医師確保・少子高齢化対策特別委員会会議記録

医師確保・少子高齢化対策特別特別委員長 三浦 陽子
1 日時
  平成20年9月4日(木曜日)
  午前10時4分開会、午前11時53分散会
2 場所
  第2委員会室
3 出席委員
  三浦陽子委員長、高橋比奈子副委員長、伊藤勢至委員、佐々木順一委員、
  千葉康一郎委員、千葉伝委員、平沼健委員、工藤勝子委員、
  吉田洋治委員、小西和子委員、斉藤信委員
4 欠席委員
  郷右近浩委員
5 事務局職員
  武蔵担当書記、高杉担当書記
6 説明のため出席した者
  財団法人いわてリハビリテーションセンター長 高橋明氏
7 一般傍聴者
  なし
8 会議に付した事件
 (1) 「高齢者が住み慣れた地域で暮らすためのシステムづくり」について
 (2) その他
  次回の委員会運営について
9 議事の内容
○三浦陽子委員長 おはようございます。ただいまから医師確保・少子高齢化対策特別委員会を開会いたします。
 なお、郷右近浩委員は欠席とのことでありますので、御了承願います。
 これより本日の会議を開きます。
 本日は、お手元に配付いたしております日程により会議を行います。
 これより「高齢者が住み慣れた地域で暮らすためのシステムづくり」について調査を行います。
 本日は、講師として財団法人いわてリハビリテーションセンターセンター長高橋明氏をお招きしておりますので、御紹介申し上げます。
○高橋明講師 おはようございます。いわてリハビリテーションセンターの高橋でございます。きょうこういう機会をいただきましたことに感謝申し上げます。よろしくお願いします。
○三浦陽子委員長 高橋先生の御経歴につきましては、お手元に配付いたしておりますとおりでございます。
 本日は、「高齢者が住み慣れた地域で皆と共に暮らすためのシステムづくり」と題しまして、高橋先生より御講演をいただくことにしておりますが、高橋先生には御多忙のところ、御講演をお引き受けいただきまして、改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。
 これから御講演をいただくわけでありますが、後ほど高橋先生を交えての質疑、意見交換の時間を設けておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、高橋先生、よろしくお願いいたします。
○高橋明講師 それでは、お話を始めたいと思います。高齢者という部分を除きますと、これはもともとは障がい者なのですが、障がい者が住み慣れた地域でともになれ親しんだ方々とともにですが、暮らすためのシステムづくりというのは、リハビリテーション施設協会という、リハビリテーション団体と並ぶ大きなリハビリテーションの協会がございますが、そこがたしか1977年から掲げているテーゼでございまして、御依頼をいただいたときにちょっと懐かしく聞いているところです。同時に、だんだん高齢社会が進んでまいりまして、皆様方がある意味切実に感じている義務になってきたのかなと、こういうふうに感じているところでございます。このテーマにつきまして、一応ここにございますように問題の概要と、それから対策ツールとしてのリハビリテーション、そして最後に、うちのいわてリハビリテーションセンターも開設以来16年になりますが、残念ながらこの組織は実は未完成であると。最初の昭和60年ごろだと思いますが、そのころの開設の理念とかプラン、そういうものは実は果たされていないということをお示ししてお話をしたいなと、こういうようにきょうは考えてまいりました。
 問題の概要でございますが、なぜこのような命題が浮上するのかということですが、そしてそれを私どもがどのようにとらえているかということでございます。そして、現実にどのようになっているのか、そして我々は死に場所を選ぶことができるのかと。では、その現実でありますところの隔離・隔絶・転地・転居、これがなぜ、どれほどのものなのかということをお示ししたいというふうに思います。そして、日本の社会保障の現実、日本は、そして岩手は幸せなのかということを考えていただきたいなというふうに思います。小泉前首相は聖域なき改革ですし、つい最近のお話でございますが、銚子の市民病院がやめる、やめないの話になりまして、そのときに、結果としては廃止になりました。これは、実は銚子の市民病院から15分ほど車で行ったところに、隣の町ですが、旭中央病院という巨大な病院がありまして、実際銚子の患者さんみんなそっちのほうに行ってしまっているから実はつぶれてもよかったのですけれども、何も実害がなかったわけですが、しかしながらそのときに市会議員さんたちが、これは命の問題なのだと、コンビニとかレストランの話しているわけではないと言い放ったわけですね。私これ実にそのとおりだなと、こういうふうに思いまして感動してしまったのでここに書かせていただきました。
 このグラフは国勢調査からとったものでございまして、大体昭和35年ぐらいまで本県の人口も順調に右肩上がりで上がってきている。本来だとこういうところに来ているのですが、ここから皆様も御存じのとおり少しずつ、少しずつ下がりつつあると。この中で非常に顕著なのは、15歳以下の子供の年齢の人口がどんどん下がってきているということですね。そして、同時に65歳以上の高齢人口がふえている。なのに、世帯数がどんどん上がっていく。これは一体どういうことかということでございます。少子化というのは、ここにございますけれども、高齢人口がふえているのに、そして生産人口のあたりがふえない、少しずつ減ってきている。だけれども、世帯数がふえている。これは、年をとると一人になっていくということを意味しているのではないかということで、ここに書きましたように老年人口の増大、それから世帯数の急増という問題がこの状態から見られるということができる。どういうことだということですね。
 そして、毎日診察室に座っていて、そして患者さんを帰そうとすると、自宅に戻せない人がふえている。理由は、老・老介護、そして実は奥さんあるいはだんなさん、お相手の連れ合いの方がやっぱり体に障害を抱えていらっしゃるのですね。つまり障・障介護ですね。障がい者が障がい者を介護するということ。激しくなると認知症の連れ合いの方がやっぱり認知症になってしまった方を介護しなければならない。こういう認・認介護というものですけれども、こういう状態がある。では、その方々を周囲の方々が支援できるのか。それがないのですね。ですから、自宅に戻せない。本来は自宅に帰れるレベルなのだけれども、いろんな事情により帰れない。やっぱりそれは地域の支援力がなくなってしまっているから。そして、きのうも私、一緒についてきた方、奥さんか一緒に住んでいる方かなと思ったら、ただのいとこだって言うのですけれども、独身だから、これ退院したときどうするのだ。そんなのばかり来る。独身の独居世帯の方がどんどんふえているのですね。どうするのだよ。そういう意味で、御家族がいらしても、本来は家族というのは最小限の社会単位だった。ところが、この家族が社会としての機能を果たさなくなってしまっている。もう家族の一員が障害になった場合に面倒を見れないのですね。経済的にもそうですし、心理的にもそうです。自分が倒れてしまう。そういう状況になって、要するに介護力ゼロ家庭ばかりになってしまっている。遠距離介護とか、実は私出身が東京の池袋でありまして、94歳の父親がおととしまで開業しておったのですが、去年ちょっと大病を患いまして私も遠距離介護をやっている身でございます。そういう方々がたくさんいるのですね。何かあったときにすぐには行けない。実はことしの2月に、腹が痛いから、もうすぐそばに都立大塚病院というところがあるのですが、そこに収容されていった。翌朝外科医長から電話がありまして、94歳の方、手術したことがないと。イレウスなのです、手術しないとだめなのです。本人は切れ切れと言っている、やっていいかと。そういう許可を求められまして、前も3カ月ほど私の病院に夏場1年ちょっといたものですから体力がある程度沈静化しましたので、お願いしますと言って、1週間ほどで帰ってきたわけですが、何かのときにすぐ駆けつけられないのです。何なのだろうという、そういう。いろんな格好でいろんなものが壊れていっている。それは社会変化と本当に言えるのだろうかということです。家に帰れないということは、我々行き場所、死に場所さえも選べない時代にもうなってきてしまっているという感じなのです。
 実際に自宅を離れて生活する人々、高齢世帯65歳以上ではどうなのか。全国では大体人口1万人当たり260人くらいですね。本県では高齢化率高うございますので、296人いらっしゃいます。どういう方、どういう格好になっているのかといいますと、これは福祉サイドのデータだけでございまして、医療サイドのほうは老健入所者が5,400人、認知症グループホームが1,200人、療養型病床については集計することはできませんので、どんなふうになっているのか実態は不明でございます。実態はかなりこれよりも多いだろうということになっております。そして、この本県の4万600人の方々の内訳はどういうことになっているかというと、お金がかかる軽費老人ホームだけが少のうございますが、全国平均に比べて例えば老人福祉施設を集計している。やっぱり全国平均よりもずんと多いと。そして、特養も養護老人ホームもやはり多い。ショートステイも多いという格好で、ある意味収容所ネットというベースがございましたが、本県の場合収容所県ということが確実に言えるということでございます。
 世帯数のほうはどうなっているのだということになりますと、昭和55年に比べて一昨年、3年前ですね、平成17年が総世帯数では全国平均では伸びていっているのですが、高齢の単身世帯ですね、じいさん、ばあさんがおひとりで住んでいらっしゃる。昭和55年当時は連れ合いを亡くしたおばあさんが住んでいるという、そういう状況だったのですが、今は男性も女性もぽんとふえてしまっている。そして、高齢夫婦だけの世帯というのがべらぼうにふえている。一緒にせがれや孫が住んでいるという世帯はずっとなくなってしまっている。こういうことになります。みんなどこに行くのか。みんな遠くの、例えば仙台であるとか、東京であるとか、京阪神に行っている。そういう格好でもう子供たちは自分の手元にはいないと。そういう状況の夫婦が圧倒的に多いというところでございます。長生きはしているけれども2人だけと。
 私どもが感じている、これは私だけではなくて診療に携わっている高齢の方々を診る機会の多い医師たちはみんな同じ印象を持っていると思います。高齢の老人世帯がどんどんふえている。おひとり様がふえている。これは若いときからずっと延長ですね。結婚しない方が非常にふえている。こういう方々は他人の介護だけが頼りであって、必需品というのは金かと。そして、そういう方々に共通するのは、今回メタボ対策だのなんだの言っておりますが、それ以前の問題で、御飯を食べることができない。吉野家さんとかそういう新たな定食サービスとかいろんなことをやってはきていますけれども、定型的な給食がございますと、昼は半分あるいは3分の1だけ食べるのですね。なぜ全部食べないかというと、残った分を夕食あるいはあしたの朝まで食べるということをせざるを得ないのです。御飯をもう食べられない、ひとりで食べるというのも難しい状況の人が、あるいはひとりで食べてもおいしくないから食欲が進まないのかもしれないし、そういう意味で非常に貧困な食生活に陥っている。そういう人たちは栄養がダウンしますので、また新たな病気を引き込むと、こういう悪循環になりつつある。そして、もう居どころがなくなってしまって、役割自身がもうなくなって、野積みされている車のポンコツ車と同じと、そういう状況が今はっきりしてきておる。行く場所がない。そしてまた、デイサービス、デイケア、介護保険サービスを見ますと、これはもうある意味どうしようもない部分があります。40歳、50歳の人をデイサービスに行かせますと帰ってきてしまうのですね。なぜかというと、供給されるサービスというのは70、80の、要は言ってみれば自分のおやじ、おふくろの世代向けのサービスなのですね。皆さん考えてみてください。皆さんに御両親いらっしゃる、今も御存命かどうかわかりません。だけれども、お子様はいらっしゃると思うのですね。お子さんと同じサービスを自分が受けたら楽しいかと。やっぱり世代間であるのですね。見ていて楽しい、あるいは共通の話題というのが。例えば、我々の世代というのは恐らくここにいらっしゃる方みんな長嶋のこと覚えていると思いますね。だけれども、今若い者に長嶋の話ししたって、「だれ、それ」って言います。そういうことなのです。そういうサービスを我々も提供せざるを得ない。・・さんだとそれなりの人間がいますから2つのサービスを同時に供給するということは可能かもしれないけれども、普通のところではそんな器用なことできません。
 なぜそうなったかということの一端として、時代は今治らない時代になってきた。どういうことかと言いますと、私どもは発展途上社会と言っておりますけれども、かつて例えば昭和25年まで死因の第1位というのは感染性呼吸器疾患、すなわち結核だったのです。それまで結核というのは若い人がかかるのですね。年寄りはかからないもので、若い人が結核にかかって、そしてそのことによってたくさんの人が死んでいったし、兵隊にもとられなかった、大きく人生が変わってしまったのですね。だけれども、同時にかかって死ななければ治るという、そういう状況があります。急性疾患の感覚的な一番の分類というのは風邪でございます。風邪はそのときにまかり間違って死ななければ必ず治るのです。死ななければ治るのですね。風邪を引いている、あるいは病気になっているうちに結核になって、山の中のサナトリウムにいた時期というのは人生の特殊な一時期だった。そして、それは例えば高利貸しが来ても自分は病気だからと言えば、高利貸しのほうも、では、治ってから払ってねって言って帰ったのですね。病者役割という独特の社会学上の役割像というのがあります。そして、医療サービスも集中管理であって、これはもうお任せ医療、他人が口出ししようたって口出しできる範囲ではなかった。そのときのキーワードというのは、すなわち人生で言う寿命でありました。そのときのリハビリの目標というのは、能力低下の対策ということと、あとその結果としての社会的な不利益に対しての克服、これが既往のテーマでございました。現代ではどうか。成熟高齢社会では、疾病の中心というのは慢性疾患になってしまう。そして、疾病概念として重要なのは、結局それは治るのか、糖尿病、高血圧が治るのか。高血圧は40年薬飲んだら治るのか、治りません。糖尿病もそれは膵臓の老化ですので治りません。治らないです、それは体が年とってしまったから。ということは、病とともに生きるということを、そう思うようになってしまうのですね。そして、病自身もむしろ自然な状態なのだ。その中で病者役割というの通用するか、しないです。病気でもやっぱり何らかの社会的な役割を遂行しなければいけない。やってもらわないと困る。そこで登場したのが障がい者役割。本人が病者役割とは区別された役割として登場してきております。そうなると、働かなければならないから、働いたその場所でいろいろな医療を受けなければならないということで、集中してやることができない。ですから、分散管理と、こういうことになりますし、医療は自身の選択、自分がどうするか、自己責任ですね。血圧の薬を飲まなければ飲まなくてもいい、そのかわりそのツケは自分で払う。こういう時代になってきております。そうなりますと、キーワードの部分というのは何になるかというと、人生の質、ここはもう達成されておりますので、あとは自分の人生の姿勢と蓄積。これがキーワードとなるわけです。そうすると、リハビリテーションの目標というのをいかに意義のある余生を送れるようにするかということに尽きてくるかと思います。
 生きていることが危険なのだと。これは認識しなければならない時代に今もうなってきてしまいました。治らない時代をどう生きるか。生きるということ、老いるということ、病ということはどういうことなのか。やがては死ぬという、この受容というものが必要ではないかということですね。きみまろの漫談で登場いたしますこのフレーズですね、そのとおりでございます。これはきみまろが初めて言ったわけではなくて、今から200年前に、失念いたしましたが、偉い哲学者も同じことを言っております。人生はおむつで始まり、おむつで終わると。その間が人生なのだということであります。ところが、現在の社会は契約社会でございまして、契約できる人間が人間であってそれ以外の者は人間でないと。赤ん坊どうなのだ、じいさん、ばあさんどうなのだ。でも、赤ん坊というのはかつての自分であって、じいさん、ばあさんというのは将来の自分でございます。ですから、昔から言われている、子供しかるな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だものというのは、もうそのとおりでございます。何かこれがどうも忘れ去られている時代になりつつあるなと。例えば、第2次世界大戦前後に活躍しました、内科医であって世界で最初の医療社会学者と言われているH.シゲリストという方いらっしゃいますが、この先生が言った言葉で、病気というのは文明がつくり出すのだと。これは文明によって病気というのは変わっていくのだということですね。
 その辺のところを押さえつつ次のコーナーにいきたいと思いますけれども。ノーマリゼーションあるいはノーマライゼーションという言葉がございます。これはどういうことかというと、もし強いて日本語に訳すなら正常化運動ということですね。正常化運動というからには、今現在が正常でないという認識があるわけでございますけれども、ではあなたが言う正常な社会というのはどういうことですかという、そういうことを聞かれたら、みんな知っているバンクミケルセンという、これはデンマークの厚生省の障害保健福祉課長。この方は30歳で任官して62歳だか65歳で御定年になるまで生涯同じ職にあった方です。厚生大臣とかあるいは総理大臣の信任を求めたのがあったわけですけれども、私は生涯これでいくと、これでいいと言って、ずっと同じ職にとどまった方です。その方がお答えとして言っているのは、どんなにハンディが重くとも、普通の生活ができるように環境を整える。もし、自分が障がいを持ったとしたら、自分ならどうして欲しいか、そういうことを考えればサービスマンとしてあるいは周囲の人として自分がどう立ち回ればよいかということが出てくるのだろう、こういうことでありますね。それをもって1956年ですか、このノーマライゼーションをそのまま法律に位置づけた最初の国になったわけでございます。その意味で、もしあなたならどのような処遇、どのような生活、どのような人生の最終章、老後を望むかということです。しかしながら、この問題の最大のポイントは非常に哲学的な理念ではありますが、これをどう実現するかということであります。このノーマライゼーションが日本に入ってきたのは今から大体40年か30年ぐらい前、教育畑から入ってきて、まだ医療の社会に完全に入ってきているわけではございません。リハビリテーションの世界では、リハビリテーション理念と非常に近いというかベースになっている。ほとんど同じころにでき上がった理念でございますので、病理医学をやっている連中はよく知っている。このように思います。
 私ども診ていて思うのは、血縁が希薄になってしまっている。地縁も希薄になっている。職縁も希薄になっている。この希薄な人々のえにし、このきずなをどうやって再構築するか。これは再構築できるのかということですね。家族というのは、本来生活をともにする人たちであって、同じかまの飯を食う者であって、そういうえにしがあるはずなのですが、これがどうもばらばらになってきている。おにぎりではなくて米粒になってしまっていると思うのですね。中でぎゅっと握っていなくて、それが外れるとばらばらになってしまう。ただ、そういう印象を非常に強く最近持つようになりまして、ではその辺をどうするのだと。医療というのはその中で地域のインフラでございますので、医療の再構築というのは地域自身の再構築につながるのではないかなという印象を持っております。
 そういうことで、地域医療リハビリテーション支援体制整備推進事業というのは、平成10年から始まりまして、本県でも最初の10年から参加しておるわけです。経歴の中にも書きましたが、私最初の厚生省の会議でも参加いたしまして、マニュアルづくりに監修いたしました。本県圏域に話がおりてきまして、連携指針ですね。地域リハビリテーション連携指針を平成13年に策定いたしまして、そして県内9つの保健医療圏に広域支援センターを指定いたしましたのですが、その病院、病院でいろいろな事情もあるわけで、みんながこの辺のところをうまく理解できるかと、そしてそのための人員を割けるかというと、そうではない。ですから、県内でも非常に頑張って日本の標準よりも上に行っているところもある一方、なんだそれでは、というところもございます、残念ながら。ただ、介護保険が平成10年に始まって、だんだんいろんな社会資源がふえるとともにいろいろみんなの意識が高まってきたということもあって、その差は縮まってきているなというようなのが私の印象でございます。ここにございますこの地域リハビリテーション、略して地域リハと言いますが、地域リハというのは何なのかといいますと、病院の中で行われる施設リハのアンチテーゼとしてもともとは出発しております。リハビリをやるのに病院の中でやる必要はないだろう、どこでもできるはずだよね。実際には、地域には兵隊がいませんので、病院から出向いてやっているということで、おのおののリハビリにとってみればものすごい負担になってしまっている。介護保険の中で点がつくようになっておりますが、お金のないところではできないという、余り伸びていかないという問題があって難しいと思います。一番大事なのは保健師さんなのです。その各行政機関におられる、市町村におられる保健師さんが大事なのですが、どこの市町村も財政が厳しいですから保健師なんか要らないだろう、橋のほうが大事だろうということで、そういうふうになってしまって保健師さんの首がどんどん切られて、私ども全然受け皿がなくなってしまって、話が進まないよという状況でものすごい苦労しております。今現在では、人々がその地域でそれこそ安全に、かつ慣れ親しんだ人たちとともに暮らすという、その目標を達成するための補完だったのですが、今のところに持ってきた設備ということにはなっておりますが、なかなかうまくいかないというのが現状でございます。
 身体障害者手帳というのがございます。これの現状はどういうふうになっているのかということなのですが、本県、昨年度末現在の集計では5万6,077人、20人に1人であります。バスに皆さんお乗りになったとされますと、バスの中には2人ぐらいはいなければならない。どういう方が身体障害者手帳を持っているかといいますと、3分の2は肢体不自由でございます。この部分ですね。ところが、金額ベースで一番でかいのは腎臓でございます。腎不全。透析の方が一番多い。その次に心臓のペースメーカーの方がいる。ほかの方ですね。そのほかに呼吸器が悪くなって酸素とか何かが必要な方がいらっしゃる。あと、人工肛門とか。最近道の駅でトイレに特殊な装置が備えられているようになった。直腸がんがふえていますので、直腸がんの方々のかなりの数の方が人工肛門になってしまう。この方々、排せつの部分がとても大変で、周囲に何かにおいが気づかれるのではないかということで外出ができないのですね。今まで全く世間はそういう声に配慮してこなかったのでトイレが全くなかったのですが、道の駅運動ができたときに私どもの仲間がものすごく働きかけをして叫んで、土木事務所にかけ合って、とにかくトイレを整備してくれと言って、かなりの道の駅にその洗浄用の設備を取りつけることができました。おかげで人工肛門の方も外に出られるようになってきつつあります。ただ、それ以外に障がい者はやっぱりみんながわからないところで自分の弱点というものを感じておりますので、なかなか外に出ない。東京とか大阪に行ってすごく感じることは、障がい者がまちにいっぱいいるのです。公園にいます。公園に行きますともうほとんど日常の風景として障がい者がいます。本県どうですか。まちに障がい者がいませんよ。異常ではないですか。20人に1人いるのですよ。なのに、障がい者がまちにいない。そして、その中身もほとんどは1、2級という重症の方が70歳以上だということです。9割方は70歳以上。だから、障害者手帳を持っている中の6割は肢体不自由であって、その肢体不自由のほとんどが脳卒中による高齢者ということですね。ここがまず1つ。だけれども、それだけではない、障がい者というのは肢体不自由者だけではないということ、それをちょっと強調してみたいなと、こう思います。そして、目が見えない方もやっぱりおられるのです。そして、耳が聞こえない方もやっぱりおられるのですね。その方々どうしているか。そういうことにも意識をめぐらせていただきたいなと、こういうふうに思います。
 リハビリテーションというと片仮名で非常にわかりづらいです。これは後でまた詳しくお話しいたしますけれども、理念的に日本人がリハビリ、本当に最後までわかるのかなというちょっと疑問があるところがあるのですが、日本の政府はリハビリテーションがわかりにくいので更生と訳しまして、更生医療と、このように言っておるわけですね。更生医療というのはどういうものかというと、ここに書いてございますように身体障がい者に医療を給付し、その障害を除去または軽減し、日常生活能力または職業能力を回復し、獲得させることを目的とする医療。このように言っております。つまり障害者手帳を持っている者は、職業能力を回復するということがやっぱり最終的な目標。それができない場合にはまず生活をきちっとできるようにということですね。そのためにこの障害者手帳を交付する。これが前提であります。そして、永続する障がいを対象とし、疾病を対象とする一般医療とは一線を画す。更生相談所の判定書というのは私ども医者が書いている、知らない人についてオーケーという判こを押す義務を負っておりますが、精神手帳、療育手帳とかと同じように、更生相談所の判定書に基づき、更生医療券に記載された医療に限られる。どういう内容になっているかといいますと、視覚障害でございますと、白内障の場合に水晶体摘出術、あるいは網膜剥離があったら網膜の手術をするとか、聴覚障害の場合は耳の手術をするとか、あるいは心臓の場合、先ほど申し上げたようにペースメーカーを入れるとか、腎臓の場合は人工透析をやるとか、エイズまでその対象となります。いろんなお金がいっぱい出てくるのですが、私どもの肢体不自由は本当にお金ないなという、ものすごく数はいるのだけれども、お金ないな。こういうところにあるわけでございます。
 ここでリハビリテーション医療を理解するということでありますけれども、リハビリテーションというのはまず理念だということを知っていただきたいなと思うのですね。医学の中でどういうふうな位置にづけにあるかというと、普通の内科とか外科とかそういったような一般の診療科が病理医科学というカテゴリーにいかされるとするならば、リハビリテーションというのは基本的に機能医科学ということになります。そして、病理医科学というのはその考え方、処置の底を流れる理念、これは医学モデルというのに書いておりますね。医学モデルというのはどういうものなのかというと、ぐあいが悪いとか、そういう症状が何で起こるかというと、それは病理というものがあるからであります。その病理を除去すれば症状は取れる。病理を除去するための薬とか、病理を除去するための手術、これをするわけですね。病理というのは原因があるわけで、原因をなくせば症状はなくなるではないか。典型は風邪でございます。ところが、では病理も病因もなくなっているのに症状だけがある片麻痺とか、あるいは切断された足とか、そういうものはどうしてくれるのだ、こういう問題が起こるわけでございますが、それに対して医学モデルでは語れない。そのときに生活機能モデルというのが必要になってくると言われております。これがリハビリテーションの一つの解決策ということでございます。
 それはまたおいおいお話しすることにいたしまして、もう一つの自宅を離れて生活する方々がおられます。これは生産年齢の方々でございます。全国は人口1万人当たり4.9人になっているのですが、本県では自宅を離れて生活する方々は8.2人と倍近い。どういうところなのか。障害福祉部分というのが圧倒的に多いわけですね。入所割合が高いです。知的援護についても入所割合が高い。特に身体障害の場合倍近いですね。それだけ本県では障がい者の入所割合が全国平均より高い。どうなっているのだということであります。
 私ども診ていてとてもこのゾーンに対して思うところは、まずリハビリテーション医療が未成熟だということでございます。どういうことか、実態どうなっているのだということになりますと、まず子供さんが30代、40代でありますと両親はまだ御存命で、元気なのですね。その方々が、ぐあいが悪くなってしまった子供、連れ合いや娘の面倒を見る。だけれども、その方々がだんだん年とっていっていますので、親亡き後の支援をどうするのだ、そういうところをもって、その人たちをどうするのだと言われるのですが、いずれその子供を介護する老親というのは、とてもつらいですよね。そして、やっぱり介護力ゼロの方々がたくさんおられます。家族の社会としての機能が全くなくなっているような方がかなりおられる。そして、先ほど申し上げたいわゆる役割業の話ですが、患者役割から障がい者役割に転換するということを拒否する方も多い。なぜかといいますと、障害ということの本質に職を失い生活できなくなるということがあります。障害というのは、手や足がなくなったということではないのです。そうした上で結局生活がなくなってしまう。生活のめどが立たなくなってしまう。それが障害の本質だからです。そのことを本能的に感じるから自分が患者だ、患者だと言って病院にすがろうとするのです。病院は何もできません。だって病院は医療をするところであって生活をどうにかするという場所ではないからです。どうしてくれるのだろう。病院長として、医者として私は皆様方に訴えたい。どうするのだよということですよね。彼らは居どころをつくれないのです。行き場がないのです。病院しか行くところないのですね。どうしてくれるのですか。
 対策ツールとしていろいろ世間が考えてきたことがリハビリテーションということなのですね。そして、何を、どう治療し、どこに向かうか。そこのところを考えてみたいと思います。
 リハビリテーション医療にはいろんなステージがあるのですが、まず普通に生活されていた方が救急車に乗って、救急車は毎日働いておりますけれども、中央病院なり医大に担ぎ込まれる。そのときに中央病院、医大では何をするか。まず治療するわけですね。そして、時間があればリハビリをやるという格好で一つの片手間みたいにして急性期リハビリが行われます。その後、今制度上回復期リハというのがあって、私どものところなんかそうですが、ここに入ってくる。では、ここでやることは何なのかといいますと、本質的にボディーイメージを損なわれた障害とか麻痺とか、あるいは機能がどんと低下したという状況が疾病というもののある意味本質でございます。自分の体ってこんなものだよねというイメージを私ども持っておりますね。それを身体イメージというふうに言っておるわけですが、そういう意味ではこのボディーイメージが損なわれてしまう。これを再構築していく。麻痺になってしまったのだから、切断されてしまったのだから、あるいは目が見えなくなってしまったのだから、おまえはこういうふうになったのだよ、おまえの体はこういうふうになったのだよ、だからこの体でもって日常生活活動能力をまたつくり上げようねというのが回復期リハの仕事でございます。ところが、これが数カ月でできるのかというと、なかなかそういかない場合も多うございまして、場合によっては1年そこら超えていく場合もあるのですが、厚労省はむごいことに6カ月で打ち切りということに今なっておって、しかも90日以内で頑張れなとしりをたたかれるものですので、どこの病院でも3カ月ルールというのがおのずとでき上がって、3カ月たつと放り出されるのだって、世間ではそう言っている。私どもがやっているのではないのです。舛添先生がそう言うのです。彼はつらいと思いますね。知ったら本当につらいと思います。どうするかと。病院もつらいと思います。もっと大変です。ただそうするしかない、現場で調整しているのですね。そういう話は舛添君に言ってくれよと自分も言いたいし、恐らくみんな言っていると思います。そうやって一応そこそこの日常生活活動能力を再獲得できた。そこでその人の生活スタイルというのを再構築する。それが地域リハのもう一つの面でございます。ですから、地域リハのことを社会的リハ、このようにも言っております。これがなかなかうまくいかない。あわよくうまくいって自立生活になればいい。それがだめでへろへろへろとなった場合、介護保険がやってくれるサービス。これもなかなか今、制度が始まって8年になっていろんな問題がきしみ出してきている。こういうところでございます。
 先ほどございましたその生活モデルなのですが、リハビリテーションの構造としてまずそういう患者さんを診たときに、目が違うみたいですね。あっ、形が動いている、ない。片麻痺にかかったな。いろんな特徴的な格好になる。では、これは治るのかというと、治らないから障害と言われている。現代医学では残念ながら足の種、あるいは脳みその種どこにも売っておりません。その意味で今の時点ではこれはどうしようもない。そして、先ほど申し上げたように、ではこれが障害の本質かというとそうではないのですね。このことによって職場にいられなくなって、職を失って、そして社会参加ということができなくなってしまう。ここが問題なのです。では、これをどうすればいいか。どうにもならないものを考えたって仕方ないでしょうとなるわけですね。そこで目をつけるのが、この部分なら操作可能だということですね。例えばこの部分に足がないというのであれば車いすをつけますか、耳が聞こえないというのだったら補聴器をつけますか、目が見えないというのだったら矯正できるものは矯正しましょうという格好で再び社会参加に持っていくということをやろうということでございます。我々の目標はあくまでも社会参加。社会参加というのは何も就業だけではないですね。だって高齢者の場合は一応もう社会に参加する就業という格好は引退されたわけですから。でも、人間というのは必ずその人にそれなりの役割というものがあるのですよということは、皆さんよく御存じだと思うのですね。それは例えば外出であったり、観光であったりというふうなこと。ではそういうことをどうやって達成するかということで、先ほどの生活障害モデルに合わさって、周りのものをうまくいろんな進化がなされてくる。
 周りを見渡していただければわかると思いますが、例えば先ほどの臓器機能、もうどうしようもないものに対してどうするのだということになりますと、透析をやるとか、補聴器をやるとか、ペースメーカーをつけるとか、眼鏡をやるとか、義手をやる、義肢をやる、そういうふうに補装具が臓器の欠損に対して直接的にそれを補てんする。生活というものであれば、例えば車いすであるとか、あるいは障がい者用のベッドであるとか、嚥下障害ということであれば機能食品であるとか、いろんなユニバーサルな食品というのがございます。そして、どんな状況の人でも着られるという格好でUDファッションというのもありますし、あるいは補助犬というのを法律でいろんなところに出入りできるようになっております。そして、建物を建てるときも、平成6年に整備されたハートビル法という法律がございまして、公共建物がバリアフリーでないといけないということになっているわけでございます。
 皆さん御存じかと思いますが、盛岡駅がものすごく便利になりました。それは、働きかけをしているからですね。逆にもうけを全部新しい整備新幹線につぎ込まなければならないJR東海は怒られてしまいました。おまえのところは何もやっていないではないかと。これは、JR東海の支線の駅に行きますともう一目瞭然であります。ホームの段差、それからエレベーターとかは一切ないです。JR東日本の駅は駅内に全部エレベーターとかエスカレーターがございます。それは障がい者がいろんなところに行けるように、空港も全部そういう格好で整備されておりますね。ところが、会社によっては、そういうのはわしはやらぬということを決めることもできるわけです。JR東海が典型的な会社でございます。みんなが一律にやっているかというと、そうではない。やっぱりその福祉マインドがあるかどうかなのですね。リハビリテーションマインドがあるかどうか。自分のこととしてとらえるのか、あすの自分もそうなるかもしれない。だから、現職のうちにそれを整備しておかなければならない。私どももそうであります。自分も救急を10年前にやっておりました。四百五十何枚の死亡診断書を書きました。全部不慮の事故であります。その人たちは、朝起きて死ぬまでの間、まさか自分が死ぬとは思っていないわけですよね。私救急をやっていて確信したことは、自分も必ず死ぬということであります。同時に、今確信しているのは自分も年をとってやがては障がい者になるということであります。ただ、私はある意味自分のためやっているということも考えられる。だけれども、同時に同じ世代に生きる者、これやっぱり大事にしたいですね。友達を大事にしたい、そういう思いもあります。もう私なんか実は同級生は2人も入院しているのですね。幸いに私のところに戻ってきました。だれでもあるのです。皆様方もいつなるかわからない。今のうちに自分なりに自分ができることでこれを整備しないとまずいですよ。ですから、私のところに通っている患者さんでもう長い人たち、今は血圧の薬ぐらいで世間話に通っているのですけれども、そういう方々に、あなたにとってリハビリって何だったのだねとお尋ねいたしますと、みんな同じことを言うのです。つまり人生を新しくつくり変えたことであるねと言われますね。これは私、ほうと思いました。だから、ここにスライドをつくってみんなにお見せしているのですね。
 そして、今リハビリということが入ってきたのは中国から、かかわり合うようになって入ってきているのですが、中国語で何と書くかといいますと、健康の復活と書くのですね。健康を再び取り戻すということなのです。意外にみんな思われるかなと思うのですね。健康というのは病気ではないことでしょう。
 では、健康ってどういうことなのか。こういうことでございます。健康でありたいというのは万人に共通する願いでありますので基本的人権です。健康が病気でないこと、これはWHOが健康って何だねと言われたときにぱっと答えが出ない状態に、一応健康とはこういうものだよねという、イメージを用意してございまして、1998年に一応こういう格好でまとめております。健康というのは、単に疾病や病弱が存在しないことではなくて、肉体的にも、精神的にも、これは、言語はスピリチュアルという言葉を使っています。一応適当な訳がないので自分は魂的にと訳したのですが、そして社会的にも安寧であって、完全に躍動的状態であることをいう。数年前まで私のリハ・センに北松園中学の1年生が見学に来てくださっていたのですが、彼らに聞きますと、大体10人ぐらいに聞きますとこのテーゼができ上がってしまうのですね。健康とは何だ。これは子供なら思いつくことなのですね。ところが、逆に大人にこれを質問しますとここでとまってしまうのです。そして、いい人は、ましな人ではこの辺まではできるのです。ところが、最後まで出てこないのが社会的にというこれなのです。社会的な存在でない人間なんていないでしょう。ひとりで暮らしているのってロビンソン・クルーソーだけですよね。その社会的任務というのが健康の重要なファクターであるということをみんな気がつかない。これは日本人だけなのかどうなのか私外人に聞いたことがないのでわかりませんですが、ちょっと非常に残念だなと、このように思いますね。社会的にどうなのか。つまり自分は周りの人たちとつながっているという気分を持っておれるかどうかということです。きずながあるかどうか。ここが非常に重要なことではないかなと私は思います。
 これは、リハビリテーションという言葉が普通はどういうふうに使われるかということを示す記事でございます。これ出典は1984年の3月12日でしたかね。アメリカの空軍隊の大尉でございますが、これにリハビリテーション、ガリレオズイメージという、ガリレオの印象が復権しつつある。こういうことですね。リハビリテーションというのはもともと復活するという意味の言葉でございます。ガリレオは360年前に地球が太陽の周りを回っているのだと言ったために、おまえは非人だということでローマ法王庁からすべての権利を剥奪されて失意のうちに死んだ。そして、さきのヨハネ・パウロU世が360年ぶりにそれは誤りだったということを謝ったのですね。ガリレオは立派な学者だったとみんなの前で宣言した。そのことによって彼の権利は復権された。そういうことでございます。そういうリハビリテーションという言葉を医療に持ち込んだのは、実は1943年のアメリカ合衆国のリハビリテーション協議会でございます。主導したのはアメリカの空軍大佐であったラスクという先生でございますが、この人は傷痍軍人。片方がナチスと、片方は大日本帝国と戦っていたアメリカが、その戦線から戻ってくる膨大な戦傷者、傷痍軍人をどうするかという、そのときに人権と社会保障の両立を兼ねて、障がい者を身体的、精神的、社会的、職業的、並びに経済的に可能な限りの有用性を発揮するように回復せしめることということで、リハビリテーション医療というのを開始したわけでございます。すなわち、初めからリハビリテーションというのが社会保障をどうするかという、そういうときに使われていた。では、日本国政府は傷痍軍人の方々に対して何をしたか。軍人恩給を支給して終わってしまったのですね。この人を社会復帰させるという、そういう考え方は持てなかった。
 ここで私がリハビリの説明するときに使っているやつなのですけれども、これ皆様方御存じですね。これはジェームズ・フック、海賊船の船長でありますが、彼をつけねらっているのがここにもおりまして、フック船長のこの手と、実は足も食べられてしまっているのですね。かじられてしまった船長は救急車で担ぎ込まれたのですけれども、県立中央病院に入院した。その後、手と足の治療が終わって、手がなくなって、足がなくなった状態でいわてリハビリテーションセンターに転院してきた。リハ・センターは彼に何をしたかといいますと、手をつけて、足をつけて、歩行訓練をして、生活訓練をした。そして、生活機能が復活したので、彼は非常に身だしなみにうるさい男だったのでこういう服をまた着せた。そして彼の仕事は何かというとピーターパンとチャンバラすることなのですね。海賊船を指揮することで、家族を呼んでまた船長として復活できるかと、彼が船長としての役目ができるならばというので、リハ・センターではさらに彼に戦闘訓練をさせる。そして、再びその能力が回復したので彼は海賊船の船長として復帰して、ピーターパンと再び戦っている。その過程がリハビリテーションということなのだよ。そういう説明をさせていただいております。これには義手をつくる人、義足をつくる人、その訓練をする療法士たち、日々の生活を指導するあるいは看護する看護師たち、膨大ないろんな職種の人間が携わるわけで、当然チーム医療と、そしてチーム福祉という格好になっていくのだということでなければならない。普通リハビリと言うとすぐ訓練ということになりますが、訓練というのは目的を達成するための一手段にしかすぎないのであって、実はその目的、原因が例えば腎臓、心臓であるならばそっちのほうの器材が当然必要になってくると。リハビリテーションというのは、先ほど申し上げたように理念でございますけれども、その理念を達成するための手段がいろんなのがあるのだと。ですから、リハビリテーション医療が存在しない科は産科ぐらいだと私は思っております。
 本リハビリテーションセンターは、実は昭和62年に建設命令が下されて、平成5年10月に稼動を開始したというふうに聞いております。私が参加したのが平成6年の1月からでございます。ところが、これが実は未完成のリハ・センターではないかということです。
 県が設置して財団が運営するという格好になっておりまして、財団の出捐は岩手県、医科大学と、それから市町村会が出捐をしております。出捐金額は、岩手医科大学と岩手県医師会が500万ずつ、市町村会が1,000万、残りが岩手県ということになってございます。
 中身がこういう格好になっているのですね。診療部と研究開発部、地域支援部、教育研修部。そして、機能回復療法部と看護部があると。こういう格好でこの地域社会に場を設けていただいて貢献しているということでございます。ところが、社会に戻す手段、地域社会との交流手段、それからテクノエイド供給、これは先ほどの船長の場合は義手と義足ということになります。そして、その人がどういう生活をしているかという面のフィードバック機構、こういう部分が本センターにはございません。すなわち、リハビリテーションを完遂するためのパーツの3分の2は欠落しているままの状態にございます。
 これは何もリハ・センターの話だけではなくて、子供はそうなのですが、普通の方々が医療を退院していった場合、どうしてもだめな場合授産施設であるとか、作業所であるとか、元の会社とか、家庭に戻っていくわけですが、そうではない。なぜか。不適応であるとか、不安とか、自信喪失があって戻ってきてしまう。戻ってきてしまう方々にまたそれなりの初期訓練を施してまた戻す。そして、また戻ってきてしまうというふうな、ぐるぐると回ってスパイラル構造というのが実際のリハビリテーション医療でございます。ところが、今まで皆さんの話を聞くと、みんな最初の一方通行、流れという格好で御説明なさる。実際はそうではないのですね。では、こういう格好に対応できているのか、残念ながらできていない。現場でうまく調整しながらやっていくしかないという、そういう格好でございます。そして、その人のためにもう少し時間が欲しいという場合に更生援護施設というのがあるのですけれども、本県の場合、私のほうでは今まで16年の間まず50人ぐらいを送り出している。その人が社会に戻れるだろうと思っていたのですが、戻った人はついぞ聞かないということです。何やっているのか。
 もう一つリハ・センターのお話しをいたしますと、診療部というのは100床ある病院形式をとってございまして、回復期リハビリテーション療養病棟があって、大体年間300人の対応ができる。自宅復帰率は7割ちょっと。どういう方いらっしゃるかというと、先ほどの手帳と同じ配分になってございまして、脳卒中の方が80%、脊髄損傷は県内で発生した80%がここにいます。脊髄損傷というのは、普通の病院で受けますとものすごく手間がかかるのでちょっと受けられないですね。お金になりませんし。しようがないので、お金にならなくてもやらなければならないリハ・センターがやる。技術も必要です。特別な技術が必要なのですね。それから、あと高次脳機能障害です。あと神経難病。そういう方々がいらっしゃる。非常に特徴的なのは、平均年齢が非常に若いですね。10歳ちょっと、場合によっては80歳ぐらいの平均年齢というのもございます。その意味でリハ・センターは若い人が利用している。なぜかといいますと、若年で社会復帰が期待される患者さんが選択されて私どもに紹介されてくるというところがございます。それにこたえるように療法士の数が非常に多数になってございます。県下最大のリハ・センターということになってございます。
 そして、障がいというのは重症から軽症までございます。そして、時間とともにいろいろ変わっていく。医療だけでいいというような方は、診療とか、そういった格好で受けるのですね。これは高次脳機能障害のモデルでございますが、その重症度と軽症度に合わせていろんなデバィスが並んでおりますが、本県の場合全部あるのですが、この辺はうまくいっていない。先ほどのスライドのように何でうまくいっていないかということで私ども調べました。そうしたら、どうもこの辺の連携がうまくいっていないというところがございまして、本来その療護施設でありますとうんとひどい人はここに、これは障がい者、若い人の特養でございます。こっちはデイサービスセンターとかそういうのが通常ございますね。そのほかにまちの応援団とか歯科とか必要なのですが、みんないらっしゃるし、こういう施設もみんなあるのですが、これがどうもうまくいっていない、流れていかない、調整する人がいないのですね。調整するのはだれなのだと、ではうちが調整するのかというと、うちはやっぱりその役目をしろと言われているわけではないのでやれていないということですね。ではやってしまうよと言いたいですけれども、それがちょっとなかなか難しいというところがございます。
 例えばこれが正常の脊柱、背骨でございます。それがねじれてしまった。いつねじれるのだと。子供のころにねじれてしまうのです。子供のころに病気になる。それが生まれたての場合もあるし、あるいは数歳になってなる場合もあります。そういういろんな状況でなっている。そして、体がぎりぎりになってしまう。これは2次的な障害なのですね。麻痺が1次的な障害であれば、このように体が曲がってしまうのは2次的な障害になります。ほかにどんなものがあるかといいますと、手足が固まってしまう、短くなったり変形してしまう、ひざが変なふうになってしまう。いろんな状況があるわけですが、そういうのをみんな麻痺に起こった2次的障害と言っております。では、どうやってよくするのだということになりますと、例えば車いすでその人の緊張をうまくほぐしてやる。そして、一番ニュートラルな当初に戻してやる、そういうふうなことをCTによって見る。高橋比奈子議員が去年支援してくださったので導入が加速してよかったと思って感謝を申し上げておるところでございます。ところが、CTにしろ、一番重要なリラクゼーションにしろ、補装具療法にしろ、こういったようなものが入ってきたのが実はここ数年なのですね。今までそれを知られていなかった。なぜかこうなってしまっている、ということでございます。どんどん日々新しくなっている。
 これは今センターがどんなことをしているかということです。これは私どもがやっている地域支援事業なのですが、この中で私ども県から委託されて各県内のいろんな方々、直接この領域に携わる方に現任研修をやっておるのですが、これは去年やったシーティング啓発事業、これをやっている。ことしもやっておりますけれども、この中でアップ・ツー・デートな、とにかくこれを身につけてほしいということを研修していただいて、この中で盛り上がってきたなというのを要領にまとめて学会とか、研修会とかそういう格好でさらに高めていただく。私どもの知らないこともいっぱいあるわけで、どんどんこれからそれを気づいてくれた方が新しい治療法、新しい対策方法を考えていただければベストなわけですね。とにかく質はもう数でしか確保できませんから、いかにして自分たちの仲間をふやすかということが私どもの一理でございます。そのための研修会としていろいろさせていただいて、もう10年以上になりますが、そこそこの効果は上げてきているということは確かでございます。
 ここでもう一回強調したいのですが、最終医療の芽というのはどうするのだというふうに思っている。だんだん年をとっていく子供を抱えた御両親、この辺をどうするかということになります。それから、患者から障がい者への転換拒否をする人、とにかくあなたはまた働かなければならないのだよという、そういう働きかけを積極的にしていく仕組み、こういったものが今後必要でございまして、必須でございますね。なぜかというと、収容していくだけというのは、その人たちを間接的にばかにしていることになるわけですね。だから、収容するだけでよいのかということ。であれば、今度は生活をどうやって再構築するのかという問題があります。その意味で今の場合は福祉のほうもいろいろな方向、当事者同士が互いに解決能力がないままで時間を過ごしていると。この状態をいつまで放置するのかというのが私の感想でございます。
 本県以外のリハ・センターはどうなっているかといいますと、この医療施設と、そして反対側に福祉をびしっとやっていく、医療ベースの一緒にやっていく更生援護施設というのがございます。これが間に更生相談所を挟んだ構造になっているのですね。そして、両方にまたがるテクノエイドセンターというものがあって、そして研究、行政課題でありますとか、地域支援でありますとか、そういった私どもがやっているようなことを展開している。リハビリテーションというのは、繰り返しますけれども、医療と福祉の複合体でありまして、障害というのは時間とともにその方が生きている限り体って変わっていくのです。その障害というものに対して、動的、時系列的に対応していかないと本当は対応していることにならないのですね。はい、では傷だからマーキュリー塗りましょうなんて、そういう瞬間的な話ではないのですね。その意味で2次障害を予防できるというのはリハ・センター組織、こういうふうなシステムになったのはリハ・センター組織だけでございます。
 まず、生体に関する医学的な発見というのは今も続いておりまして、例えば褥瘡。私らの卒業した昭和50年ころ、病院にお金をもらえるバイトで、私が何を診療やっていたかというと、ちょうどここのところ、あるいは肩甲骨に床ずれがあって、そこからこんな長いガーゼがぐるぐるっと入ってしまうのですが、そこにガーゼを詰めることだった。うみを外に吸い出すことだったのですね。ところが、今そんな褥瘡どこにもありません。なぜか。看護師さんが床ずれつくるのは看護の恥だということで、体位交換するようになったのですね。昔の看護師さんは3時と10時にお茶を飲んでいたのです。今3時と10時にお茶を飲んでいるなんていったら院長に言ってひっぱたきますね。働いているのだから。例えば、嚥下障害、私昭和62年に恩師金谷教授の命で雑誌に総説を書きました。対策は何もございませんでした、そのころ、世界じゅうの文献を集めたのですが、今はございます。私どものホームページで調べていただけると、専門外来をつくっております。対応ができるようになっていますね。高次脳機能障害もそうです。ずっと騒いできました。でも、それもリハビリやるようになって初めて気がついたのですね、私。だから、知らない先生を責めません。どんどん進んでいくのですね。だけれども、そういう意識がないと新しい技術を取り込むことができないし、それはみんなに還元することができないのです。だから、どんどんそういうことをやっていく技術力というか、モチベーションを持った組織が必要なのですね。その流れでいくとみんなそういうサービスを受けることができる。今嚥下障害に対して対応できない病院なんかいっぱいあります。高次脳機能障害なんてなおできません。知らない病院の先生だっているのですよ。どうしてもばらつきが出てしまうのですね。対応も日々更新されているので、やっぱりきちっとしたそういう組織が必要なのです。
 例えば、この写真、同じ方でございます。皆さん、これ見てどう思われます。同じ人です。これ最近かって皆さんお思いになりますよね。一番最近、この写真のうちどれだと思いますか。こっちだと思います。これ平成17年なのですね。何でかなということですね。この方どういう方かというと、80歳の男性で、今まで3回あたっているのですね。3回あたって、2回目のときについにおうちにいられなくなって施設に収容されたのですね。そこの歯科を担当している先生から紹介されてどうにかならないかと、すごく変わった御飯の食べ方するから、あなた嚥下やっているのだから、ちょっとどうかしてくださいよって、平成15年6月8日にこちらに来られて、そして食べられるようになって、そして久しぶりというか、ほんの何年かぶりに声を出したのですね。ある日、朝回診して、○○○さんとおっしゃるのですが、○○○さんと言ったら、何か私に呼びかけてきたのですね。ふっと見ると、あっ、○○○さん、言葉しゃべれるようになったの。言葉をだすのは何年かぶりだったそうです。そして、また再び歩けるようになって、また書けるようになってお帰りになりました。今は自分史を書いていろんな俳句や短歌や何かをおつくりになって元気で暮らしておられると。これが去年の夏に撮影された。きちっとリハビリすれば、最初の平成11年にこんな格好にならずに済んだわけでしょう。こういうふうになってしまったというのはだれが責任とってくれるのですか。簡単になってしまうのです、みんな。あなた方だったらそうされたいですか。たとえ脳卒中になっても、こうなっていたいですよね。だれがいいと言ったのですか。人手と時間とあと器材がかかるのですね。だけれども、我々だけではだめでみんなが協力してくれないとこれはできないのです。みんなが理解してくれないと。だから、その意味で医療というのはやっぱりリハビリテーションも医療であって社会保障なのですね。その辺をちょっと考えていただければいいかなと思いますね。
 これは私どもいろいろやっていることなのですが、去年からやっているのは排せつケアですね。だれでも隠しておきたい、でも隠しておきたいだけで済まないよねというのが排せつケアですね。今後はこういうものを次々と予定しています。これ今週の日曜日に第3回の福祉のまちづくり、このアーケード街を使って皆さん方に最新の情報を提供するというイベントをやりますので、皆様方ぜひ来ていただればいいかなと思っております。
 今さらと思うのですけれども、医療費というと何か医者がポケットに入れているように思われますが、医療費の半分というのは製薬会社とか器材メーカーとかいろんな業界に流れていって、半分しか人件費としてもらっていない。そのほかにもまず膨大な数の看護師とか、薬剤師とか、私のところですと何十人、50人近い療法士がいるわけですが、そういう人たちの給料になっていて私には全然入りません。強調しておきますけれども。みんな言います。おまえ、よくあそこにいるねって。何やっているのって。もうあとおまえ余命幾らもないのだぞと言います。でも、私は障がい者を捨てたくない。気の毒だものね。病床数が足りない、足りないと言うけれども、そんなことないのですね。これは厚労省がごまかしているだけなのです。日本の病床数は、本当は今不確かなのです。いろんなことで区分けしている。適当にやって、本当役人うまいなと思いますね。実は日本の病床数は多くないのですね。あと皆さんに強調したいのは、私は脳外科医だったのですが、脳外科の手術料は、命かかっているにもかかわらず66万円なのです。死ぬかもしれないですね、私が失敗すれば。死んだら訴えるのでしょう、みんな。それなのに何で軽自動車の100万円はぽんと出るのですか。おかしいと思います。そして、パチンコ業界の総売上高31兆円です。文句言われている医療費が32兆円です。おかしいでしょう。パチンコ業界の売り上げと。そして、手術代66万円しか払わずに何でお葬式だと200万とか300万だと払えるのですか。この葬儀産業が15兆円もあるのですね。文句言われている、死んだ人にそんなにお金つぎ込んで恥ですよ、先祖供養は大事だけれども、生きている人のほうがもっと大事ではないですか。おかしいですよね。家計費に占める医療費の割合ですが、G8の平均が3.3%なのです。アメリカは18%なのです。だから、病気になるとみんな低所得者層に転落してしまうのですね。中間層がなくなってきつつあるのです。ちょっと病気すると、あっという間にその医療費に持っていかれてしまう。そういう社会がいいのかということですよね。日本はどうなのかというと、日本は11.1%です。中間ですよね。もしかすると社会保障というのは公共事業かもしれないですね。新しい公共事業と考えたほうがむしろいいかもしれない。そのほうがみんな幸せになるのではないかなと思っている。道路も重要ですよ。道路がないと救急車は走れませんから。その意味でみんな重要なのだけれども、公共事業のあり方を考えたほうがいいのではないか、そういうふうに思います。思い切って意識を変えてしまったほうがいい。
 最後のスライドでございますけれども、ちょっとこの場をかりて訴えたいなと思うのは、いわてリハビリテーションセンターというのはいつになったら完成するのかということです。基本構想のこんな厚い冊子を実は私も持っておりまして、この基本構想の中に書かれている20年前の現況と今は何も変わっていないですね。高齢の対策の介護の部分だけは制度ができて整備はされました。だけれども、それ以外のことに関しては、そのときから進歩したのかというと全然変わっていない。単に収容しっ放しであります。若いのも年寄りも。それで、今こそ未来志向の行動を起こすべきだと思うのですが、何か私のところに降ってくるのは金の話ばかりで、よそのところ、神奈川県はお金持ちだからちょっと比較にならないのですけれども、神奈川県なんてこのリハ・センターに300億もぶち込んでいるのですよ、毎年、300億。横浜市だって50億に近いですよ。隣の秋田県だって47億ぶち込んでいるのですよ。私は3億でがんがんいじめられます。どうにかせいと。本県にお金がないのは私も知っております。ですから、私も頑張りました。半額以下に減らしました。それでもまだいじめられております。そして、整備しなければならないのに、リハ・センターは完成していないのに稼げ、稼げと言われております。だけれども、実は目的を達成するのにそんなに大金は必要かというと、そうではないのです。パーツがありますからね。統合してしまえばいいのです。そして、もっとたくみな仕組みをつくればみんなが幸せになれる、そんなにお金は要らない。多少のお金は要ります。だけれども、そんなに膨大なお金は要らないですね。
 まず、その辺をひとつ先生方にお願いして、ちょっと長くなりましたが、お話を終わらせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。
○三浦陽子委員長 先生、ありがとうございました。今の現状、そして課題、岩手県にとってリハビリテーションセンターの本当に重要な位置を占めていること、すごくよくわかりました。
 これから質疑、意見交換を行います。その前に委員の皆さんを御紹介させていただきたいと思います。向こうのほうから、千葉伝委員でございます。平沼委員でございます。工藤委員でございます。高橋比奈子委員でございます。吉田委員でございます。小西委員でございます。佐々木委員でございます。千葉委員でございます。斉藤委員でございます。伊藤委員はちょっと席を外しております。
 それでは、引き続き意見交換を行いますが、ただいま御講演いただきましたことに対しまして質疑、御意見ございましたらお願いいたします。
○千葉康一郎委員 大変いろいろ貴重なお話をいただきましてありがとうございます。ちょっとお伺いしたいのですが、平成5年にいわてリハビリテーションセンターが稼動したということで、それからずっと今まで同じようで、早く言えば他県と比較してかなりよくないというか、悪いというか、未完成だというお話を大変強調されておりました。そのことだけが非常に頭に残っております。そのずっと未完成となっている原因というのは、本質は何なのかというのを先生からずばり言ってもらいたいのですが。というのは、これは認識の問題なのか、あるいは制度上の問題なのか、さっき金はそう問題ではないというふうなお話なのですけれども、それも入っているのか、そういうふうな内容をひとつ。先生はどうしたらいいのか、その辺をずばり言ってもらえないでしょうか。どこにメスを入れればこのリハビリテーションセンターが完成するというか、大きく寄与するのか、その辺をちょっとお聞きしたいと思います。
○高橋明講師 これは、最初の基本構想、書き物がございまして、また先ほどお示しした中で、やっぱり国もそうですし、ほかの都道府県のリハ・センターもそうなのですが、保健と福祉からお金が来ているのですね。そして、両方が希望する仕事をやらせられている。そういう格好になっておるのでございますが、本県の場合、これの建設命令が下ったときに残念ながら医療と福祉は別な課で、その間の調整がつかなかったのですね。環境保健部というのが医療を担当していて、生活福祉部が福祉を担当している。これの調整に手間取ってしまって、医療だけでやっていくということが、そのときのある意味見切り発車の原因になってしまって、ほかのところのようなあるべき姿がとれなかった。それが原因でございます。今は保健福祉部という格好で統合されましたので、その枠組みの中で今度は課を超えてやっていただければ、私どもとすれば本望かなと、こういうふうに思います。所轄が医療国保課になるのですね。それで、設立の最初のテーゼが来るべき高齢社会にも耐えるとなっておって、長寿社会課が一番いろんな格好で私どもを使っていただいている。あと、障害保健福祉課は従になっていて、保健福祉部全部と均等に使っていただければ、そういう組織になれば一番いいかなというふうに、現場の者からすると思います。
○千葉康一郎委員 わかったようでわからないなのですけれども、いわゆる今の現段階ではそういう組織上の大きな問題にあるというふうに先生おっしゃりたいわけですね。
○高橋明講師 この中に、18ページのこの上の図でございますが、そういった格好になっていれば一番オーケー、とりあえずはこういう格好になっていればいいのですが、今現在はこの医療施設だけがないのですね。
○千葉康一郎委員 いわゆる環境福祉部内の連携というか、そういうようなものが……
○高橋明講師 うまくいかなかった。
○千葉康一郎委員 とれていないと。今でもとれていないと。
○高橋明講師 ええ。うちのに関してはですね。そこそこうまくいっているから続くのではないかと思うのだけれども、それでだと思いますけれども。
○三浦陽子委員長 よろしいですか。
○千葉康一郎委員 ええ、わかりました。
○斉藤信委員 リハビリセンターをつくられて15年ですかね。先生は、全然その当初と変わっていないのだと。これは衝撃的な発言、それにしてもリハビリセンター大変重要な役割を果たしていると思うのですが、急性期リハは中核病院、そしてリハ・センがあって、その後の地域リハを担うところが私は全然見えないのですが、そこらの点でどうなのかと。今の質問と絡むかもしれませんが、先生最後に統合が問題だと言った意味はどういうことか、統合という点の意味をちょっと教えていただきたい。
 あともう一つ、今、日数制限されましたね。これはNHKでもかなり取り上げて、特に東大名誉教授の多田富雄さんは大変切実な訴えを朝日新聞に出されて、本も出されて、鶴見和子さんがその年に亡くなってしまうという大変深刻な事態が今も続いていると思うのですが、回復リハはかなりやっても、しかし日数制限もあると。私は、その後の受け皿がないものだから、そういう点でいけばやっぱりリハビリ難民が毎年毎年今生まれている状況になっているのではないのか。いわば……
○高橋明講師 どんどんです。
○斉藤信委員 そこらの、これはもう自民党に撤回してもらわないとだめなのだけれども、ただこの多田先生その他の訴えを聞くと、学会は反対しなかったではないかと、こういうのもあるのですよね、そういう意見もね。私は、医学的根拠は何もなかったと思うけれども、しかしそれが社会保障費削減でもう削減対象になってしまってね、続いているというところを、本当にこれも今打開しなくてはならないのではないか。介護の受け皿もないしという、ちょっとこの2点だけお聞きします。
○高橋明講師 やっぱり私自身は、リハビリ難民、介護難民がどんどん出てきているということはもう確かで、どんどんいくだろうなと思いますけれども、結局その地域の中で、これって大変だよねっていう意識が、それに対して人に頼るのではなくて、昔は全部地域の中でうまくやっていたのですね、何らかの格好で。もちろん長く生きた方が多くはなかったので、障害を受けられた方自身が本当まれだったのではないかなと、こういうふうに思いますけれども、障害へいく前に死んでしまっていたのですね。最初のあたった時点で亡くなったということもあるのですが、その意味で遺伝性というところもあると思うのですが、であるならば余計に人間、病気というのは文明がつくるのだという、最初の、社会学者のシゲリストが言ったように、その文明があるところの地域社会、外部が地域社会ですから、これがどういうふうに考えるかという、そこが重要で、そこの地域社会の意思によってその人たちをどうするか、そのための人を呼ぶというのがやっぱり私は先にあってしかるべきではないかなと、こういうふうに思いますね。それがやっぱり並行しないと、どんどん医療に携わる者も疲れてしまいますよね。やってくれないではない、僕らやってくれないと言われるばかりで、もうある意味厚労省のウ飼いの身です。きゅっとしめれば何もできないですよ。ひどいではないか、ひどいではないかと言われたってどうにもならない。厚労省に何か言うのはやっぱり世間なので、どうするのだよという地域社会の声が先行しないと、もう自分たちで無理ですよ。我々はインフラですよ。
○三浦陽子委員長 統合についてもですね、斉藤委員、統合という意味。
○高橋明講師 統合の意味は、結局何らかの格好で、ほかはみんなこれでうまくいっているわけですよね。余り大してストレスなく。ただ、やっぱり今いる職員がきっちりそのことをわかって、ある意味その仕組みを超えて一生懸命やっているうち、やられているうちはいいのですけれども、それみんなやがて引退しますので、そういうところから来たのが幹部職員ほとんどですので、彼らがやめていったときにあるべき姿がわからないわけです。例えば、ではこれで自分の足でやっていきなさいよと言われてしまった場合に、こっちの福祉の部分というのは全く採算合わない部門なのでやれませんよ。そうなるといわゆる病院機能だけになってしまって、そこまではやってくれるのがなくなってしまう。やっぱり形を、おまえの仕事はこういう仕事だよということを機構の意味でびしっと残すという、それが今必要ではないかな。だから、物があるのです。例えば、更生の施設というのは更生局というのがちゃんと別に、その更生相談センターの中に更生相談所というのがありますので、そしてテクノエイドセンターもあのビルの4階だかにあるのです。だれも行かない、忘れ去られた存在として。そういうのもちゃんとあるものを仕事するようにどんどんくっつけてしまえばいい。同じく、その敷地の中に。そして、こういうシステムでやろうなとわかるような仕事ということがやっぱりわからないと、若いやつも職員も入れかわっていったときにそいつらもわからなくなってしまう。自分もそうやっている。それではだめです。若いころはまず自分が頑張ればいいと思っていましたが、だけれども私これで10月来ると還暦なのです。だんだん自分も死ぬのだなとわかってきましたので、まず今のうちにちゃんとしておかないとまずいなと。これ先生方にお願いするしか。
○三浦陽子委員長 よろしいですか。そのほかにございませんでしょうか。それでは、私もきのう常任委員会で、先ほどちょっとお話ししたのですけれども、県立療育センターのほうに伺ったときに、そこでやはりリハビリテーションセンターとその機能分担をしたほうがいいのではないかというような提言がたしか、千葉委員長のもとでいろいろお話があって、そこにつきましてちょっと先ほど時間あったときお伺いしたとき、今の統合ということをお話しされたと思うのですけれども、やはりリハビリテーションセンターと県立療育センターをもっと包括的に取り込んだ組織をつくったほうがいいと。
○高橋明講師 私はむしろ、今してしまったほうがいいと考えています。そのほうが資源的に無駄がない。全然違うものなのですね、療育とリハビリというのは。例えば、先ほどもちょっと委員長、さっきのごあいさつで申し上げたのですが、私のところで来たやつで一番小さいのが2歳が来ているのですが、例えば小学生あたりというのが時々来るのですが、小学生ぐらいですと何で前のようにできないのだ。リハビリの患者みんなそうなのです。前のようにできない、以前のようにできないと。だけれども、療育だとそういう前という経験がないので、ほかの人生を歩んだことがないので比較するものがないわけです。こうだと言われると、ああ、そうですかと言われて、むしろ彼らの場合は障がい者という垣根をなくしていくということが大事です。障がい者だという、小さいころから言われているというか、何だかよくわからないけれども、障がい者と言われる存在なのだと思い込ませている。だけれどリハビリテーションの場合は、必ず元気だったときの前の自分というのと現在の自分を比較しますので、違うのだけれども、そこのところをちゃんときちんと考慮した上で、同じ資材を使っていく、資源を使っていくというのが、むしろお金の問題の前にそれが重要ではないかと思います。お金あるのだったらこれでもいいですけれども。
○三浦陽子委員長 それでは、そろそろ時間となりましたので、ほかにないようでしたら本日の調査はこれをもって終了いたしたいと思います。
 高橋先生、本当に本日はお忙しいところまことにありがとうございました。本来ならばリハビリテーションセンターに出向いて皆さんといろいろとお話ししたかったところだったのですが、こんな形の機会を設けていただいてありがとう存じます。先生の御活躍を心からお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。
 それでは、委員の皆様には、次回の委員会運営などについて御相談がありますので、しばしお残り願います。
 次に、1月に予定されております次回の当委員会の調査事項についてでありますが、御意見などはございませんでしょうか。
○斉藤信委員 医師不足と、あと恐らく1月であれば公立病院再編のプランの指針ですかね、県立病院の再編の計画も出ているでしょうから、ぜひそういうテーマでやっていただければと。
○三浦陽子委員長 そのほかにございませんか。それでは、今いただきました御意見を踏まえ決定したいと思います。なお、詳細につきましては当職に御一任願います。
 以上をもって本日の日程は全部終了いたしました。本日はこれをもって散会いたします。どうもお疲れさまでございました。ありがとうございました。

  

【戻る】