各国それぞれの合意をしたわけです。当然、政府当局が日銀を含めて合意したわけですので、円高誘導の施策をいろいろ取り始めた。結果として、当時このプラザ合意のころは1ドルが240円ぐらいでした。それが3年ぐらいかけてですけれども、1ドル120円までいった。今の感覚でいいますと120円だって結構円安なのですが、この当時としては出発点が240円ですから、円の価値が2倍になったといいますか、ドルが半分になったというか、それだけの物すごい変化だったわけです。結果として、日本の輸出産業は物すごい打撃を受けたわけです。具体的に言えば、例えば1台240万円の車を売るというときに、240万円ですから1ドル240円なら1万ドルなわけです。これが為替が120円になったので、では2万ドルで売りましょうといっても、アメリカは2万ドルでは買ってくれない。この辺がアメリカ側の基軸通貨であるドルを持っていることの強みであります。基準はドルなのです。今その地位がちょっと揺らいでいますけれども、当時はドルは盤石でしたので、あくまでもドルが基準です。だから、1万ドルのものは1万ドルなのです。ですから、240万円でつくって1万ドルで売っていたのですが、それが今度同じものをつくって同じように輸出しても1万ドルでしか売れないとなると、為替が120円になると120万円しか手に入らない。極端な話、売り上げが半分になってしまう。もちろんそこまで極端ではないにしても、いずれ傾向としてはそういうことが起きてしまった。
 さて、どうしましょうか。いずれにしても、これでとりあえず起こったのが円高不況という状況です。それが大体、昭和61年の後半ぐらいから62年ぐらいにかけてですかね。このときにどういう動きが起こったかというと、力のある企業はアメリカで現地生産をするという方向で動きました。要するに、日本でつくって、つまり円建てでつくって、輸出してドルをもらうから為替の問題が起きる。最初からアメリカに行ってドルでつくってドルで売れば全然そういう問題は起こらない。だから、アメリカでやろうというので、力のある企業はアメリカに現地法人をつくったりなんかしてアメリカに出ていったのです。そこまで力のない企業は、コストを何とか下げなければならないというので、人件費が安かろうというので東南アジアに行きました。タイ、マレーシア、フィリピンのあたりですね。ただ、東南アジアというのは、アメリカに行くより難しいところがあって、一つは言葉の問題です。英語で通じればいいのですが、そうもなかなかいかない。フィリピンだと例えばタガログ語というのが使われているらしいのですが、どんな言葉かよくわからない。さらに言えば、風習の問題があります。現地の風習に合わせて人を使わないとなかなかうまくいかないということがあって、特に食品関係の企業はこれで大分手こずったようです。現地の風習とかがよくわからないという問題があるので、余り力のない企業は何とか日本国内で安く操業できるところに行こうというところで、例えば岩手県などが候補に挙がったわけです。結果として、先ほど申しました昭和63年から平成2年、円高不況の影響を受けて工場がどこかに移転しなければということの準備期間を経て、昭和63年から平成2年にかけて岩手県にどんどん企業が来たという時期があったのです。岩手県なら日本国内ですから、風習の違いとかあったって大したことはない。日本語だってちゃんと通じると、なまっているかもしれないけれども、ちゃんと日本語で通じるのだというところが結構大きかったのではないかなと私は思っております。
 いずれ現実の問題として、先ほど申し上げたとおり、50年間かけて立地した企業のうちの2割がたった3年間で集中的に立地したと。逆に言うと、それだけプラザ合意そのもの、円高不況というのはそれだけのインパクトがあったということなのです。
 そこの最後のポツに書いてありますが、岩手県の北上川流域地区には工場の国内地方展開の受け皿になったということでもって一層の集積が実現したということです。つまりこのころから既に日本経済というよりも、世界経済の枠組みの中で岩手県の経済は動き始めていたということです。
 県庁の悪口を言うわけではないのですが、県庁の人たちは自分たちが一生懸命誘致に努力したからあんな実績が上がったと言うわけです。それも決して間違いではないです。当然、岩手県だけではなくて各県とも企業誘致の働きかけはしているわけなので、その中でさらに岩手県を選んでもらうという過程は必要ですから、そういう意味では県庁含めた地方公共団体の努力というのはあったわけですけれども、ただそれだけではなくて、その背景にはこういう追い風も吹いていたのだということをちゃんと認識しておかなければいけないところです。
 実は、このプラザ合意の影響というのは、製造業の立地、集積促進という以外にもう一つ別な形で岩手県の経済に影響を及ぼした。岩手県の経済という以上に日本経済への影響なのですが、それが隣のところにいきます。バブル経済期から崩壊期と書いてあります。(4)です。実は、バブルがなぜ起こったかということについても、諸説実はあるわけですけれども、でも多分一番大きな流れとしてバブルに影響があったのはプラザ合意後の円高不況なのです。このプラザ合意以降の円高不況というのは、非常に大変な不況と当時認識されていたものですから、政策当局も一生懸命それを何とかてこ入れする、挽回するための策を打った。ただ、ある意味やり過ぎてしまった。物すごい金融緩和あるいは財政出動をやったわけですが、結果としてそこの1行目に書いていますが、過剰流動性が発生したというふうに言われております。過剰流動性って何だということになるのですが、要は金が余ってしまったということです。世の中にお金があふれ出てしまって、必要以上に金が余ってしまったと。ただ、金余りといいますと学問にならないものですから、学者は過剰流動性と言うのです。同じことです。私らはふだん、金余りと言うのですけれども、金余りってちょっと品がないものですから、改まったときには過剰流動性と申し上げたりしますけれども、最近ある新聞を見ていましたら、「過剰流動性(金余り)」と書いてありましたので、やはり両方書かないとわからないのかなというところがあります。要はですからいずれ不景気になったものですから、そのために金融緩和したり財政出動したり、当然世の中に出回るお金はふえるわけです。ふえるのですが、必要以上にふえてしまったところが問題だったわけです。その余った金がどこに流れたかというところが問題でありまして、結局このとき余ったお金、過剰流動性が株と土地に向かったわけです。結果として、株価と地価が物すごく値上がりした。これがいわゆるバブルであったというふうに認識されているわけです。多分これが今のところ通説だと思います。それで私も間違いないと思っています。
 問題は、バブルが発生したこと以上に、そのバブルがはじけたことなのです。一たんバブルが発生してしまいますとはじけるまでとまらないとよく言われるのですが、このときも実はそうだったわけでして、平成2年から4年にかけてバブル経済がピークを迎えて、それが崩壊に向かうと。なぜ平成2年から4年にかけてと書いてあるかといいますと、いつピークだったかというのは実はよくわからないのです。例えば株に限って言えば、ピークは平成2年度と言ってほぼ間違いないです。ちなみに、代表的な株価であります日経平均株価、これが歴史的なピークをつけたのは平成元年の最後の営業日です。1989年12月29日です。この日にいわゆる大納会だったわけですが、要するにその年の最後の取引日だったのですが、この日に3万8,915円という価格をつけております。今、日経平均戻って1万400円ぐらいですか、500円ぐらいですか、それぐらいになっていますけれども、それで戻ってきたとかと喜んでいるわけですが、別に日経平均株価の基準は何も変わっていないです。今、1万ちょっとで回復したと言っているわけですが、この当時は3万8,915円です。平成2年になったら多分4万円突破するだろうなんて言っていたわけですね。ですから、そういうことから考えても、この時期の株価は異常であったわけです。実際には平成2年になってしばらくしてから本格的な株価の下落が始まりました。
 ところが、よくわからないのは地価のほうなのです。株価がピークアウトしたというのは大体だれが見てもわかるのですが、地価のほうはいろんな地価があって、それをトータルで見ることというのは特にない。大ざっぱに言われているのは、実は株価がピークをつけたので、もう株は値上がりしないだろうといって、株を売って、そのお金で土地を買った人たちが結構いたので、土地のほうは平成4年ぐらいまでまだ上昇を続けたと言われています。大体崩れ始めるのが平成4年から5年ぐらいと言われている。というところで、実は株価はともかく地価のほうがよくわからないので、平成2年から4年にかけてバブルのピークというふうに書いてあるのですが、いずれだれの目にもその崩壊が明らかになってくるのが平成5年あたりからです。
 円高不況以上にバブル経済の崩壊後の不況というのは厳しかったと言われておるわけですが、ただ冷静に考えてみると、例えば株を持っている人たちもどっちかというと都会にいっぱいいるわけですし、地価が崩れたといっても、それはほぼ都市部、都会の話です。首都圏、近畿圏、せいぜい名古屋近辺まで。名古屋はさほどバブルにも乗らなかったと言われているのですが。あとは、当時よく言われた札仙広福、札幌、仙台、広島、福岡といった3大都市圏に次ぐ都市圏、そこら辺までの話でして、ですから都市部で発生した不況であったわけで、地方はさほど影響はなかったとも言えるのです。ところが、問題は不況が非常に深刻だということで、また改めて政府は景気対策を打つわけですけれども、不況は都市部で発生したのですが、対策は地方でやったという格好になっているのです。伝統的な公共事業を中心とする景気対策というのは、どうしても地方のほうに重点的に来る。結局何か道路をつくるとか何かしようと思っても、土地の手当てから始めなければならないとなると、都市部では地価が高いから効率が悪いのです。土地を買ったって、それは景気対策になりませんので、何か実際物をつくることによって資材が動くことで初めて効果が出る。土地を買うだけなら何の効果もありません。そういうこともあって、やはり地価が安い地方で景気対策をするほうが効率もいいわけです。そういうことで、総体的に地方のほうにいっぱい景気対策としての公共事業が来たわけです。
 何回も言いますけれども、都市部で発生した不況であるにもかかわらず、対策は地方に来た。地方のほうは、打撃はさほど受けていないけれども、対策だけはちゃんと打ってもらった。そういうことで、バブルが崩壊した後の地方経済、岩手県に限らないですが、地方経済一般はそんなに悪くなかったのです。それがポツの五つ目あたりに書いてあることです。その受け皿となった建設業にとっては当然恩恵があったわけです。
 ここまでの話をまとめますと、バブルがはじけて日本経済は大変だという話にはなっていたのですが、岩手県の経済は実はさほど悪くもなかった。その一つの要因は、バブルがはじけたというのは主に都市部の話であって、その影響がほとんどなかった岩手県にとってみれば、打撃はほとんどなかったかわりに対策だけはちゃんと来たので、その分潤ったのです。もう一つ、円高不況のおかげで岩手県には製造業が集中的に立地したわけですけれども、これらの企業群は設備が新しいものですから、例えば不況で仕事が減ったと。もう東京の工場はとてもやっていられないとなったとき、東京の工場を閉鎖して、東京でやっていた仕事を例えば岩手県に持ってくる。設備が新しくて効率がいいほうに仕事を集約するというのは当然のことでありまして、そういった動きもあったわけです。だから、製造業もそれなりに好調であった。企業立地のピークは過ぎましたけれども、仕事はまだまだふえていったという流れです。
 ちなみに、最後のポツの下の矢印のところに書いてありますけれども、日本全体で製造品出荷額、いわゆる工業出荷額は、ピークは平成6年です。実はこの後、平成7年には、戦後一番の円高の局面が来ます。平成7年は戦後一番の1ドル79円75銭という局面があるのですが、そこまでいくともう東京あたりでは普通の工場なんてやっていられないので、東京のほうでは閉めてしまうという動きが本当に本格化したのですが、そのときにただ仕事はあるわけです。東京でやれるような仕事ではないというだけの話で、仕事はあったわけです。その仕事が岩手県を初めとする新しい工場のほうに移っていった。結果として岩手県の製造品出荷額は、平成9年まで増加を続けます。日本全体では平成6年で増加がとまるのですが、岩手県のほうは平成9年まで増加を続けていきます。こういうこともあって、平成の1けたの間は岩手県の経済はそんなに悪くなかったのです。もちろんいいとは言いませんけれども、世間で騒いでいるほど悪くはなかったというのが実態であります。
 その様子がちょっと変わってくるのが、世紀の終わりから変わり目のあたり、要するに2000年前後からです。本当にそのあたりからです。実は、岩手県の製造業の出荷額がふえていった背景の一つには、アメリカ発のITバブルというものがあったのです。これからはITの世の中だということで、コンピューターとか通信関係のハードの部分がそれなりに好調だったわけです。岩手県の企業立地の中身を見ますと、実は電気機械のウエートが非常に大きかったのです。大体、件数だけで見ても4分の1は電気機械だった。(5)のIT不況の二つ目のポツのところに内訳が書いてありますけれども、電気機械が多いものですから、ITバブルの恩恵というのはフルに享受できる状況があったわけです。それから、誘致企業の県内シェアも、件数とか事業所はそこそこ、事業所の数では16%ぐらいですが、従業員で大ざっぱに半分、出荷額では6割を超えようかというところまでいっているわけです。ですから、このように誘致企業が調子がいいときというのは、岩手県の製造業も好調なわけです。
 ところが、ITバブルというのもバブルでしかなかったということなのです。2000年の末ぐらいからバブルがはじけて、IT関連のハードの売れ行きが相当悪くなってしまって、岩手県の製造業ももろにそのあおりを食らうという状況になってきます。
 ただ、これだけなら大したことはなかった。というか、切り抜けられたのだろうと思うのですが、問題はその後、2001年以降、平成13年ですが、まさに21世紀が始まったと同時に、始まったと同時ということでもないのですが、要は中国がじわじわと存在感を増してきていたのですが、平成13年あたりから一気に目に見える形で台頭してきた。要は人件費が安いということを売りにして台頭してきた。今や中国が世界の工場だというのは、だれも恐らく異論のないところだと思うのですが、その具体的なあらわれというのは大体このころからです。平成13年あたりからです。
 中国が低コスト生産拠点ということで台頭してきたということなのですが、具体的に言うと、その当時よく言われたのは、日本と中国の人件費格差は1対20だと言われました。日本人1人雇うところで、中国人なら20人雇える。それは、地域によっては、例えば1対30とかもっと大きな差で言われている地域もありましたが、いずれにしても大変な差があったことは間違いない。
 実は、振り返ってみると岩手県に製造業が何で工場を出してくれたか。岩手県で操業するとコストが安いからだったわけです。低コストを売りに岩手県に企業を呼んできた。では、何で次に中国へ行ったのかというと、岩手県に来たのと全く同じ理由です。コストが安いからです。岩手県以上にコストが安いから中国に行ったのです。そこまで単純ではないのだけれども、大きな流れとしてはそういうことです。結局、岩手県に来てくれた企業というのは、岩手県に来たのと全く同じ理由で中国へ行ったわけです。そのことのよしあしはちょっとまた別な話なのですが、いずれ中国へのシフトということがこの後本格化してきまして、岩手県の製造業も中国とのコスト競争に敗れるような形で中国にシフトしていったり、あるいは工場そのものが立ち行かなくなって閉鎖したり撤退したり、あるいはそこまでいかなくても規模を縮小したりということがこれから本格化してきます。
 平成13年から14年というのは、岩手県の製造業にとっては受難の年でありまして、代表的な例がアイワ岩手です。これは、ソニーの子会社のアイワが矢巾町に置いていた100%出資の子会社です。アイワ自体は円高に対応するために海外展開を早くから進めていた企業と言われていまして、そういった意味ではコスト競争力がそれなりにある会社と言われていた。アイワに限らないのですが、海外に工場を展開するにしても、日本で物を売る限りは日本に基幹的な工場を一つは残しておかなければいけないということが当時言われていまして、アイワとしては唯一日本に残していた基幹工場がアイワ岩手だったわけです。その唯一残したはずの基幹工場すら閉鎖しなければならなくなったということで、これは当時岩手県でも大きな問題でしたけれども、日本全体で見てもこれは事件としてとらえられていました。ですから、例えば毎日新聞の「エコノミスト」とか、そういう全国的な経済雑誌でも特集を組んだりするような状況もその当時あったわけです。それだけ中国のインパクトが強かったということなのです。
 その後も平成14年の正月明けになりますけれども、当時玉山村ですね、アルプス電気が撤退を発表するとかという動きが出る。ここに書いているのは二つだけですけれども、それ以外にもたくさんそういう撤退事例、あるいは規模縮小という動きがあったわけです。このときの後遺症がいまだに続いているような気がしているのですが、ただ例えばほかの東北の県と違って岩手県にとって幸いだったのは、電気機械関連だけではなくて自動車関連の工場があったということです。言うまでもなく関東自工ですけれども、関東自工は平成5年に操業を始めていたのですが、今や岩手県を支える大黒柱になっているわけです。いずれにしても電気機械以外の自動車があったというところが岩手県の製造業にとっては幸いだったというような気がしております。ただ、それはこの後、平成15年あたりから岩手県の製造業をてこ入れしていく中で出てくる話でありまして、いずれこの当時は撤退していく誘致企業をどうしようかというところが非常に大きな問題になっておりました。
 それから、もう一つの問題として、財政がだんだん悪化してくる、逼迫してくるという状況の中で、公共事業は削減しなければいけないという話が出てくる。これは、平成10年が大体ピークですね。ですから、そういう動きが本格化してくるのはやはり21世紀に入ってからです。
 ということで、21世紀に入ってからは、製造業も建設業もともに不振になってくる。建設業のほうは、いまだに残念ながらちょっとその先が見えない状況です。ただ、製造業のほうは、今申し上げたとおり、自動車があったおかげで、そこをてこに次の展開を図るという流れを岩手県の場合とることができましたので、何とかまた挽回してきた。その中で、そういう過程でさらに電気機械のほうでも、ちょっと今ペンディングになっていますが、東芝の半導体工場とか次の展開も見えてきているという状況であります。
 といったようなのが大体の流れでありまして、では足元の県経済はどうなのというと、実はまた別個の要因、裏のページのほうでお話ししますけれども、世界経済の動きのあおりをまた食らっておりまして、一言で言うと悪いです。悪いでは済まないかもしれないぐらい悪いという状況です。そこにいろいろ項目が書いてありますけれども、それは御覧になってください。悪いということについて、改めて説明するまでもなく皆さんおわかりだと思いますので。
 あと、多少資料的な補足はこちらのB5のつづりです。こちらは、状況としては若干古いのですが、私どもが毎月「岩手経済研究」という雑誌を発行しておりまして、こちらのほうに毎月足元の経済の状況を書いている部分があります。そこをコピーして皆さんの手元に配っております。ただ、こういうものをつくるために1カ月ぐらいかかるものですから、活字になっているものは、1カ月とは言いませんけれども、何週間か過去の状況です。今まさにまた新しい数字がどんどん出ておりまして、自動車の販売も少し回復してきたなんていう話もあるわけですけれども、ただ総じてよくない状況であることは間違いないと思います。そちらのほうはまた後で御覧いただくこととして、先に裏のほうの説明をしておきたいと思います。
 お手元のA3の用紙、裏のほうを御覧いただきたいのですが、今の状況を一言で言うと、よく言われる慣用句は、「リーマンショックに端を発する」というような言い方をよくされるのですが、要は世界的な金融の脆弱な部分が突かれてしまったというか、そこがもとでいろいろ各方面に悪影響が出て、非常に今世界的に景気が悪いという状況であります。3番として、世界経済の現況ということで、2008年の成長率、それから2009年の見通しという数字がそこに出してありますけれども、2008年といっても、いわゆるリーマンショックが起きたのは2008年の9月でありますので、2008年の影響は年間を通すとさほどでもないのですが、でも日本はマイナス成長になってしまっているという状況です。その影響がフルに出てくるだろうことし2009年は、IMF(国際通貨基金)というところの見通しですけれども、主要国軒並みマイナスという状況です。ちなみに、日本はマイナス6%の予想ということになっております。ここまで悪いのは、例えばドイツがマイナス6.2とか、ロシアがマイナス6.5とかそれぐらいでありまして、あとはマイナスでもそこまでひどくはないのですが、そういう中で中国とかインドというのはプラスを維持するだろうということで、この辺に期待がかかっているという状況です。ただいずれにしてもIMFに限りませんが、世界銀行とかOECDとかそういう主要な国際機関はみんな2009年に関しては、世界経済全体はマイナスであろうという予想です。そういう中で岩手県も当然よくないのはしようがないと言ってしまうとあれなのですが、やむを得ないのかなというところでもあります。
 ただ、ではこれからどうなっていくのかなということを考えるときに、実は余り語られていないことが一つあるなと私は思っておりまして、その辺の一つをこれからお話しさせていただこうと思っております。余り語られていないけれども、実は物すごく重要だと私は思っていますので、あえてここでお話しさせていただくわけなのですが、要は今、世界同時不況と言われているわけですけれども、その背景に何があるのかと。金融のところによく注目が集まるのですが、金融の問題というのは一つの現象としては確かにあるのですけれども、それが一番の原因ではないと思っております。その辺の話をこれからさせていただこうと思うわけですけれども、4番のところです。注目すべき二つのポイントということで二つ書いてありますけれども、要は金融ではないということを暗に言いたくてこの二つを書いております。一つは、アメリカ経済というのが非常に巨大であるということです。そんなことは言われなくてもわかっているというふうに皆さんおっしゃるとは思うのですが、改めてアメリカ経済の大きさというのを再確認していただきたいと思うところが一つあるわけです。それから、もう一つは、その巨大なはずのアメリカ経済も実はかなりの部分、借金に依存した個人消費というもので需要がつくられていたという問題がある。その二つのポイントから見ていくと、なかなか景気がよくなるということはないだろうなと私は思っているのです。
 その具体的な中身にいく前に、そこに参考として式が一つ書いてありますが、これを頭の隅に入れておいていただければと思うのです。これはどういう式かといいますと、よくGDP、日本語でいうと国内総生産なわけですが、需要の面から見たらどういう項目でできているのかというのがその式です。GDPというのはあくまでも生産ですから、需要と供給でいうと供給側です。物をつくって売るほうですから、それは供給です。では一方、需要と供給の関係からいくと需要のほうが問題になりますが、その需要がどういう項目ででき上がっているかというのがその右側です。個人消費というのは、ふだん私どもが買い物するのが個人消費です。経済の中でもここが実は一番ウエートが大きいのです。それから、単に投資と書いていますが、企業の設備投資とか、あるいは住宅建設といったようなものがここに入ってきます。この二つを合わせて民需、民間需要と言っているわけです。それから、このほかに国内の需要としてあるのが政府部門の支出です。公共事業が一番大きな要素として認識されるのですが、公共事業に限らず政府部門が支出するものはすべてここに入ってきます。この三つを合わせて内需、国内需要と言っているわけです。そのほかにあるのが輸出です。ただ当然、輸入もありますので、輸出と輸入の差額がいわゆる純輸出ということで外需、海外需要というふうに認識されているわけです。こういった部門ごとの積み上げで、GDPというよりも国内総支出になるのですが、いずれそれはイコールになりますので、結ばれているということです。
 一応この式を頭に入れておいていただいて、中身をちょっと見ていただきたいと思うのですが、具体的にアメリカのGDPってどれだけあるのでしょうかと。GDPというのはイコール総需要でもあるのですが、これが大ざっぱには1,500兆円ぐらいです。そこに括弧書きでも書いていますが、数字は非常に大ざっぱです。大ざっぱで言わざるを得ないのは、アメリカは当然ドル建てで経済が回って、統計もドル建てで出ているわけです。お手元にA4で資料Aと書いているのがあるかと思うのですが、「3―3、国内総生産(名目GDP、米ドル表示)」というやつです。ここに世界各国のGDPの数字がドル建てで出ております。アメリカ以外は、別にドル建てでふだん経済を回しているわけではないので、どういうレートで換算するかという問題は常につきまとうわけです。国際経済を語る上で非常に面倒なのは換算の問題でありまして、そこに2006年の数字が一番新しい数字として出ていますが、本当はもっと新しい数字もあるのですけれども、2007年以降はいわゆるサブプライム問題が影響してきているので、2006年で見たほうがいいだろうと思って2006年の数字をそこに出しているのですけれども、2006年当時、1ドル幾らだったかというと、年平均で116円30銭となっています。それで、アメリカは、真ん中よりちょっと下のあたり、北アメリカというくくりの中で最初にアメリカ合衆国というのが出ていますが、13兆1,922億9,000万ドルですか、大体13兆ドル。これ116円30銭で換算すると1,534兆円です。ということで、大体1,500兆円と申し上げています。
 では、世界経済全体でGDPはどれだけあるのというと、一応私はふだん、切りよく5,000兆円と言っているのですが、これもいろんな数字があります。結局、各国とも別に円建てでやっているわけでもなければ、ドル建てでやっているわけではなくて、各国通貨建てでやっているので、換算の問題になるのでいろんな数字になるのですが、一応私はいつも5,000兆円と言っているのですけれども、ちなみにここに出ている世界の数字ですね、これ48兆幾らドルですか。これ116円30銭で換算すると5,652兆円になっています。ですから、5,000兆円よりはちょっと多いのですが。要は言いたいのは、アメリカ経済のウエートが世界経済でどれだけあるかというと、ざっと3割弱はアメリカ一国で占めています。細かく言えば、ここに出ている数字では大体27%なのですが、大ざっぱに3割と思ってください。細かく言ってもしようがないので、大ざっぱに全部お話ししております。ということで、まずアメリカのGDP1,500兆円になって、これは世界経済全体の3割を占めているのだというふうに大ざっぱに御理解いただきたい。
 問題は、アメリカ経済でGDPのうち、要するに需要のほうから見た場合ですが、7割が個人消費と言われている。ということは、1,500兆円の7割ですから、大体1,050兆円、これも切りよく1,000兆円と思うと、世界経済の2割はアメリカ一国の個人消費で占められている。世界経済の全需要の2割はアメリカの個人消費だけで占められているということです。これがどういう問題を引き起こすのかというと、実はアメリカという国は国内の生産力が非常に弱いです。弱いといっても相対的な問題です。量自体はそれなりにあるのですが、ただアメリカ国内の生産力がないのです。ですから、個人消費は旺盛なのですが、その個人消費を賄っているのは日本とか中国から輸出した製品なのです。全部とは言いませんけれども、家電製品なんかはほとんど輸入物で賄われているという状況です。ということは、アメリカの個人消費が減速すると、そういったアメリカの個人消費のおかげで輸出している部分がなくなってくるわけです。ですから、アメリカの個人消費が減速することによって、日本とか中国の輸出が減ってしまうという構造ができているのです。日本とか中国だけに限りません。世界じゅうがアメリカの個人消費のおかげで物を売って、生計を立てているような状況が今までの世界経済の枠組みです。ですから、アメリカの個人消費が減速すると世界経済に打撃が及ぶというのは、ある程度組み込まれてしまっている、ビルトインされてしまっている状況がある。
 そういう中で、まずそもそも何で個人消費が盛んになったのと、国内の生産力が弱ければ、当然賃金の支払いもそんなにありませんし、消費に結びつくお金がそもそもないのではないのということが素朴な疑問として出てくるわけなのですが、実はアメリカの個人消費を支えていたのは借金であったわけです。自分で稼いだお金で物を買っていたわけではない。生産力が弱いということの裏返しは、賃金の支払いなどがそんなに十分ではないということです。ですから、自分で稼いで、要するに自分で生産して自分で稼いだお金で物を買っていれば何の問題もないのですが、その部分が弱いものですから、にもかかわらず分不相応な消費をしていた。それを可能にしていたものが借金であったということが実はサブプライムローンの問題が発覚したときに赤裸々にあらわれてしまったわけです。
 借金のどこが問題かというと、要するにサブプライムローンの問題ではっきりわかったのですが、本来はローンを組めないような人たち、借金を普通の状態では返せないような人たちにお金を貸して、それで例えば家を建てるだけならまだいいのですが、それは担保がありますから。ところが、家の値段がどんどん上がっているという状況があったので、借金して建てた家の値段が上がった、値上がり分を担保にしてまた借金をする。その借金を何に使うかというと、消費していたわけです。自動車を買ったり、普通に生活費に充てたり、いろんな形で消費してしまっていた。
 ここでさらに疑問が出てくるわけですけれども、ではそんな返せないやつに何でお金貸すのだというと、返せない人に貸したはずのローン、これは銀行員の感覚で見るといわゆる不良債権なのですが、不良債権が優良な金融商品に化けるという錬金術のごときことをやっていたわけです。それが証券化と言われるものです。一つ一つのローンを見れば、もしかすると焦げつくかもしれないローンなのです。私らの感覚でいうと、例えば全体の貸した額のうちの5%も焦げつけば、もうこれは大変なことです。ちなみに、日本の昔の住宅金融公庫でやっていた住宅ローンがあるわけですけれども、あれで2%ちょっとぐらいの延滞率です。焦げつきではなくて延滞率です。ですから、焦げつきの5%といったら、これ大変な話なのです。とてもではないけれども、そういう人たちに貸すローンというのは、金利を高くするとか、何か保証をつけるとかということをやっていかないと貸さないのですが、アメリカの場合はそういったことを余り気にしないでやっていけるような仕組みをつくってしまったのです。それが証券化だったわけです。その辺の話は詳しくやっていくとちょっと時間が足りないのですが、要は本来、不良債権のはずのものが優良な金融商品に化けるというからくりをつくってしまったわけです。つくった人は、いいことをやったと思っただけなのですが、結果としてそれが金融界を非常に混乱させるもとになってしまった。
 これは、国単位で見ても、物を買ってばかり、輸入してばかりですと、お金が足りなくなるわけです。要するに国際収支が赤字になってしまって、どこかで限界が来るはずなのですが、要するにアメリカのドルがどんどん国外に流出してしまって、国内にドルがなくなってしまうはずなのですが、実はそうやってつくった金融商品を海外に売ることによってドルがアメリカ国内にまた戻っていたのです。日本の金融機関もいっぱい買い込んでいました。これ以上言うと私もちょっとやばいので言いませんけれども、いろんな銀行が買っていた。ということで、要は本来、輸入一辺倒ですとどこかで赤字が累積して限界が来るのですが、その出ていったドルを呼び戻すための仕組みもちゃんとアメリカはつくって回していたのです。そこが今崩れ始めている。ただ、これはちょっとまた別な話です。
 いずれ今申し上げたいのは、1,000兆円と言われるほどの非常に大きい需要がアメリカの個人消費をベースにしてあったわけです。それを可能にしていたのが借金だったというところがポイントで、この借金ができなくなったことによって個人消費が当然これからしぼんでいくわけです。よくアメリカの住宅価格の値下がりがとまれば、金融問題は解決するという議論があるのですが、確かにそれは間違いではないかもしれませんけれども、金融問題が解決しても需要がもとに戻るということはちょっと考えられないです。需要がもとに戻るためには、また昔のようにアメリカ人が借金をして消費をしなければ、もとのレベルまでは需要は戻らないのです。ただ、そういうことは多分あり得ない。そこにあといろいろ書いていますけれども、要は無理な借金はもうできないのだということです。今まで借金をベースにしていた需要がなくなっていく。借金をして個人消費をしてでき上がっていた需要がもうなくなっていく。そこはもう多分もとには戻らない。一番のポイントはここだと私は思っております。ですから、金融のほうが落ちついても、そこの構造はもうもとには戻らないです。だから、世界同時不況がこれからどうなっていくのかということを考えるときには、需要の動向がどうなるかを見ていかないといけないです。
 右側のページの上のほうの最後のところで、ポイントは世界の総需要が減少し、回復が見込めないことと書いていますけれども、ここが一番強調したいポイントであります。要するに金融の問題ではないのだということなのです。
 ちなみに、アメリカの個人消費がどこまで減るかというのは、なかなかめどがつきにくいところですが、ある慶應大学の先生が大体100兆円ぐらい減るのではないかという試算を出していました。本当に100兆円で済むのかどうか、あるいはもうちょっと軽く済むのかどうかというあたりがよくわからないところですが、仮に100兆円としても、世界経済5,000兆円の需要から見ても2%です。2%が恒常的にマイナスになるだけでも、これは大打撃なのですが、実は100兆円の部分にさらにぶら下がっているいろんな需要があるわけです。その100兆円の需要に対して物を売ることによって収入を得て、それがまた個人消費などを通じて需要に回っていくという部分、いわゆる波及効果の部分があるわけです。経済波及効果とか乗数効果という言い方するのですが、これはよくプラスの部分だけ議論されるのですが、マイナスでも同じような効果があります。要するに、例えば公共事業を1億円分やったらば、トータルの効果は2億円になるとかという議論があるわけですけれども、それと同じことで、1億円減ったらマイナス2億円になっていくということが当然あるわけです。同じ割合でプラスにもなればマイナスにもなるということなのです。ですから、100兆円の需要が減ったということで、ではそこでとまるかというと、それはとまらないのです。ですから、本当に100兆円かどうかというのもよくわからないのですけれども、いずれこれは結構大きなインパクトを持って、これから影響もさらに出続けていくのだろうということです。
 最後、5のところですが、ちょっとこの辺はなかなか難しいところです。ただ、私自身はこう考えているというようなことでお話しさせていただくところなのですが、今申し上げたとおり、一番足元の経済動向のツボというのは、需要が足りないということです。差し当たってこの足りない需要を何とかしなければいけないということがあるわけでして、そういう意味ではしばしば国際会議でも問題になるのですが、各国が協調して財政出動をしましょうというような話をする。中国は具体的に4兆元とか言っていますけれども、いろいろやっているわけです。ただ、ドイツあたりはそういう話にはなかなか乗ってこない。必ずしも各国の足並みがそろわないところですが、いずれにしてもとりあえず財政出動に期待したいところはあります。ただ、問題は、財政出動で穴埋めできても、それは一時的なものでしかないということです。これが昭和時代の日本経済であれば、一たん需要が落ち込んでも、そこは財政出動で賄っている間に個人消費が回復してきて、それに伴って生産設備をふやさなければならないというので設備投資がふえてくるというような動きがあったわけです。ですから、一時的にでも支えることによって、また恒常的に経済がうまく循環していくという関係があったので、昔の経済対策にはそれなりに意味があったのですが、どうも今はそういう流れになかなかならない状況になっています。トータルの需要が減っている中で一時的に財政で穴埋めしたとしても、多分それは継続性はないだろう。何回も言いますけれども、アメリカの個人消費がもとの水準に戻るということはまずあり得ませんので、ここの需要を本当に何とかしなければいけないとなれば、多分ゼロから新しくつくらなければいけない。そういう話をすると、シュンペーターのイノベーションの理論とかそういう話を持ち出す人がいるのですが、そういう大げさなことを言わないまでも、なくなった需要をどうにかしようと思ったら、新しく需要をつくるというふうに考えていかざるを得ないのです。要するに恒常的な需要という意味で新しくつくっていくしかない。ですから、財政出動で時間を稼いでいる間に、次どういう需要をつくっていくのか。そういうあたりのグランドデザインが多分必要になってくるのだと思います。そこは項目的には、新しい製品とかサービスを開発しなければならないとか書いていますけれども、ただそこはそんなことを言っても、では具体的にどうするのだという話に当然なってくるわけでして、多分アメリカのオバマ大統領が言ったグリーン・ニューディールというのはそういう意味での一つのグランドデザインの提示だと思うのです。それが本当にいい方向かどうかというのは、岩手県の実情に合わせてまた考えていかなければならないところもあると思うのですが、いずれ何がしかそういうグランドデザインが必要になってくる。
 ただ、差し当たってやらなければならないことというのは当然考えなければいけないこともあるわけで、そうするとまず一つは人材育成ということ、これは絶対今も継続してやっていかなければいけない部分なのだろうなと思っています。その辺、ですから余り具体性はないのですが、ただ人材育成というときに、やみくもにやるのではなくて、日本の強み、あるいは岩手県の強みということを念頭に置きながらやっていく必要があるのだと思っています。
 そこで、この辺は余り一般的に言われていることでもないのですが、ただこういうお話をすると北上あたりで製造業をやっている方々が賛同していただけるので、恐らく大筋で間違っていないと思うのですが、一つは日本の強みって何か、あるいは岩手の強みって何かと考えたときに、これは軍隊の世界、軍事の世界で言われている言葉なのですが、世界最強の軍隊をつくるとしたらどういう軍隊になるだろうということに対しての一つの答えとして言われているのが、アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官、ロシアの兵隊で構成された軍隊であるということがあるのだそうです。これは、ある意味で国民性を反映した表現だろうと思うのですが、やはり将軍、企業で言えば経営者クラス、これはやはりアメリカが非常に優秀であると。最近のアメリカの経営者はそうでもないような気もするのですが、それはそれとして、伝統的にそういうふうに言われている。それから、将校クラス、企業でいうと中堅幹部以上のところになるのですが、この辺はドイツが優秀である。実際ドイツというのは、組織を動かすのは非常に得意なのです。組織をつくって動かすのは非常に得意です。それから、日本の場合は下士官であると。これは、例えば製造業であれば現場の作業責任者みたいなクラスですね。ライン長とか職長と言われるのですけれども、あの人たちが非常に優秀であると。兵隊さんはロシアが優秀だというのですけれども、これはまたちょっとなかなか企業には置きかえられないところもあるかと思いますが。
 本当に余談している時間はないのですが、これを別な観点から見ると、アメリカは将軍が優秀であるがゆえに、要するにトップが優秀であるがゆえに、自分の考えたとおりに下を動かそうと思ってマニュアルをつくるのです。だから、アメリカという国を見ていますと、あらゆるところでマニュアルが幅をきかせている。日本にもそれが相当入ってきていますけれども、やはりマニュアルで物事を動かす、組織を動かすというのはアメリカ流だと思うのです。だから、どんな人が来てもすぐ仕事ができるようにマニュアルをきちんとつくる。それはトップが優秀だからそういうやり方であって、恐らく兵隊さんがそれなりに優秀なら、多分そういうやり方はしない。
 それから、ドイツの場合は、将校クラスが有能なので、しかも組織をつくるのが非常に得意ですから、だから例えば参謀本部みたいな格好になると思いますが、組織をきちんとつくって、それを中枢のところにきちんとしたスタッフ組織をつくって、全体を動かしていくイメージです。
 それが日本ですと下士官、現場の責任者が優秀ですから、だからよく言えばオン・ザ・ジョブ・トレーニングですが、悪く言うと習うよりなれろ方式というか、別な言い方をすると口伝、口伝えの世界。だから、非常に優秀、有能な技能者は出るけれども、なかなか必ずしもうまく伝わらないときも出てくるといったようなあたりなのだろうと思います。
 これは、今の製造業に関していうと、かつての製造業は例えば見習いで、大して学校に行くこともできなかった人が入ってきても、現場でいろんなことを上からたたき込まれながらノウハウを身につけていって、次の現場責任者になっていけるような流れがあったと思うのです。それが今、日本全体で崩れてしまっている。崩れたものは何かというと、端的に言うと派遣労働です。派遣労働者の人たちというのは、受け入れた企業からすると自分の会社の社員ではないですから、いろいろノウハウをたたき込むことのインセンティブが会社のほうにないのです。いろいろノウハウを教えてやっても、こいつらいなくなると思えば、そういうインセンティブがそもそも働かない。派遣労働者を雇っているほうの会社にしてみても、どこの現場に派遣するかわからない人たちなので、変にいろんなことを覚えてもらっても困るみたいなところがある。結果として、いろいろなスキルアップをしていくための最初の階段を上がれないという状況が今できています。
 よく製造の人たちと話ししても、やっぱり現場の力が落ちてきているということを懸念する人たちが多くなってきています。あとは、別な面からいうと、昔の不況の局面では必ず「起業」、みずから会社を起こして何かやろうとする人たちが現れた。けれども、今回の不況局面ではそういう話が全然ないということを言っている人もいました。別な観点からいうと、自分で何かやってやろうと思えるだけの能力が多分身についていないのです。もちろんお金もないというのはあるかもしれませんけれども、お金のほうは、それはスポンサーを見つけてくるなり何なりすれば何とかなる。一番が自分自身で持っている能力ですから、そこがない。結局、今申し上げたように、派遣労働というものがウエートを増してくるにつれて、いろいろノウハウを身につけて最初の階段を一つ上がるということができなくなってきている。そういう意味では、これから下士官の部分の強さ、現場の強さと言いかえてもいいと思うのですが、それをいかに保っていくか、ないしは取り戻していくかということを考えなければいけない。それが人材育成の中でも大きなウエートになっていくと思います。
 そのときに、実は再就職支援のようなフォーラムとかそういったところへ行くと、仕事を求めて大勢集まってくるのですが、お話を伺っていますと、確かにそういうことで今仕事がそもそも少ないから、腰を据えてノウハウ、能力を身につける時期だというのはわからないでもないけれども、でも差し当たってあしたの飯を食う金がないのだという人たちもいるわけです。あしたと言わず、きょう飯食う金がない。そうすると、腰を据えて勉強するための時間も金もないという人たちが結構います。ここをどう手当てしていったらいいのか。行政の限界も多分そこら辺にあると思うのです。たぶん職業訓練のほうで、無料で提供するところまでは頑張ればできるのかもしれない。でも、生活費を何とかするというところは多分踏み込めないのだろうと思うのです。そこら辺が本当に一番最初の階段を上がれずに困っている人たちにとっての支援ということを考えた場合にポイントになってくるのかなというふうなイメージを持っております。
 といったようなことで、結論としては、わかったようなわからないような話なのですが、要は現場に強い人材をどうやって育成していくか、あるいは育てていかなければならないのだというところで、そこがなかなか次に何をやったらいいのかが見えていないという状況であります。ですから、今行政のほうでもいろんな人材育成のための施策を打っていますし、やっていること自体は間違っていないと思うのですが、ただ抜けている部分がそれなりにあって、今申し上げたとおり、差し当たってきょうあすの生活をどうしようかという人たちに、ではじっくり腰を据えて勉強してねとはなかなか言えないです。そこが多分一番大きな問題かなと思っております。
 といったようなことで、いただいた時間をちょっとオーバーしてしまいましたけれども、とりあえずここでお話を閉じさせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。
○中平均委員長 谷藤様、ありがとうございました。
 これより質疑、意見交換を行います。ただいま御講演をいただきましたことに対し、質疑、御意見等ありましたらお願いいたします。
○佐々木博委員 どうもありがとうございました。今、確かにそのとおりだなと思ってお話をずっと伺っていましたが、バブルが崩壊した後、もう一点実は問題があったのではないかと思っていて、それはずっと低金利政策を取り進めてきたということが、私はやはりその後の経済にかなり大きな影響を与えているのではないかなというふうに思っているのです。特にIMFの見通しに限らず、サブプライムで本家本元のアメリカよりも日本のほうがはるかに経済が悪いわけですけれども、やっぱりこれは輸出に傾注している日本の構造的な問題があると思うのです。もともと内需拡大に構造改革をしなければいけないということがずっと言われていながら、ずっと低金利政策をとって、そして円安に誘導してきたと。いわば円を必要以上に下げて、そして輸出を振興してきたという政策が、今ここに来てやはり一つの日本経済を悪くしている大きな要因になっていて、それがバブル崩壊のときの低金利政策、それをずっと見直すことができなかった、見直せなかった、そこにも原因があるのではないかなと思っていますけれども、そのことについてはどのように考えていらっしゃいましょうか。
○谷藤邦基講師 低金利政策、さらにはゼロ金利政策、このことについてはいろんな議論があるところで、またその評価も恐らくはもうちょっと時間がたってからでないと難しいのだろうと思うのですが、ただあえて私の考えを申し上げさせていただくと、緊急避難的にゼロ金利にするのはやむを得なかったとしても、ある時期、もっと早い時期に解除をして、もっと言えば低金利の恩恵を受けている人とそうでない人の違いということを考えたとき、低金利であることのメリットというのはお金を借りている人たちに端的にあらわれる。お金借りている人たちということでいうと、個人、自然人であるよりは法人である場合が多いです。そのことを考えた場合、よく逸失利益のような言い方をされるのですが、本来例えばもっと高い金利であれば預金金利も高くなって、そのお金が預金者に環流して、個人が商品を買った可能性は非常に大きいわけです。そういった部分の弊害というのは間違いなくあったと思います。
 それで、いつの時期どうやればよかったのかというのはなかなか難しいのですが、ただ間違いなくゼロ金利というのは通常ないことで、ついせんだっても当時の速水総裁が、あれは総裁のときではなかったですかね、いずれ不思議の国のアリスの世界にこれから入っていくのだということを言っていた。そういう意味では、その効果も実はよくわからないままに踏み込んでしまったということもあったのです。結局、今回の景気回復をしていたということが言われる中で、本当に回復していたのかどうかということの問題も実はあると思っています。ですから、何をもって景気回復というのかといったときに、今回の景気回復と言われたところが、実は企業の業績が回復したということであって、個人の生活が向上したかといえば、そういうことでは必ずしもなかったわけです。その分が要するにある意味、個人を犠牲にして企業のほうに恩恵がもたらされたということはあったのだろうと思います。ただ、やはり日本を代表するような企業が破綻するということになれば、それはそれでまた大きな影響が出ますので、そこら辺の兼ね合いの問題は当然あったと思うのですが、ですからゼロ金利に一たん踏み込んだこと自体はしようがなかったとして、ではそれをいつ解除すればよかったのかということについては、ちょっとタイミングがおくれたのではないかなというふうに私自身思っております。
 ですから、今ここに来て輸出主導の回復はなかなか難しい。経済白書なんか見ていますと、内需だけではなくてやっぱり輸出もやらなければだめだというようなことは書いているのですが、それはそれとして、とにかく需要があればどこでも輸出でも何でもやればいいのですが、ただやはり輸出にどこまで頼れるかということを考えるとなかなか難しくなってくるのです。やはり個人消費、ここのウエートが非常に大きいわけですから、日本でも57%、大体6割は個人消費が全体の需要の中で占めている割合ですので、ここがちょっと上がるだけでも非常に効果は大きいわけです。それを考えますと、今、特に賃金もなかなか上がらなくなってきている中で、やはりちょっとタイミングがおくれていたのではないか、もうちょっと早いタイミングでやって、個人の可処分所得がふえていれば、個人消費のほうにお金が回って、内需主導とまではいかないまでも、ある程度内需に依存した形での成長というのはできたのではないかなというふうに思っているところです。
 ちょっと追加でお話しさせていただきたいのですけれども、先ほど式一つ、A3の用紙の裏の左側のほうに書いてあったのですが、よく私ら大学で勉強するときはこういう式で書くのです。マクロ経済学の第1章に必ず出てくる式です。結局、今般のいざなぎを超えるぐらいの景気回復だと言われていたものは、結局ここに依存していたのです。要するに輸出です。ここで稼いでいて、こっちは余りぱっとしていなかったという状況なのですが、ただ実はウエートでいうと輸出そのものはともかく、純輸出というところでいくと、全体の中でせいぜい1%か2%なものです。意外に輸出に依存していると言われながら、実は大したことはないのです。
 ちなみに、お手元には配っていませんけれども、同じ資料の別なところに出ているのですが、ウエートが日本の場合ですとここが57%です。個人消費が57%、それから設備投資の部分が22%、ざっと4分の1ですね。それから、政府部門が18%、純輸出は直近では1%です。もちろん世界じゅうからいろいろな物も買っていますから、あくまでも差額で見ると1%しかないということで、輸出自体はもっと大きな額になるわけですけれども、意外にだから大したことはない。ですから、最近になって月々のベースですけれども、時々貿易収支が赤字になったりしているという状況で、実はここがちょっと減るだけでも、日本は食料も含めて輸入しなければどうにもならない国ですから大騒ぎになってしまうという状況になると思います。やっぱりここが一番大事なのでして、今の状況を考えてみると、例えば企業も今、輸出が不振になってきて、例えばトヨタですらも赤字になっているわけですから、そうすると、例えば賃金などもなかなかそう簡単に引き上げが難しい。というか、むしろ賃下げの動きになっているわけです。公務員もそうです。本来、公務員は、いろいろ批判はあるのですけれども、経済の変動に対して賃金が安定的に支給されている意味では安定剤というか、安定装置だと言われているのです。いろいろ批判があるのは承知しておりますけれども、ただ経済学的に見ると安定的な賃金を得ている人たちがいるというのは、経済を安定させる緩衝装置のような役割を果たしているという面もあるのです。そういう公務員ですら今賃下げになっているということは、ここはもうなかなかふえる要素がないです。
 ですから、今さらではあるのですが、企業がもうけるのは当然いいことなのですが、それを例えば賃金の形で一般家計のほうにお金を回すとか、あるいは金利の再配分効果を通じて家計のほうに回すということはもっとあってよかったなと思います。ただ、今の時点で金利引き上げができるということはなかなか苦しいですし、また消費のもとになる賃金、これもなかなか引き上げが難しいという意味では、ちょっと八方ふさがりに近い状態です。
 そういう中で、当然、消費がそんなに盛んにならなければ物をつくってもしようがないですから、設備投資だってふえない。あるいは住宅投資も、これから住宅を建てようという人がなかなかいないと思うのです。ローンを組んでまで建てるということがなかなか踏み切れないです。そういう意味では、ちょっと出口がないというのが正直な感想です。感想を言っていてもしようがないのですけれども、ではどうしたらいいのだという部分ですが、頭が痛い。ただ、そこをどうにかブレークスルーするために、やっぱりどこかで需要をつくっていかなければいけないので、そこのグランドデザインです。ですから、オバマ大統領が言うようなグリーン・ニューディールがその答えであるのかどうか。あえて言うと、私はバイオ燃料のような世界で考えていけないかなということは思っています。
○佐々木博委員 ありがとうございます。私もどこかの時点で金利を上げておくべきだったと思っているのです。それをやってなかったために、日本では全然、金融政策がとりようがなくて、それが一つ非常に窮屈にしているところがあるのだというふうに思っていました。
 その表ですけれども、Gですよね、ガバメント、政府支出、景気が悪くなったときに、今までですと公共事業をふやして財政的なことをやっていましたけれども、今回も大型の補正が出ましたけれども、今度の予算を見ますとトータルでは多分税収よりも国債のほうが多くなるはずです。岩手県なんか当初予算から、県税収入より県債収入が多い。そんな予算になっていますから、このGをこの不景気の間、ある程度保つということも私は不可能だろうというふうに思っていますし、プラスで言いますと、国債ですね。日本は1,500兆円から1,600兆円が個人資産と言われていて、今は消化していますけれども、果たしてどうなのでしょうか、本当にこれから消化できるのかどうか。消化できないということになりますと、今度は大幅な金利上昇の可能性もあります。それが非常に危惧される。あるいは一方で、デフレになるかインフレになるかわからないというのが今の状況です。どっちも可能性があるというふうにも言われていますけれども、そこら辺の見通しについていかがですか。
○谷藤邦基講師 今のお話は私の手に余る部分ではあるのですが、ただ私自身が感じているところを申し上げると、今の状況の中で財政支出をある程度せざるを得ないのだろうと思うのです。ただ、おっしゃるとおり当然フローで財政支出をやる結果として、ストックとして国債残高が積み上がっていくという状況があるわけです。このストックのほうの解消というのはなかなか難しいので、ストックという言い方をすると要は借金ですからあれですけれども、本来であればもうちょっと早い段階で金利上昇、特に長期金利の上昇というのはあってもおかしくないと私自身は思っていますが、なかなか上がらないということは、多分日本国内にあるお金というのはまだ、ふだんよく言われている数字以上のものがあるのかもしれないです。
 ちなみに、今お話にあった1,500兆円という数字なのですけれども、ある数字を積み上げた結果としての1,500兆円ではなくて、いろんな数字を出していって、その差額が1,500兆円という形で出てきている数字なものですから、実態が実はよくわかっていない。個人金融資産が1,500兆円だと言っている数字がよくわからない数字なのです。差額をとりあえず個人金融資産だと認識しましょうという考え方で出てきているものですから。
 ただ、いずれにしても、今ポイントはよく株価とか為替の数字、テレビでもやっていますけれども、私自身は長期金利と言われるものを一番注目しておくべき指標だと思っております。長期金利というと、私らの世界では10年物の利付き国債の流通利回りのことを言っていまして、きのう、きょうあたりで大体1.4%ぐらい、ちょっと超えてきたと思いますけれども、これぐらいです。これ実は非常に今でも低いことは低いのですが、ただ一瞬0%台までいったことありますので、そういう意味ではちょっと上がってきているという状況です。普通考えれば、昔、例えば1年定期5.何%という時代も、高いときは9%というときもありましたけれども、普通、国債であれば5%ぐらいの利回りがつくものなのですね。それがこれだけ低いということは逆に言うとそれだけ評価されているというふうに理屈上はなるわけです。
 ちなみに、アメリカの10年物国債ですと、今3.6-7%ぐらいですか、アメリカのほうが高い。金利が高いということは、それだけ値段が安いということですので、国債の利回りあるいは金利が上がると値段が下がるという関係があります。ですから、今話があった金利の上昇ということは、国債の値段が下落する、暴落するというようなこと、その裏返しで金利が上昇するという関係にありますので、ですから今この水準ということは、これは歴史的に見ても非常に低いですね。だから、そういった意味では、当初懸念された以上に日本の国債というのはタフだなと。そこは、ですから私自身長く数字を見ていて、意外にも耐えているなという印象があります。もっと上がっても不思議はないなと私は思っていたのですが、それから見ると結構耐えている水準だと思います。
○佐々木博委員 ほかに行きようがないのだよね。ほかに投資の対象がないから、しようがないから買っているというものも結構あるのだよね。
 (「日本人はまじめなのだよ」と呼ぶ者あり)
○谷藤邦基講師 いずれにしても、もう既にアメリカは自国の貯蓄で賄えないので海外に買ってもらわなければいけない状況になっているわけです。今までは日本がいっぱい買ってきたのですが、もう日本は大体飽和状態なので、今度は中国に買ってもらわなければならないというので、今、米中接近しているという状況があるわけです。
 いずれにしても、アメリカの場合、貿易収支はずっと赤字で来ていますから、何かの形でドルを呼び戻さないといけないので、それでさっき言った証券化商品のような問題だとか、あるいは国債を外国に買ってもらわなければいけないという状況があります。ですから、ドルがもし基軸通貨の座を滑り落ちたら、その時点でアメリカ経済は崩壊するかもしれないですね。そうなったら、日本だってアメリカに輸出して何とかもっている部分は結構大きいですから、日本もただでは済まない。そういった意味では、非常に今、がけっ縁に来ているのかもしれないですが、ただいずれにしてもそういう目で見ていくと日本の長期金利って低いですよね。ですから、よく頑張っているとも言えるかもしれない。ただ、その辺のからくりは何とも言えないところがある。日銀が頑張って引き受けているからだというような見方をする人もいますし、この辺の評価は難しいですね。
 あともう一つ何かありましたっけ。長期金利の話だけでしたか。
○佐々木博委員 もう一つだけ。私同じでして、V字の回復はないと思っているのです。L型だろうなと思います。今、アメリカの失業率は9.5%ぐらいですか。多分10%を超えるのだと思うのですね。本県も失業率というのは経済の遅行指数だと言われていますから、それを考えると恐らく失業率も本県でも、あるいは若干上がるのかもしれません。それで、今まで本県の場合は物づくり産業、特にも半導体だとかIT関連、それから自動車、2大戦略だということで取り組んできましたけれども、残念ながら今その二つともだめなわけですよね。やっぱり私はもう一方の柱を、本県経済の足腰を強くするためには何かが必要ではないかなというふうに考えているのですが、しかしロットでどんと大きくなんていうものは多分ないのだと思います。それで、今最近それこそ、地銀なんかも農業なんかに随分積極的にお金出すようになってきましたけれども、私やっぱり一次産品に付加価値をつけて六次産業化してやっていくということを、ロットではそんなに大きくなくても、やっぱり一つ一つそういったことをきちんと取り組みながらやっていくのが岩手県としては大切な経済政策ではないかなというふうに考えているのですけれども、何か本県の経済政策について御所見があればちょっとお伺いして、私は終わります。
○谷藤邦基講師 いわゆる産業成長戦略は平成18年にできたもので、回している部分があるわけで、お話にあった自動車と半導体というのは、産業成長戦略の中でも重要なものだと思うのですが、その部分は要するに北上川流域が主になってくる。それは恐らく当分はその方向で走らざるを得ないのだろうと思います。というのは、次がまだ見えない分野ですので、例えば半導体全般で言えばぱっとしない部分もあるのですが、半導体に関してはちょっといい面も出てきているような話も聞こえてきます。だから、将来の自動車がどうなっていくのかということについて、もうちょっとはっきり見えてこないと何とも言えないところあるのですが、本当にハイブリッド路線でいいのか、電気自動車に一気にいくのかという話もあるとは思うのですが、いずれにしても今の路線で走っていかざるを得ないのだろうと思うのです。
 そういう中で、地域的な問題でいうと、沿岸、県北の問題というのが当然あるわけで、これは私が考えているというよりも、岩手大学の人たちと今議論している中で出てきている話が、地域資源を高付加価値化するというのはまさにそのとおりなのです。特に沿岸、県北のような素材を見ていくと、ロットが稼げるものがないのですね。ただ、特色のある素材はいっぱいある。であるとすれば、ロットで稼ぐのではなくて、一つ一つの素材に何か学問的な知見なり何なりをもとにした開発とかで付加価値を高めるようにして、ロットは稼げないけれども、一つ一つのもので付加価値をいっぱい稼ぐ。そういう路線でいけば何とかなるのではなかろうかというようなことが非公式なレベルで議論しているところです。逆に言うと、地域の素材をみんな私ら把握しているのだろうかという疑問も逆に今出てきているところです。
 実は、ことしの3月あたりでしたか、ある大学の先生と一緒に、私たち大学の客員教授を仰せつかっているものですから、2人でいろんなところを回って歩いて、何か地元の人たちしか知らないような何か変わった素材ありませんかねと、そういう聞き方でもないのですけれども、そんな感じでいろんなところを聞いて回っていたら、結構あるのです。例えば役場の人と話ししても、3人ぐらい相手に話していると、ある人は知っているけれども、ほかの2人は知らないようなものとか、そんなものも出てくる。例えば大学の先生に分析してもらったら何か結果出るかなというふうなことで、今いろいろとりあえず当たってみているという段階なのですけれども、すると結構いっぱいありそうなのです。だから、量で稼ぐのではなくて、一つ一つの素材を生かしながら、その極限まで付加価値を高くしていく。ですから、食材的なものでは、もし薬効があるなら薬品まで持っていく。そこまでいかなくても高機能化食品とか、そういう形で少ない素材でいかに付加価値をとるかという、沿岸、県北はそういう方向の発想になるのだろうと思っています。同じ雑穀でも、二戸の雑穀のほうが多分もともと岩手の雑穀の流れだと思うのですが、量になるとやっぱり花巻というか、石鳥谷のほうがやっぱりとれていますね。本気でやると、北上川流域のほうが条件はいいのです。では、そこで何か違いを出そうかと思ったら、やっぱり少ないのを逆に逆手にとる発想になってくる。だから、岩手県で一くくりで話してもしようがないと思うのです。やっぱり沿岸、県北もさらに細かく見ていかなければいけない。
○渡辺幸貫委員 私は農業をやっているのですが、産直が頑張れとか、今言われたちっちゃなものが芽が伸びるとか、量全体をみんなが、農民全体がよくなることはわかるのですけれども、だれかがちょっとだけよくなるという芽を育てようという考え方に余計行き過ぎて、全体を考えないことは非常によくないことだと私は思っているのです。大きく言えば、WTOというか、世界の自由貿易体制が本当にうまくいくのかと、何か最後になったらITで、ITといったって、これは物づくりみたいにこの表では書いてありますけれども、現実にはその時代にはやされたのはITサービスという部分だったと思うのです。そして、今まさにサブプライムローンで知的なものですね、要するにエリートの頂点のものが壊れてしまった。考えてみたら、日本は下士官だとさっきおっしゃられたけれども、今度は中国だろうと、インドだろうと、みんなもう教育が行き渡りますから、日本は下士官でもいられないと、そういうふうに考えていくと、日本という社会はどこに行くのだと。そうすると、頭のいい人は、それは将軍でも何でもいいでしょう。だけれども、国民という全体の底辺のことをいったら、私たちは農業とか大したことないからやっているのですが、その人はどこに行くのだという、国家というものがもう一回問い直される時代に来ているのだと思うのです。まさに今おっしゃられたアメリカだって壊れるかもしらんということになってくると、世界貿易そのものはどうだったのだという反省点に差しかかってきていると思うのです。ですから、国家ということをもう一回考えていかないと、経済が国家を動かすのではなくて、人間社会としての経済というのはどういうことなのだと、そして国民ということはどういうことなのだということをもう一回考え直す時期に経済とか国家というものが相ぶつかっている時代に入っている。みんながそれを気づいて、そんな一つまみのもので経済が論ぜられるわけではない。やっぱり量全体を論じなければならぬというふうに私は思います。そういう突端のところだけというのは、私は余り好きではないですが、いかがでしょうか。
○谷藤邦基講師 量を稼げるのであればだれも苦労はないわけです。ですから、私が申し上げているのは、岩手県全体がそれを目指すべきだと言っているのではないということは一つ御理解いただきたい。沿岸、県北で、例えば何か大規模にやろうと思っても、非常に地理的に難しい部分もあるわけですよね。ですから、そこら辺で一つの考え方として今出てきているのがそういうことです。
 それはそれとして、今の話になって、皆さんにお見せしようと思って、実は最初から持ってきたものです。「THE ECONOMIST」というロンドンで発行されている雑誌です。この雑誌の表紙に描かれている本が溶け出しているのです。この本の表題、何て書いてあるか。モダン・エコノミック・セオリーと書いてあります。要するに現代の経済理論がそもそも現実に適合しなくなってきている、理論が溶け出している状態だと。世界を代表するような経済誌の表紙にこういう絵が載る。これは先月発行された雑誌です。まさにおっしゃるとおりです。国民経済あるいは国家というものが出てきたのは、そんなに古い話ではないとも言えると思うのです。たまたま日本の場合は、国民経済と国家ということは、国民と国家というか、あるいは民族と国家というのがそんなに不整合なく存在しているので、だからそのくくりというものは余りふだん考えることもないのですが、ただ例えばユーロなんか、ヨーロッパを見ていても、国境と経済の関係というのはもうどんどん流動化してきているわけですね。そういう点では、そこをどう整理し直すのかというのは、かなり世界的にも問題になっているのが事実だと思います。そういった延長上には、例えば日本の国内でも、国内の地域をどう考えるのか、あるいは道州制の問題も出てくるのかもしれませんけれども、そういった意味では、本当に大きな論点だと思います。確かにそこを何とか整理してからでないと次の段階に行けないのかもしれません。その点は確かにおっしゃるとおりだと思います。
○小野寺研一委員 どうもありがとうございました。世界的な、あるいは国家的なことで論ずるというふうなことはなかなか、今お話しのどこへ行ったらいいかというのはなかなか決定づけるものはないわけでございますけれども、最近、岩手県としてこういうふうなことの扱いはどうしたらいいのだろうという一つの判断が示されたものがあります。2016年に岩手国体があります。これはどっちでやるという意味ではないですけれども、一つの考え方としては、みたけ、今の運動公園の中に5億円ぐらいを投じて改修をして、そこでやるべきではないかと、経済もお互い考え合いながらこうしたほうがいいのではないかということと、そうではなくて、今、国体をうまくやり遂げればそれでいいのではないという、私はそう考えますが、そのことについての感想をお願いしたい。100億円あるいは120億円となるかもしれないけれども、これを盛岡に投資する、投下する、そういうふうなことが私は岩手県の経済、あらゆるものにインパクトを与えると、大きな影響を与えるだろうと、そのように思います。それを県あるいは県民が全部負担するということではなくて、公園その他施設に関しては、国体に関してはまず第一義にそのことが優先されますよということで、岩手が手を挙げればそれには間違いなく、そういう決まりになっている。120億円のうちの半分ということですから、60億円が国から、どこから来てもそれはいいとして、あとの60億をどうすると、こういうことですが、とにかく120億円が県都盛岡に投じられて、それが県内の経済に波及していくのだろうと思うのです。そういうことがこれからやっぱり抜け目なくチャンスを有効に利用していくというのが行政のこれからやらなければならない責任だろうというふうな感じがするのですが、そのことに関しての経済効果、あるいはその方法というのですか、それにどのような感じを、感想で結構でございます。今、決められたとおりでいいのでないのとか、あるいはもしこうなればこうなったかもしれないとか、感想でよろしゅうございますので、そういうところしか私らの近くでは余りない。
○谷藤邦基講師 感想というか、ちょっと別な観点からお話しさせていただきます。要するに公的なお金の使い方に関しての議論というのは昔からいろいろあるのです。箱物に金かけるよりもっと別な使い方があるのではないかという議論は昔からあるわけで、いっとき言われたのは例えば介護福祉の分野にお金を使うと、経済波及効果は箱物に投資するよりも大きいという試算が出たことがあって、結構高名な学者もその議論を引用しておったりしたのです。ただ、私ちょっとこれに違和感を感じたのは、確かに産業連関表というのがあって、それにのっとって計算すると、一定の金額を投じたときに、公共事業に投ずるよりは介護福祉分野に投じたほうが効果は大きいと確かに計算上は出たのです。出たのですが、ただこれが一つ落とし穴があって、介護福祉の場合はほとんど人件費です。ですから、そこで使ってしまったらそこで終わりですね。ところが、箱物、何でもいいのですけれども、道路でも箱物でもいいのですけれども、公共事業にお金を使った場合に出てくる数字というのは、でき上がったところまでのお金の効果なのです。でき上がったものをどう使うかという効果は全然見ていないわけです。そこに一つ議論の落とし穴があって、だからそもそもおかしな発想の計算だったと私は思っています。ですから、最近そういうことを言う人は余りいなくなってきたのですが、いずれにしても裏を返すとでき上がったものをどう使うかというところをちゃんと考えておかないと、効能というのは出てこないと思います。
○小野寺研一委員 余りやると恐らく差しさわりがある。そういうこともあり、公共事業といいますか、三陸縦貫道が今、けりがついて着工し始めて、これから続けていこうという考え方があるのです。ですから、そういうようなことも考えれば、でき上がったものがどれほどこれからの人たちに、あるいはその地域にどれほど有効に利用されるかというのは、私は大事なことだろうという感じがするのです。ですから、そういうふうなことを含めて、これから行政というか、政治というか、ガバメントの連中は、やっぱりそういうようなことにある程度思いをしてやっていかなければ、国全体を見るというより、岩手は一体どういう形で生きていくかというふうなことに一つのそれぞれの専門の方々の知恵を絞ってもらわなければならないのだろうという感じがするのです。それも時間がありませんので、あと5年、これぐらいで何とかしないと、とてもではないが、私は国も滅びるだろうと思うし、岩手だってもちろん国がないと山河はありませんから、そういうふうなことをやっていけばいいなというふうな感じがするのですから、もしコメントをいただければ。
○谷藤邦基講師 まさにグランドデザインをちゃんとつくらなければいけないということはあるのだろうと思います。そのときに、話を全然飛ばしてしまうようで申しわけないのですけれども、やっぱりいろんな立場の人がざっくばらんに議論できる場がたくさんなければいけないと思っております。そういう点では、私は個人的にも産学官連携にも随分かかわってまいりまして、岩手県の産学官連携というのは非常に進んでいると言われていることの意味は、そういう非公式にいろいろ情報交換するとかそういうものがほかより多いということなのだろうと思っております。立場があるとどうしてもやっぱり一定以上のことは踏み込んでいけない局面が多いものですから、そういったときにちょっと別なルートで意思疎通ができれば、本音もお互いにわかって見えてくるということもあるものです。今とにかくいろんな立場の人が立場を超えて議論していかないと、次の世界が見えてこないのだろうと思うのです。そういうこともあって、例えばいわて未来づくり機構などというふうなものをつくったりしたわけですけれども、ただあれはあれで私どもが当初たたき台をつくるときに考えたようなものとはちょっと違う方向に行っているところはあるのですが、本来産学官連携のプラットホームということで考えていたのですけれども、現状はプラットホームの部分がどうも弱いのですね。ただ、その部分でいろんな立場の人たちが、必ずしも組織の姿勢とかにこだわらないで、個人の立場で議論できるような場が必要だなと今でも思っていまして、そういったことを通じて次の構想をしていければいいのかなと思っています。
 その中で、例えば箱物の整備なんかも、道路なんかも含めて、橋もそうですけれども、今は維持、補修のほうにお金がかかってきていますよね。財政的な制約が大きくなる中でその部分をちゃんとやりながら新しいものにどれだけのお金が回せるのかという考え方にしていかないと、既存のものも維持できなくなっていく危険性が非常に大きいです。そういうことも含めてトータルに、だから地域の枠も超えてと本当は言いたいのだけれども、なかなか難しいところがあります。私たち盛岡市民であるという前提はなかなか変えられないわけでありまして、特定の産業だけどうするとか、特定の道路だけどうするとか、あるいは箱物だけどうするかということではなくて、もっとトータルで考えていけるような仕組みづくりというのが必要なのではないかなと思っております。
 どうもお答えになっていないようで申しわけございません。
○工藤勝子委員 いろんな先生のお話を聞いても、必ず出てくるのが人材の育成という言葉が出てきます。先生からも最後にそういう話が出てまいりました。現場に強い人材を育てることだと。これは、産業にしても、農業にしても、やはり次を担う人たち、人材を育てていくということは、これは重要でありますし、ここにやはりいろんな形の中で頑張らなければならないのだろうなと思っておりますけれども、先生から見て現場に強い人材を育成するための、例えば岩手県、こう経済が低迷してきますと、年間約5,000から6,000人の人たちが県外に出ているというデータも出ている中で、言えば優秀な人材ほど都会に向かって出ているのではないかなという思いもするわけですが、この人材を育成するためにどうあるべきかというようなところの議論がありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○谷藤邦基講師 人材育成というのは、多分どこの地域でもというか、岩手県以外のどこでも多分同じことはやっていると思うのです。それなりの職業訓練の場を含めて体制は整えているのだろうと思います。そこで、現場に強い人材という言い方をしたとき、それこそおまえは現場を知らないと言われるかもしれないのですけれども、要はマニュアルに書いたり、書面にしたりできない部分のノウハウがちゃんと伝わっているかどうかだと思います。ちょっと前ですけれども、団塊の世代が大量に退職するというので、2007年問題ということで言われましたけれども、そのときにいかに団塊の世代が持っているノウハウを組織として引き継いでいくのかと、それが一つのテーマとしてあったわけですが、そのときにちゃんとマニュアルをつくるとか、ノウハウを文書化するとかという話があったのですけれども、そういったことで伝えられる部分というのはやっぱり限界があるというふうに思います。だからそういう体制をつくるといったって、これは実は公的には難しいかもしれないです。けれども、そこができるかどうかなのだろうと思うのです。技術というより技能ですよね。そこの継承がうまくできるかどうかということが多分あると思います。それでその上で、そこから先ちょっとギャップがあるわけですが、そういう技能者がたくさんいるということを前提に例えばどこからか呼んでこれる企業はないのかという発想も必要だと思うのです。企業誘致の時代ではないと言う人もいますけれども、ただやっぱり即効性ということを考えると、企業誘致ということもまずやっていかなければいけないので、そうなったときにやみくもに呼んでくるのではなくて、地域に合った企業というか、もっと言えば地域の人材に合った企業、ちょっと本末転倒だと言われかねないのですが、そういう観点で呼んでこれる企業はないのかということも必要だと思っています。それで、では逆に量はどれだけとれるのだという話は当然出てきますけれども、実際、年間今1万人以上人口が減っている中で、社会減が非常に大きいのは間違いないわけですから、そういうことを考えたときどうしても雇用は確保しなければいけない。雇用を確保できる有効な手段ということになると、昔は公共事業というものが非常に有効だった面もあるわけで、特段ノウハウがなくてもすぐ人を雇うことができる。そこが今できないのだとすると、やっぱり次に即効性があるのは企業の誘致だと思います。企業誘致といったって、これは各地域でやるわけですから、その地域に企業が来ることにメリットを感じられるような人材がいるかどうかということになってくるだろうと思います。そこがうまくマッチするかどうかというのは、ちょっとなかなか何とも言えないところですけれども、ただそれでいかざるを得ないというのは、そこで特色を出さないと岩手としてはやっていけないのではないでしょうかね。私自身はそういう感じで思っておりますけれども。何かお答えになりませんで、申しわけありません。
○工藤勝子委員 そうなってくると、いかに岩手にどのような人材がいるかによって企業誘致がある程度可能な部分が出てくるのだろうと。そうすると、やはりそれぞれの専門、県立で言えば高等学校とか県立大学とか、岩手大学、そういうところでそういう人材をある程度育てなければならないという部分が出てくるというお考えなのでしょうか。
○谷藤邦基講師 もちろんその部分も重要です。ただ、それ以上に今、現に企業なり、あるいは企業だけではなくてもいいです、農業でもいいし、林業でもいいし、いろんな現場にあるいろんな細かいノウハウを何とか切らさないでつないでいくような仕掛け、それが必要だと思っています。それと企業誘致とどうつながるかというのは、またちょっとギャップはあるのですけれども、ただ、いろんなノウハウがその地域に行くとあるということが地域の強みになっていくだろうと思っているのです。
 もうちょっと別な観点で言うと、例えば工業高校とか県立大学でも、岩大の工学部でもいいですけれども、そういうところで教育する中身の問題として言えば、できるだけ基盤技術に近い部分の技術力というか、それを強化していくことが重要なのではないかなと思います。これは、ですから学校で教える部分というのは時間軸でいうと少し長目の話になってきますので、そうなったときに、今まさにこれが必要だという部分ではなくて、もうちょっと基本的な部分、そこの力をつけておく必要があるのではないかと思っています。というのは、これから多分、相当産業構造も変わる可能性があるのです。そうなったときに、最先端であるよりは、むしろベーシックな技術をちゃんと押さえていたほうが多分その変化に対応しやすいのだろうと思います。この辺は、私はそう思っているという以上のことではないのですけれども、例えば何か変わったとき、先っぽのほうでやっていると、先っぽがずれたとき、対応し切れないおそれが大きいと思っています。ですから、例えば金型であるとか、切削技術だとか、メッキであるとか、そういうベーシックな部分のノウハウが十分にあればいろんな変化に対応しやすいのではないかなと。これは私の考えであって、本当にそうかどうかというのはまた別の見方があるかもしれませんけれども、学校で教えていることに関してはそういう感じでございます。
○中平均委員長 時間も予定した時間となってまいりましたので、大変恐縮ではございますが、本日の調査はこれをもって終了させていただきます。
 谷藤様には、本当にお忙しいところありがとうございました。世界経済、また日本経済、さまざま岩手の課題等、示唆していただきましたことに心より感謝を申し上げます。
 谷藤様はこれより退席なさいますので、皆様拍手でもってお送りいただきたいと思います。
 委員の皆様には、次回の委員会運営等について御相談がございますので、少々お待ち願います。
 それでは次に、9月に予定されております次回の当委員会の調査事項につきまして、さきの当委員会において当職に御一任いただいたところでありますが、現在、調整中でありますので、内容が固まり次第、後日連絡させていただきます。
 以上をもって本日の日程は全部終了いたしました。本日はこれをもって散会いたします。


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