産業振興対策特別委員会会議記録

産業振興対策特別委員長 小野寺研一
1 日時
  平成18年8月2日(水曜日)
  午前10時5分開会、午前11時40分散会
2 場所
  第3委員会室
3 出席委員
  小野寺研一委員長、新居田弘文副委員長、佐々木一榮委員、川村農夫委員
 大宮惇幸委員、平野ユキ子委員、菊池勲委員、平澄芳委員、小原宣良委員
 亀卦川富夫委員、阿部富雄委員
4 欠席委員
  佐藤正春委員
5 事務局職員
  小船担当書記、佐々木担当書記
6 説明のため出席した者
  株式会社 エフビー 代表取締役社長 田鎖巖氏
7 一般傍聴者
  なし
8 会議に付した事件
  産業の人材育成について
9 議事の内容
○小野寺研一委員長 おはようございます。ただいまから産業振興対策特別委員会を開会いたします。
 本日、佐藤正春委員は欠席とのことでございますので、ご了承願います。
 これより本日の会議を開きます。本日は、お手元に配付いたしております日程により会議を行います。
 これより産業担い手育成雇用対策に関する調査を行います。本日は、講師として株式会社エフビー代表取締役社長、田鎖巖氏をお招きをいたしておりますので、ご紹介を申し上げます。
 大変ご苦労さまでございます。田鎖氏のご略歴につきましては、お手元に配付しておるとおりでございます。本日は、「産業の人材育成について」と題しまして、貴重なお話をいただくこととなっております。
 それでは、ただいまから講師のお話をいただくことといたしますが、後ほど講師を交えての質疑、意見交換の時間を設けておりますので、ご了承願いたいと思います。
 それでは、田鎖様、よろしくお願いを申し上げます。
 (パワーポイントにより説明)
○田鎖巖参考人 おはようございます。お招きいただきましてありがとうございます。だれかがやらなければならない仕事を皆様がやっていることに本当にすごいなと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
 私は、大した略歴も何もありませんで、以上なのです。昭和21年に宮古で生まれまして1975年、昭和50年に、何でもよかったのですが、自分がしたいことがあって、そのためのお金を得るためであれば何でもよかったのですが、やった仕事がコネクターだったと。結局は、それにはまって今日があるといいますか、そういう状況でございます。
 コネクターというのは、こういうところにいっぱいついているのですが、私どもの会社でつくっておりますのは、基板の中に入るコネクターというのですか、皆さんがお持ちの携帯電話のプリント基板等、画面をつなげてくる裏側なのです。中に入っているので、こういう外づけのというか、インターフェース用のコネクターはもう中国とか向こうでつくっておりまして、一式幾らというような単価になっていまして、こういうのをこさえないと、この地域はビジネスが成り立たないといいますか、そういうような状況です。
 ことしの3月が32億円と、社員数は今は275人いるのですが、そういう中でいろいろと私の言った言葉に対して、私が望んでいない、考えてもいないような答えが現場から出るわけです。それって何なのだろうと悶々と30年やってきまして、あるとき気がつくことがあって、先ほど一番最初のところにありました寺子屋を開設して、第6期が先月終わりまして、大体卒業生というか修了生を200人ほど出しています。ことしの下期に第7期をまたスタートさせますが、そういうお話はこの後していきたいなというふうに思っています。
 きのう、おとといにテレビというか、報道なんか見まして、やっぱりこの地、宮古でああいう仕事をやっているというのはもう知っている人が少ないというか、だから人が集まらないのか、いろいろ私もそんなことを聞きながら、ではこの先どうあればいいのかなというようなことを絶えず考えながらいるのですが、かといって人材がそろえば、地場が消費地ではありませんので、やっかいな話でもあるのかなというような気がしたのですが、そういう世界の人たちが使うような電子機器に使われる部品をつくっているところが宮古にあると、こういうことだと思うのです。どの産業もそうなのでしょうが、いいものを安く、どこの国もどこの会社もだれがつくろうと、いいものが安ければいいという物の考え方にありますので、それをどうやってやるかですね。人件費は当然10倍、20倍の中なので生産技術力を高めて、過去の失敗経験をどう生かすかというところの中で、多分私らは生きているのだろうというふうに思うのです。
 大体私らの会社で月3,000万個ぐらいつくっているのです、先ほどの小さいデジカメとか携帯電話とか、あとは今いっぱい出ていますマックとか、アップルから出ているアイポッドといいますか、子供さんが欲しがると思いますが、ああいうものの中に入っているのです。だから、そういうものの中に入るから、つくれれば世界の市場が待っているといいますか、私たちの取引相手の東北ヒロセ電機さんというのが宮古にあるのですが、大体1カ月2億個ぐらいつくっていると思います。私らみたいな会社さんが全国にあって、それでも去年の暮れごろは間に合わなかったです。この4月に来てちょっと落ちているのですけれども、8月後半からクリスマス商戦に向けて、また忙しくなってくれればいいなというふうな思いなのですが、多分なると思うのですけれども。
 そういう中で、岩手県の方でも人材育成ということを、ここ3年ぐらい言い出して、私もその委員に選ばれているし、いろいろ皆さんのお話を聞く機会もあったし、私の普段考えていることを話して、そういうのが多分きょう呼ばれたことの一つかなというふうに考えています。
○小野寺研一委員長 社長さん、お座りになって、もしよろしかったらお座りになってください。
○田鎖巖参考人 座っても立っても余り身長は変わらないので。
 私らは私らで反省しなければならないといいますか、あるのですが、何も知らないでつくってさえいればいい時代というのもあって、その中でもそこそこ食えたのでしょうが、円高のころといいますか、海外展開が一挙に進みまして、目の前にあった仕事がなくなるのですね、翌日。そういうことも経験して、もっと小さいもの、もっと小さいものをという中で、それをできたところが今残っているといいますか、コネクターというのはやっかいなもので、かつてのハーモニカみたいなコネクターは今でもあるのです。それというのは、たとえば新幹線の信号系なんかに使っているやつなのですが、結局20年も30年も屋外で評価しているようなものですから、幾ら今みたいなコネクター、高性能で小さくなったからといって、怖くて使えないのです。やっぱり盛岡でトラブルがあれば盛岡の人が直さなければならないですから、そのときはやっぱり実体性のある太い線がついているやつの方がいいわけですし、東海道新幹線からずっと評価しているのと同じですから、そういうコネクターもあるのです。ただ、日本でつくるとコストが合わない。ですので、そういう小さいもの、より高性能のものをつくって、今は事業の柱にして、金型から量産、アッセンブリーまで一通りできます。
 そういう中で、社員のレベルが上がらない限りそういうことができるわけではないなというふうに、それに気がついたのですかね。それまでは小さな会社ですから、おれが言うとおりにやればいいのだというふうにしてやってきたと思うのです。ただ、そういう自分も自分のやれない領域くらい、1,000分の1とかですね、片側がゼロで、プラス側が1,000分の2とかというような、そういう高差がついたパーツをこさえなければならないわけです。私いろいろ考えて、今現在できてはいるのですが、何でできたかというと過去の100分の1、1,000分の5の延長線上にあるのです。だから、そこで失敗したことを思い返して、どうやってそれをなし遂げたかということが1,000分台に入ってもあるのです。ただ、見る領域を拡大して見るとか、1万分台の測定器で測定してみるとか、ではどうあればいいというふうにするとできる。ましてや宮古というか、沿岸地域は北上山系というびょうぶがあって、ノイズが入らない地域といいますか、ある意味では。だから、一つのことに専念していれば何とかなるというか、一つのことしか見えない地域でもあるのです。そのことが結果的にはよかったのかなというふうに思っています。
 その社員のことなのですが、結局家庭では学校で教えてくれると思って手をつけなかった部分があるのです。学校は、そういうことは家庭で教えることだと言って手をつけないのです。そのまま社会人になっていく。ああ、そうかということで、もとに戻してあげようというか、基本はこうなっているのだよということを自分の会社だけでやっておったのですけれども、すごくいいのですね、何か次から次と理解してくれるといいますか。だったら、ああいう地域って、ここから言うのも変ですが、地域でやった方がもっと強くなるのではないか、層の厚みを増してやれば、その中で切磋琢磨するだろうというふうに考えて、寺子屋の開設の運びになったということです。ちょっと生意気に書いてきたのですが。
 あと、学校の週5日制というのは、あれは先生のためなのではないかなと私は思えてならないのです。このことも産業人材育成の会議の中で話をして、後で聞いたのですが、私らと言えば失礼ですが、私ら昭和20年代生まれの人たちが学んだ内容の5割から2割落ちているのだそうですね、内容が。それはゆとりを生み出すためなのか、そんなのは習わなくてもいいというふうにしてしまったのか、よくわかりませんが。だから余りにも知らないことが多過ぎる。でも、肩書きは小学校卒、中学校卒、高校卒となっているわけですね。でも、ふたを開けてみると手計算で割り算もできないのもいるのです、20歳前後でも。でも、そいつは高校卒なのです。学校の先生ともぶつかって、そういうときにどうするのですかと言ったら、私らも困っているのだけれども、県教委と相談するということになっているのだそうで、結果的にはげたを履かせて卒業させるといいますかね。その子だけだったらいいのでしょうけれども、そういう人が多いものだから、その子たちも、何も自分だけではないという思いが中にあるのです。そんなことがあったりします。
 地域の高校の校長先生には首都圏の人材養成機関ではないのだから、その時代は終えたのだから、いい子を地元に残してくださいと。だめな子は他県の企業で鍛え直してもらって、岩手に戻るなりなんなりしてもいいのではないですかといって、ようやくそこのところがわかってきてもらえているのかなというような気がします。
 あと愕然とすることは、盛岡工業さんもそうなのですが、45%は進学です。工業高校ですよ、宮古工業で35%が進学です。実業高校って何なのだろうと私は思うのですが、ここが大学も少子化の中で推薦枠を広げているわけです。だから、高校に入るときも勉強しない、大学に入るときも勉強しない。勉強しないで卒業していく、でも卒業証書はある。やっぱりこういうところをぜひ皆さんのお力だと言うとまことに投げやりな話にはなるのですが、この辺解決しないとまずいというか、後で手がかかる人をいっぱいお金をかけて育てているのではないかなというような気がしてならないのです。知事にもこの話はしたのですが、費用対効果と知事は単刀直入に言いますが、費用対効果を見たときに非常に効率の悪いことをしているのではないかなと思います。
 あと、行政は皆さんもお気づきのことなのでしょうが、PDCAと言われながらPDCAではないというのがよく私も見ていてわかるのですが、プラン・ドゥー、プラン・ドゥーだったら、さらにプラン・ドゥー、プラン・ドゥーと、チェックが入らないのですね。今私らはCAPD、要するにチェックから入るのです。今こうだから、どういうアクションを起こして、どういうプランを使ってドゥーすればいいかという、キャップドと私らの業界では言っているのですけれども、チェックから入るのです。そうでないと、その人のプランでドゥーで、チェック、アクションと回していればいいだろうというふうになるかもしれません。それもちょっと危険なことがあるので、やっぱりCAPDといいますか、チェックから入るという考え方に行政の方もなっていただければなというふうに思うのですけれども。もっと悪いのは、プラン・ドゥーやって、だめでもそれが残っているというのが私はやっぱり行政の一番悪いところではないかなというような気がします。前理事長を批判することになるので、やれないとかという話も聞いたことがあるのですが、でもだれが困るのと、余りこんな話はしない方がいいですね。
 それでもって寺子屋開設して、この間も日経新聞の記者の方が見えて、何かものづくり白書に載ったのだそうです、宮古のことが。それで見えて、その前段でちょっとお話しすることというか、時間があったのですけれども、やっぱりハウツーものをやっているというふうにもう決めてこられているのです。私はハウツーものは絶対しないと言っていたのです。だから、人間としてということを学んだ者が飯を食うためにはどうすればいいというのが、それがわかった者が自分でやるというのがいいスタイルだろうというふうに思うのです。こういう場合どうするのとか、こういう場合に何の本を読めばいいのと、これをみんなやるのです。私はハウツーは絶対しないというふうに決めて寺子屋はやっています。
 何で宮古で寺子屋が開設できたかといえば、どこの社長もこうあればいいとか、こうだったらいいというのは言うと思うのですが、それの手足になって動ける人がいないと結局プラン倒れになってしまうのです。行政を待っていたってしようがないし、やっぱり自分らの身の丈に合ったものでやるのが一番いいだろうということで、安藤さんとも話ししまして、もう65歳で、会社勤めをしておったのですが、非常に地域の産業振興といいますか、若い人たちにエールを送ってあげたいというようなことで私とぴったり合いまして、ではやりましょうと言ったのです。ところが、行政に相談すると、例えば今は8月ですね、予算がどうのこうので、やるとすれば来年になると、こういう話。では、いいと、私らが手弁当でやるから、見ていてよかったら支援してというので、ただ会場は振興局の1階の会議室をただでお借りしましてやったのですけれども、その間課長さんとか部長さんとかいろんな方が見えて、あと受講者にレポートを書かせますので、それを見て、ぜひ来年は自分らのプランに入れたいと、それに市役所さんもいろんな形で支援してくださるようになって今第6期です。
 県でも振興センターでもそうなのですが、いろんな人材育成のメニューはあるのです。私らも何年か前は、今でもそうなのですが、たとえば品質管理セミナー初級編とか、品質管理セミナー中級編とか、いろいろステップを踏んであるのですが、それに参加させるのです。それで感想を聞くのです、非常によかったと。でも、周りに理解する人をつくってからやりますとか、ちょっとあれでは難し過ぎますとかと、結局やらない理由になってやらないのです。何でなのだろうなというふうに、ずっとそれでもキャッシュフローとか財務セミナーとかいろんなふうに出しておりましたけれども、そのベースのところができていないから、何で私がそんなことまでしなければならないのという思いの中だけでいくわけです。なので、聞いてはきたけれども、会社でそのとおりやるのは周りの人をはばかってというのかどうなのかわかりませんが、なかなか定着しない。なので、自分らの地域の自分の会社の社員のレベルに合った、身の丈に合ったと書いていますが、それを手づくりでやって、非常にこれがよかったのだろうなというふうに思っています。逆にその地域の私らというか、講師を務めている人たち10人いるのですが、よりそれ以上のものは逆に教えれない、アカデミックなことは私が一番だめなのですが、わからないのですね。ただ、逆に現場を踏まえていますので、どういうことを教えれば、どういう言葉を使えばこの地域の人が理解してくれるかというのをわかっているのです。そういう言葉でやっているということなのです。
 それで、受益者負担と書いていますけれども、私はこれ、この受益者負担の原則は貫こうと思っているのですが、会場設営とか、終わってからの会場の後片づけとか、1人1万円取って、講師先生には本当に雀の涙にもならないくらいの寸志でやっていただいています。知識ある方はいっぱいおるのですが、地域のためにとか、これからの若い者のためにという思いがある方にだけお願いしています。
 あと16時から19時、これも私の設定で意地悪なのですね、会社負担と本人負担の時間があると。普通セミナーというのは午前10時とか午後1時とかと、そういうところのはずなのですが、それではまずいのではないのということで、夕方4時から夜の7時まで、4時から始まろうとすると会社は3時半ぐらいには出なければならないでしょうから、会社の負担と、あと5時過ぎの本人の負担がある中でやろうと、そういう仕掛けでやっています。
 ふたを開けてみるといろんなことがわかって、やっぱり一番下に何が入っているか、どのくらいの理解力なのかということはやらないと、わかったろうと言うと、みんな「はい」って言うのですね。では、やってみろと言うと、そこで結果がばらつくわけです。そういうことがあるもので。
 ビジネスマナー編と称して、ここだけ格好がいいのですが、名前は、ネーミングはいいのですが、やっていることは泥臭いことで、基本の再確認と書いてありますけれども、後でちょっと飛ばしながら、私のやっているところをちょっとお見せします。
 あと、それから技能編も、知識と技能、経験と技能といいますか、経験を知識に変えるのも知識だと思うので、技能編もやっていただきました。宮古にヤスリで金型をつくってこられた方がいて、最後の方だと思うのですけれども、私が口説きまして講師を務めていただいて、それも抵抗があったのです。宮古は最先端の金型やっているというだけに、各社がNC制御のマシンばかりそろえているし、1,000分台をせめぎ合う仕事ばかりやっていますから、「ヤスリがけ、今ヤスリ使っているわけじゃないのに、何だ」という話、「じゃ、おらほから出さない」とか、いろいろあったのですけれども、でも私が言って、出してくれる会社さんもあって15人ぐらい出たのですかね。松山の高等技術専門校さんをお借りしまして11回やりましたか、5時間ぐらいずつ。それも、本に書いていないことです。ヤスリの柄のつけ方、これを今やれる人というか、教えれる人がいないと思うのです。売っているのをホームセンターから買ってきて、入れれば入るのではないのというレベルなのです。そうではなくして、やっぱり3ミリの穴をあけて、次5ミリあけて、7ミリを中途半端に入って、ヤスリの柄を焼いて入れると段が3点接触していますから、柄が割れないのです。こういうことを今の人、だれが教えれるのだろうと私も感動したのです。
 あと光明丹といって、仕上げ面が平たんかどうか、石状板の上に光明丹をつけてこうやると、出っ張っているところに色がついて、マイナスのところには色がつかないわけです。光明丹というのは売っているのです。朱肉みたいなものです、判この印肉というのですか、ああいうような感じのやつ。それも売っているのですが、それもつくるところからやりました。お皿の上に光明丹の粉を入れて、油で溶いて、それをしばらく置いて、あとしみ出した油をティッシュペーパーでとって、ちょうどいい粘度にするのです。
 あと罫書き針もグラインダーでこさえる。今売っていますね、いっぱいすごく先をかたくした罫書き針、売ってはいるのですが、つくらせるのです。あれ、真円が出ていないと、使うたびに定規に対して幅が、線の幅がかわるのです。定規からの距離がかわる。だから、真円を出すというのはどういうことかということ、先生にやってもらって実際にやらせたのです。そうやるとNCのマシン使っても全く同じことなのです。どういうふうに削れているのだろうとか、どういうふうに削ればいいのだろうというようなことがわかる。すると、どういう数値を入れればそういうふうに削れるかというのがわかるから、私は基本を教えてあげた方が非常によかったのではないかなと。結局この動きをデジタルでどう置きかえるかということです。それを5センチ角のブロックで平面出す、平面が出たら平行を出す、こっち側も平面で仕上げる、それに対して直角。言葉は直角なのですが、スコアというのを当てるとすき間があればすぐわかる。そういうのをヤスリでやるのです。粗、中、仕上げというのは粗ヤスリ、中仕上げ、最後の仕上げのヤスリ、やっぱり目がだんだんに細かくなってくるのですが、最後に仕上げでいいものをつくろうと思ったってできないのです。粗できちっとできていないといくら最後に仕上げのヤスリでやったって平面は出ないです。
 やっぱり腕のいい人というのはこのヤスリで平たん度1,000分の3を出してしまうのです、この平面を。それをさらにラップして鏡面仕上げにして、本当に顔が映るといいますか、それくらいまでヤスリで仕上げる。みんな今の若い人たちはびっくりするのです。機械でしかできないと思っていますから。それを手でやる。すると、今度手の動きがデジタルでどういう数字に置きかえればいいというのがイメージできるのです。どういうふうに削れているか。ですから、例えばこういうのを回転している砥石が削って、こう起こってくるのですが、砥石に最初にひっかかったところは砥石の方が上がりますよね、万分台か10万分の1で必ず上がりますよね、首が上がりますよね。平面に入るのです。抜け際はがたっと下がります。すると必ずこういうふうになるのですよ、山に。見た目は平面に見えるのです。それはやっぱり万分台の測定器ではかるとそういうふうになるのです。そういうのが気がついてくる。非常に私はよかったかなというふうに思っていますけれども。
 ここからが私がやっている寺子屋の内容です。こういうのを教えています。いいものを安くつくればどこの国のどこの会社のどんな人でもいいという時代になったよということで、今のビジネスのキーワードはフリーでフェアでグローバルだよと言って、フェアとは何と問いかけると、ここでずっこけるのです。フェアというのはわかるのです。でも、フェアとはどういうことと、答えは。平等とか、ルールを守ることとか、そんな、私が望まない答えになるのです。では、ルールに書いていないのは守らなくてもいいのかと問いかけてやると人それぞれなのです。うそをつくなとか、間違ったら謝るとか、困った人があったら助けてあげるとか、そういうことをフェアと言うのだと。ファインプレーよりフェアプレーの方がいいのだということをここで教えてあげています。これは親も教えていないようです、何となく。だから、親の言うことは聞くなと、おじいさんとおばあさんの言うことを聞けと教えているのです。昔の年寄りというか、私のおじいさん、おばあさんもそうでしたが、そのことしか言わなかったような気がするのです。人にはあいさつするものだとか、迷惑かけるものではないとか、仲よくするものだと。うそをつくものではないとか、間違ったら謝るものだと。これが吹っ飛んでしまっているということなので。
 会社にもいるのです。チューインガムを噛んでいるので「おい、何だ。」と言うと、「どの規則に書いてあるんですか。」と。非常にやっかいな時代というか、ホリエモンさんもいまだにどの法律に抵触するのだと言っているのだそうですが、同じだなというような気がします。あのくらいの人がこういうことをわかっていればもっとすごいことをやったのだろうなと私は思います。これを見せてあげて、何年に生まれたかで、結局右肩上がりの中を生きて、もうそういう時代ではないのだよということを教えて。
 あとちょっと画面があれですが、盛岡は大都会ですのでこういう心配はないのですが、宮古はここなのです。釧路とか稚内より外にある。これ私つくったわけではなくして、これゼンリンのホームページに載っているのです。宮古が載っていなければよかったのですが、載っているのです。日本で一番時間のかかるところなのだそうです。それで、私は何て教えているかというと、ここの人もここの人も同じことを考えている、もっといい生活をしたい。だったら、ここの人以上の勉強しないとなれないのではないのと。やればイコールになるのではないの、とだましたりなんだりしていますけれども。
 あとこれは、お金をもらえればぐつぐつした話は聞きたくないという性格だったのですが、それだけではやっぱりまずいようなので、今は社員には自分の反省を込めて、なぜ働くかはこう教えています。
 あと仕事は自分の可能性を試す手段だよというようなことも教えています。
 あとあいさつ、返事、後始末。これは小学校1年生でやるはずなのですが、3年生の2学期からはやっぱりやらなくなるそうです。社員に会うたびにその話聞きます。あと大人のあいさつ、返事、後始末といいますか、「例えば私がここで彼女と話ししてたときに入ってきたらどうする」と聞くと、「失礼します」と、「そうか。あなたは」と言うと、「ただ黙礼して帰ります」、これはばらつくのです。だから、そのことがおまえだぞ、そう評価されるのだぞと。だから、相手に聞こえるくらいの声の大きさでその場の雰囲気を壊さないようなあいさつというのは難しいぞと、訓練しないとできないぞ、考えていないとできないぞと。でも、人に評価される一番最初のことなのだぞというふうに教えているのです。私もあいさつは下手なのですが、顔見ればわかるべかとか、こういうふうにやってしまうのですが、やっぱり言葉で「失礼します」とか、「この間はありがとうございました」とか、これが言えなくなってきたのです。だから、大人のあいさつ、返事、後始末というふうなことがだれも教えていないのかなというような気がします。小学校1年生のときの「先生、おはようございます」を思い出せば、今だったらどうすればいいというふうに考えればわかるのだろうというふうに思うのですが、なかなかうまくいかないですよね、これは。
 後始末はもとあったところに返すと、それは小学校1年生だ。大人の後始末は次の人が使いやすいようにしておくことではないのと、例えばモンキースパナ使って渋かったと。だったら、それはグリースやって動きよくして、それふき取ってもとのところにかけておくのが大人の後始末ではないのと。そういうことを教えていますけれども。
 あと、読み、書き、そろばん。読める、書ける、計算ができるなのでしょうが、私はそろばんは検算という、要するに計算が正しいかどうかというのは検算をやりました。検算だと教えています。次に、来たときにどうすればいいとか、こうはやったけれども、会社の利益につながったのだろうかと、そう考えることがそろばんだというふうに教えています。
 この、チェンジ・チャレンジ・クリエイトは会社にもでかでかと英語で書いてあるのですが、これもチェンジというと変わるとか、代わるとか。チャレンジというと挑戦と言うのです。私は違うと言うのです。プラン・ドゥーとここで話しましたが、挑戦というとプラン・ドゥーになってしまう。私は挑戦し続けることをチャレンジということであって、そこはやっぱり強い言葉で言っています。意外と何にでも本気になってやればそれでいいのではないのというのをチャレンジというように思ってしまうところなのですが、やっぱりどこまでも挑戦し続けることですよね。途中でやめない、やめたやつが失敗するのであって、あきらめないやつには失敗はない。そういうふうに教えています。これらは釈迦に説法ですが。
 ここら辺は私も生きてきてこういう現実とぶつかっていろいろ考えることがあったことと、会社員たちを見ていてこういうことが欠如したのだなというのがわかったのがこの内容です。県の広報なんか見ても義務と権利とは書いていないです。権利と義務と書いています。私は義務が先だというふうに教えています。義務を全うした者が権利を主張できるのだと。
 国民の三大義務と言うとみんな、教育、勤労、納税ときちんと答えるのです。ところが、行政の仕組みが納税に対してはペナルティーはあるのですが、教育とか勤労にペナルティーがないのです。おかしいなということです。義務と教えていて、何もないというのは何なのだろうなというふうに思いました。小学校、中学校は行くのが義務だと親に言われて、そのとおりに覚えているのがいっぱいおって、そうではない、日本国民はあの内容を身につける義務があるのだと教えています。学校の先生はその子のレベルに応じてあの内容を教え込む義務があるのだと先生を目の前にして言ったことがあるのですが、その辺が今をおかしくさせていることなのではないかなというような気がしてなりません。ギブ・アンド・テイク、これもギブが先なので。ただ、ギブとテイクはほぼイコールでない限り会社と働く人、夫婦、友達すべて崩れるよというふうに教えています。
 あと常識なのですが、ここが常識がないとか、そんなもの常識だとか、非常識だとか、いっぱい街中歩けば聞こえる言葉ではあるのですが、では常識とは何だというと、ここもやっぱり定かではない。明治まで日本になかった言葉なそうです、常識というのは。英語でコモンセンスと言うのだそうですけれども、万国共通の人の考え方ということです。それって何というと、先ほどもフェアのところでお話ししましたが、親を大事にすることとか、うそをつかないとか、間違ったら謝るとか、困っている人があったら助けてあげるとか、そういうことなのだそうで、では何で明治まで日本になかったのといったら、当たり前だったからだそうです。それをできない人を非人と言って人にあらずと言ったのだそうです。そういうことを教えてあげると、おれにもできるというふうに目の色が変わってくるのです。でも、だれも教える人がなくて、当たり前と。当たり前とはどういうことというと、次が続かないのです。
 議員さんに向かってこういうことを言うとあれですが、ばかは死ななければ治らないなのですよね、世の中は。でも、それというのは逃げ言葉なのです。死ななければ治らないのだからこのままでいいだろうと。では、拝みに行ったときにああいうやつだ、治っているかと、こう言うと、だから生きているうちに治せという意味なのだと。そういうことを鉄は熱くして打てば、皆さんは私より年下の方も何人かいるようですが、鉄は熱いうちに打てと覚えてしまった人で年とると、私は熱いところ過ぎたと言うのです。だから、何歳になっても熱くして打てということで、うちにも50代近い、60近いおばちゃんもいますので、私の目の前にいるのでそういう話をしてあげると少しは火がつくといいますかね。そういうことです。
 世の中に言葉とすればそうではないのだけれども、間違って理解されていることというのがあって、マイペースもそうなのです。これやっかいなのです、マイペース、マイペースと言って会社の時間軸に合わせないとか、世の中の時間軸に合わせないやつらがふえてきているもので、マイペースというのはそうではない。1回聞いてわかるやつとか、2回聞いてメモしないとわからないとか、3回読んで書いてやらないと覚えられないとか、一人一人違うだろうと、それがマイペースだと。
 17回の法則というのがあるのだそうですが、同じことを17回しゃべられても、わかるやつには余計なことだよなと、そのときわかったのです。そういうことをやっているということです。
 大体お話ししましたけれども、ぜひ義務教育は行くのが義務ではなく、あの内容を身につけるのが義務なのだというふうにスタンスを変えていただきたいのです。今私は、朝早いもので会社の若い者たちに雨降ったときとか、冬は草取りがないものですから勉強会をやったのです。小学校の算数をやるのです。今大人になって小学校の算数やって、小学校の算数というのは計算を教えているのではない。物の考え方を教えていたのだなということに気がつきました。なので、小学校も中学校も、私は高等学校はそんなにあれなのですが、ぜひあそこもきちっとみにつけさせるというか、何が何でも詰め込んででもやるといいますか、その子の理解状況に応じて。そうやっていただきたいです。はかなくもここでは人材育成会議、一番最後のときに知事の前で鈴木高繁さんというアドバイザーやっておられる方ありますよね。せめて小学校の5年生のレベルにしたいですと、こう言いました。高校卒業生ですよ。そのくらいレベル落ちていますよ、本当のことを言うと。
 だから、だれが悪いのかというと、やっぱり仕組みが悪いのだろうなという気がします。私らの後は十五の春泣かせるなと言って高校がいっぱいできたのです。私は48人か50人のクラスだったのですけれども、半分は高校落ちたのです。内定しておった就職先に真っ白なレインコートを着て宮古駅に泣きながら行った。では、彼らが不憫な思いしているかというとそんなことはない。ただ、一生おれは高卒ではないというのがついて回ります。それが逆にバネになっているのです。何かそんな気がしてならないです。
 新聞をにぎわして私も見ておったのですが、高校統合というと地域から反対の声が出るようで、三鉄にしろ何にしろみんな反対の声は出るようですが、私は高校はなくさないのだったら定員を半分にすべきではないかなと思う。勉強しなければ入れないようにしてほしいです。だって、今は高校を選ばなければ入れる。だから、望まない子が教えたくないというか、先生もミスマッチをしているのです。結局教えたくないやつが入ってくるのです。生徒も行きたくない高校に行っています。だから、知事の言う費用対効果から言ったら本当に損失なのだろうなというふうに思います。だから、勉強しなければ入れないというのがわかってしまえば小学校4年生から本気出すのではないかなと思います。
 あと県の会議でも言ったと思うのですが、例えば学校長推薦が出せるような子が地元に就職したとき、そこの企業がやっぱりいい子だったといった場合には、例えば市県民税10%下げてあげるとかなんかしてほしいなと思います。これも前例がなくてという話で、奨学金だったらば出せるけれどもと。そうではなく、やったことの評価だからいいのではないかなと。奨学金だとこれからの期待値の中で出すものだから、どうなのだろうなというような気がします。
 あと話があちこちにいって申しわけないのですが、生産者が勝つ仕掛けと書いてあるのですけれども、私はけさ車で来るとき、ここはどう話したらいいのだろうなというふうに思ったのですが、岩手県というか、私が住む地域もそうなのですが、一番苦労している人が一番恵まれない状況にあるといいますかね。例えばあらしの中を命をかけてといいますか、魚とってきた人よりも一船帰りで買って鮮魚で売っている仲買の人といいますか、自分は手を汚していないのだけれども、そこを通しただけでそっちの人の方が利益が大きいというのは何なのだろうなと思うのです。それは農家もそうであります、見ていて。ぜひそれは、日本は法治国家なのだろうから法律のどこかをいじってあげないとずっとこのままなのかなというような気もするし、逆にそういうことに対しての対応ということで皆さんの仕事がふえるばかりなのかなという気がしてならないのですけれども。
 つたない話なのですが、内容はそんなところです。これは個別で私ができる答えはしたいなというふうに思っています。御清聴ありがとうございました。
○小野寺研一委員長 いろいろお話をありがとうございました。お話を聞いて、我が身がいかにたるんでいるかというのが自覚をせざるを得ないような感じを受けました。
 それでは、ただいまから質疑、意見交換を行います。ただいまの話で質疑、御意見ございましたらよろしくお願いを申し上げます。
〇新居田弘文委員 きょうはどうもいろいろお話いただきましてありがとうございました。
 聞いていますと一々ごもっともなお話を伺ったような気がしております。というのは子供さん、あるいは生徒さんの学力低下、いろんな方々がそういうお話をされますし、ある一例を指していただいての実業高校の進学度合い、専門高校に行っているのだけれども、最終的にはまた次の教育を行っているという話も御紹介いただいて、むしろ普通科の枠を広げるのか、あるいは学校自体の定員をもっと減らせというようなお話もあったわけでございますが、すぐできるかどうかは別として、かなり現実を突いたような話だと思います。それからあいさつ、その他。
 そういったことで、学校の問題についてなのですけれども、それこそ三つ子の魂百ということで、本当に一番大事な時期が家庭でも先生に任せたつもり、あるいは学校は家庭で当然やっているべきしつけ、その他がなかなかおろそかにされるというような実態なのですけれども、その辺についてPTAとかいろんな団体があると思うのですけれども、先生の方からもっとこうやったらどうかというのは何かお考えを御披瀝いただければ助かりますが。
○田鎖巖参考人 この間もおもしろい話があったのですけれども、きょうはうちの子、御飯食べていかなかったので、カップラーメン持たせましたからお湯入れてやってくださいと学校に電話があったそうです。やってやるのですね、先生が。「あなたが寝坊したからじゃないの」と何で言えないのだろうなというふうに思いますけれども。結局生徒を見ているのではなくて、先生、親を見ているのです。預かったのだからという考え方があるのです。先生には話せないと教育委員会というか、教育事務所に電話が行く、こうなると事件なのです。これはおかしいのではないかなと思います。
 あと新聞発表のときにいつも思うのですが、例えば体罰で先生の事件が出ますよね。そうすると先生のことしか出ないのです。どういうことをやった子が体罰を受けたのか、こっちが出てこないのです。警察発表がそうなっているのかどうなのかちょっとわかりませんが。そうすると、私らみたいなのは「当たり前だ、そのくらいのことをやったやつはぶん殴られて当たり前なんだ」という応援の声も出るはずなのですが、そこが隠されて体罰だけが悪いみたいな話になっている。何なのだろうと私は思うのです。
〇新居田弘文委員 私も戦後育ちというか、戦後の昭和23年に小学校なのですけれども、当時は体罰というような思いはなかったのだよね、結構やられたのですよ、むちとかいろいろの面で。ただ、うちに行くと親父にもっと怒られるから、そうならないようにしなければならない。うちに帰ったときは立派なことをやってきたつもりでいるのだけれども。ところが今は親御さんたちがちょっとそういう話をすると先生が悪いとか、そういう別なつき合いがもう普通になっていますから、やっぱりこれは一番親の責任ではないかなと。親も朝飯を自分みずから食わないで職場に行く。新採研修の前には「朝飯食べてきているか」ということから研修が始まるというような話をちょっと笑い話みたいなのですけれども、そういうのが実態だという話聞くのですけれども、ちょっと年とっているからだけれども、そういうのが余りにも現実と過去の話とギャップがあり過ぎて、今いろいろとお話あった話をもっともっと今育てる親御さんたちに理解してほしいなというような思いで今拝聴したのですけれども。
○田鎖巖参考人 そうなので、寺子屋も今いろいろしているのですが、そういう若い世代、あと学校の先生、あとPTA、あと経営者に、やろうというのです。おなご先生だけは私がやるからというような、担当を初めから決めようかなと思っていたのですけれども。これは教育するのではなく、こう考える人があるのだというと多分どきっとすると思うのです。そこが伏せられているのです。この先の時代を担う子供たちをどうするかはやれるのでしょうけれども、今既に世に出ている人たち、会社は会社の人しかやれないので、会社の人はやりますけれども、これからと今と既にもう世の中に出ている人と何かしないと難しいのかなと。
○佐々木一榮委員 大変ありがとうございました。日本は島国ですよね、結局海に囲まれて単一民族で、アメリカとかヨーロッパと違って方言はあろうが、日本語で北海道から沖縄まで。そういった意味では、教育もそういう諸外国に比べるとある程度環境的にはベースとしては非常に国民性からいっていいのかなという感じしているのですけれども、先ほど親の話を聞かないでじいさん、ばあさんの話を聞けという話もありましたけれども、そのじいさん、ばあさんが親を育てて今がある中で、社長のおっしゃったのは当然だと思っていますけれども、やっぱり日本人の今の、4月にベトナムに行ってきたのですけれども、学校に入りたい子供たちいっぱいいるのです。でも、入れない。だから、一生懸命勉強する。急速にやっぱり伸びていますよね、そういう国というのは。
 宗教の話をするつもりはありませんが、80%仏教の国で、ですからさっきお話しになってきた親を大事にするとか、目上を大事にするとかというその人間の心の原点というのですか、そういうものが子供のころからしっかりしていて、だから日本の今の国というのはそれすらも崩壊してしまっているという認識なのです。全部の国民をそうもっていくというのはこれなかなか難しい問題だと思うのです。やっぱり社長がさっきお話しになったことを理解できる人たちとできない人たち、これあって当然だと思うし、ですから非常に難しいなと思うのですけれども。ただできる範囲で、ここは県議会でありますから、岩手の子供たちをせめて、他県の子供たちは仕方ない、では宮古の子供たち、岩手の子供たちにどういうような教育をしていくかということを広げる資格的なものを民間として寺子屋を一生懸命やられているのをこれやっぱりほかの行政ですとか、さまざまなNPOとか、ボランティアとか、広げながら何かをやる方法というのはないのかなと。それから、宮古でやられているわけですけれども、これも点から面にしていく、例えば社長のような考えの同じような方々が県内にもいらっしゃると思うのです。そういう人たちがつながりを持って各地域でそういう寺子屋をやっていくとかということによって少しでも広がりを持っていけるというのがいいのだろうなとちょっとお話を聞いて感じたのですけれども、質問ではないのですが、ぜひそうやって広げていければなと思うのですけれども。
○田鎖巖参考人 私がイメージしている学校の先生ではないのですけれども。
○佐々木一榮委員 僕も学校の先生に違うのではないかと言ったことがあるのですが、たまたまうちの娘が修学旅行で下着を盗まれたときとか、犯人わかっているのですけれども、かばうのです、先生が。教頭先生は知っているのか、校長知っているのかというと知らないのです。たまたまその盗んだ男の子の家庭の事情をしゃべるわけです。彼もかわいそうだと。実は体罰を受けている子供でとか、ただそれはそれとして、もしこれが犯罪になって警察に捕まったときにどうするのという話もしたのですけれども、何とか私が担任としてその子を責任持ってやりますと。だから、上司、教頭にも校長にも報告しないと。
 何かあったときに困りますよと言ったら、案の定警察に捕まったのです、その子がアパートの女性の下着をたまたま盗みまして。そして、結局大問題になってしまった。そのときに、やっぱりこういう問題というのはその先生一人で、責任感はわかるけれども、やっぱり先輩の先生とか、いろいろ人生の先輩いるのだから、相談して対処すべきではないかという話はしたのですけれども、それぞれ先生方もいろんなタイプの先生も当然いますし、当然一方では親であり、若い先生方はそうですから、当然学校の本来授業があるとき、昔の先生であれば恐らく夏休みとか冬休みに合わせて新婚旅行なんか行ったのでしょうけれども、今は平気で休暇とって新婚旅行に行ったり、時代というのはそれだけ変わってくると何という世の中かなという感じするのですけれども、さっきの常識ではないですけれども、常識とか価値観というのは全然もう線が引けないというか、引くものかわかりませんけれどもね。
○田鎖巖参考人 だから、その当たり前のことを当たり前にすると言葉でやってしまうのですが、では当たり前の中はどうなっているのというのを洗い出してあげないとですね、それというのはだれでも理解できることだし、自分がしていないとはっとすることもあるわけです。やっぱりそういうことをきちっと、そういう意味で私は再確認と。知らないわけがないのです。理解できないわけないのです。そういうところを声高に言って協調の認識で物事に当たっていくというふうになれば、私はまだやれるような気がしているのですけれども。
○小野寺研一委員長 子育ての経験、その他いろいろ見て感じておられるところたくさんあるのだろうと思いますが、御意見でも結構でございますので、何かございましたら。
○阿部富雄委員 常識といいますか、当たり前のことをできない、そういう人たちを寺子屋で鍛え直すというか、そういうふうなこと、それも大事なことだと思うのですが、もう一つは今人材育成ということを考えると企業はよく即戦力だ、即戦力だと、こういうふうなことを言うわけです。要するに、企業に入ってもらったらすぐ訓練も何もしないで頑張ってもらえるとかというような、こういうふうな言い方で言われる部分が最近多くなっていますけれども、私自身ここについてはさっきの話と同じように当たり前のこともできないのにそれを果たして求めることができるのかどうか、そういう心配するわけです。ですから、やっぱり基礎学力といいますか、常識の部分はもう学校なり家庭できちっとやるということはそのとおり必要だと思うのですが、企業の役目というか、入ってきた人材をどう育てるかということも私は企業の一つだと思うのです。ですから、そういう意味では例えば技能工を育成するとか、技術者を育成するとかという、そういうプログラムをきちっと企業の中に持ち合わせていくということが必要だというふうに思うのですけれども、ただそれが最近軽視されて即戦力だけが言われて、学校教育なり大学教育の中でやっぱりそれはもうすべてやってきてから企業に来てくださいという、そういう風潮が本当に見かけられるように感じているのですが、その辺は。
○田鎖巖参考人 皆さん即戦力という言葉をどうとるかです。もし即戦力だったら隣の会社からひっこ抜いてくるしかありません。これはルール違反だと思うのです。私は即戦力というのは問題が見える人、解決できる人というふうに私は思います。間違いに気がつく人、私の即戦力です。
○阿部富雄委員 そうすると、やっぱり企業の中では技術者だとか技能工の育成というのはきちんとやるべきだというふうな考えになるわけですか。
○田鎖巖参考人 うちの会社はこういうものをこうやってこうやってやっているのだと。でも、その下がどうなっているか見えない限りちょっと不安でしようがないではないですか。ここをきちっと確認してあげて、うちの会社はこれで飯食っているのだ、おまえはこの仕事だと言えば自分に必要なスキルというのは自分で身につけるしかない。ただ、先輩がいてもっと早くするためにはこうだよとか、そういう場合はこういう工具を使った方がいいよという話は、それがあると思います。
 ただ世の中の時間軸に合わせなければならないから、それは寝ないでもやることはあるかもしれませんが、即戦力もひとり歩きしているなという感じです。だから、リクルートはビジネスになるのかもしれませんが、やっぱり他の人に迷惑かけてはいけないということです。自社のためによその会社の即戦力を引っこ抜いてくるということは、私はまずいことではないかなというふうに思います。
○川村農夫委員 社長さん、社員を見ていて、例えば若い人が入ってきて、その若い人が先輩から仕事について聞いたりとか、あるいは先輩の社員の方が若い人に注意とか促しながら指導していくと、そういった状況はしっかりありますか。私が前勤めていたところではだんだんそういうのがなくなってきたような感じがしたのですけれども。
○田鎖巖参考人 それは日本の企業の全部が反省しているところなのでしょうけれども、トータルクオリティーマネジメント、TQMの物の考え方で今ビジネスを構築しておるのですが、例えば新入社員に毎回一、二カ月は勉強しますけれども、6カ月後どうなりたい、こうなりたいというのはありますので、いつまでにというのは6カ月後ですから。だったら、これとこれとこれ勉強すればいけるよと。1年とか2年生になるときは、おまえことし後半までにどうなりたいと、こうなりたい、給料を37万円まで上げたいと。そうすると、これとこれとこれをここまでにとればなるのではないかと、そういう目標対施策といいますか、絶えずその中で自己管理、自己目標、それが早くできたやつはおまえ優秀なやつなのだし、遅くできても中身はしっかりして、それがおまえなのだというふうに私は教えてある。そういうふうに、全部なっているわけではないので、見に来ないでください。
 会社もそうなのです。例えば3年後どうなりたいと、では最初の1年は何と何をやる、どういう人間を育てると。
○平野ユキ子委員 こういった人材育成、さまざまな企業から、いろんなところから来るわけですよね。結局再教育みたいな形になっているのですけれども、本当に基本的な、常識的な。昔だったら常識と言ったですが、今はその常識というのがどうかわらからなくなっているところもありますけれども、企業として社会に貢献していく、ビジネスとしてやっていくための常識でもあろうかと思うのですけれども、それをこのように人材育成としてやっている寺子屋にはさまざまなところから来るのだろうと思うのですが、それに対して企業ではなくて、例えば学校教育の現場からの反応というのはありますでしょうか。
○田鎖巖参考人 いや、全然コンタクトないです。
○平野ユキ子委員 コンタクトないのですか。
○田鎖巖参考人 10人の中の1人が工業高校の校長先生ですけれども、その方はじっくり人を育ててくださいと、非常にいいことを言っていると思うのですけれども。
○平野ユキ子委員 学校とのコンタクトがないというところもそれ一つ問題といいますか、問題を解決する上で今できているこういう問題を解決する上では、現実にこうなのだということを実は学校の先生にも知っていただいた方がいいのではないかなと思うのですが。
○田鎖巖参考人 お一人来た方は最後に感動して私に握手してくださいと来ました。ただ、私らがやれる領域ではないです。教育委員会というのは知事部局の外れている行政のしくみとしてはですよね。ここがやっかいなのだけれども、やっかいな中でそっちはそっちの考え方でいっているのがやっかいなことであって、日本国のためにとか、人類のためにというところで同じところにいっているはずなのになといつも思うのですけれども。
○平野ユキ子委員 そうですね。私も講師として高校に行って教えていたことがあるので、つくづくそれは感じていますし、今、田鎖社長さんのきょうおっしゃってくださった学力の低下ですとか、本当に詰め込むべきときには詰め込まなければいけないのをそれをなおざりにしてまあまあで来ている。私も高校で教えていたのですけれども、こんなの小学校、中学校でやるべきことをなぜ高校に来て教えなければいけないのだというような、そして今の教科書は本当に程度が、私たちが習った、程度という言い方はよくないかもしれませんが、本当にこれ中学校でやった記憶があるものを今高校でやっているのです。ですから、高校というのは高等学校というくらいですから、もっと高度な応用学問をやるべきところで、本当に基礎的なことは小学校、中学校で詰め込んでもいいから、社会に出て一応は常識人として通用すべきところ、義務教育ですから、義務教育さえ終われば社会人として通用できるという最低限だったはずなので、それだけはぜひ小学校、中学校でやっていただきたいなと。
○田鎖巖参考人 私もそう思います。
○平野ユキ子委員 それは思っていました。ですから、こういう寺子屋の存在意義というのはそんなところにもあるのだなと思って、きょうは非常に本当にいいお話を聞いたと思っております。ですから、問題はこれから教育を小学校、中学校及び高校への教育に反映させていくことではないかなというふうに思っておりましたので。
○田鎖巖参考人 結局私の年金を払う世代をちゃんと教育していかないと非常に不安でしようがない。
○平野ユキ子委員 今後への課題として考えていきたいと思います。
○田鎖巖参考人 岩手県を教育特区にしたらいかがですかというお話もすることはしたのですけれども、言ったからなるというものではないとわかるのですが、岩手だけは詰め込み教育をやりますとかやっていいのではないかなという気がするのですけれども。
 あと現実的には物づくりとかというのは県もいろいろやっていますけれども、物づくりを見れないです。昔はおけ屋さんとか、ざる屋さんとか、包丁を研ぐところとか、鍛冶屋さんとかいっぱいあったのです。酒屋さんとか目の前で見れたのです。大工さんも目の前でほぞをつくるとか、のみ研ぐところが見えた。今は工務店ですから見えないのです。だから、基本がわからないのです。どうなっているかわからないのです。そういうのをどうやって教え込むかということを、どこからか買ってきたキットで竹とんぼをつくって物づくり、それはないだろうと私はいつも思うのです。
○平野ユキ子委員 昔は生活の中に物づくりがあったのですよね。町内にちょっと外に出ればいろんなものをつくっている店があったのですけれども、実際今はそういうものが失われているし、そういうものを目にする機会もないということも問題なのかもしれませんが、どうすればいいかというようなことが非常に大きな問題だなって。
○田鎖巖参考人 お母さんがそうなのです、危ないからやるなと。私は、危ないからやってみろと言うのです。
○佐々木一榮委員 今話を聞いて気がついたことがあるのですけれども、例えば赤ん坊におっぱいでもミルクでもいいのですが、やるときに昔の母親というのは当然子供を見ながらお乳をやる。今は携帯で電話をしながらお乳をやったり、例えばですよ、何かほかのことをやりながら。要は、子供に愛情を注ぎながらミルクを与えるのではなくて、ほかのことをしながらと。だから、子育ての部分ちょっと考えたのですけれども、子供はいきなり小学生になるわけでもないし、高校になるわけではない。となると、やっぱり最初の段階ですよね。母子手帳を持った段階の母親、それから父親、今2人で結構来ますからね、保健所に。そういった親としての最初の部分から、さっき社長がお話しになったような部分のエキスの部分だけでも原点ですね、そういうことだけでもやっていくと結構効果あるのかななんてちょっと思ったのですけれども、親が、秋田の事件のように最近非常に多いではないですか、子供に対しての虐待だとか、自分の子供が邪魔になったとか。だから、子供を産み育てるということよりも責任、さっきの義務と権利ではないのですけれども、はっきり言って放棄している。欲しくてつくったのではないみたいな、ちょっとそういう時代に入っているので、やっぱり欲しくてつくった子供たちにはそういう、例えばですけれども、段階なんか一番効果があるのかなというか、母子手帳の段階で。さっきもお話したのですけれども、PTAで仮にこういう話をしても、PTAに出てくる父兄というのはまだまじめな父兄であって、PTAの役員さえ出ないでPTAに顔も出さない、授業参観が終わると帰ってしまう、そういう親の方が逆に問題だなというふうな話をしていたのですけれども。今ちらっとそんなことを考えました。
○小野寺研一委員長 どうなのでしょうか、昔は3世代同居、それが一つの家庭として、あるいは家族としてひとつの大きな教育の現場になっておったという感じで私は教育を受けてきたし、また見てきたわけでございますけれども、そこがまず崩れていく。要するに、親を大事に、あるいは目上の人を大事にして、そして子供にはどういう接し方をすればいいかというのはそれぞれ3世代でいろいろ分担をしながら、子供のしつけのときには3歳児までの間は目くばせをしながら年上はおじいちゃん、おばあちゃんだけは口出さないでくれとか、そういう暗黙の了解があったのです。ところが、3世代が崩壊してもう親とは住みたくないとか、新婚だけでも別に住みたいと。そうなってきますと、もうそっちの方がはるかにいいわけで、当然ある一定の時期を過ぎたら、子供ができたら親と同居しようとか、そういうふうなところが全くできなくなっていくという状況にあるのです。私はその辺に大きな原因があると。それを学校がある程度の手助けをしてきたという感じを持っているのですが、学校だけの責任とか、先生というような感じではなく、むしろ中心になるのは家庭であり、その地域、親、大人もそうですけれども、そして学校も教育しながらやらなければならないことにどこかにそれが足りなくなって欠けていって、どんどん、どんどんルールがおかしくなっているというような感じがするのですが、この考え方はどうなのでしょうか、こういうようなことをきちっとしないと権利だけが主張されて義務が、あるいは子育てが思うようにできなくなる。
○田鎖巖参考人 ゆうべのクローズアップ現代でもやっていましたよね、マナーとかモラルの低下。あちこちに捨てられたごみの回収に5,000万円もかかっているとかとどこかの行政がやっていましたけれども、私の会社では即刻銃殺です、一発120円ぐらい。私は会社の中ではそういうことが言えるのですけれども、よそに対してどう言うかというのは非常に仕掛けが難しいのでしょうね。
○小野寺研一委員長 それで家庭である程度これでいいなと思って学校へ行く、学校もそれぞれなのでしょうから、帰ってくればまた戻ってくると、毎日同じ繰り返しというようなことです。ですから、その逆のこともあるでしょう。学校できちっと教えられたものをうちへ来て友達と遊びに出たときに、またそれが崩れていくというふうな逆の方もございますけれども、そういうふうなところにやっぱりもっと厳しさが必要だろうというような感じがしますが、教育は耐えることでもあるし、努力することだし、厳しいはずだというような感じがするのですけれども。
 こういう例があったのです。何年か前に不来方高校の、固有名詞出せばだめだけれども、卒業式のときにここに髪を切って「祝」という髪を残して、そして出たのに指導教員が活を入れて、それが問題になって髪をきちんと切らなかったら正式に出るなという問題になって、何年か前にあったのです。それもやっぱり先生が悪いのです。そういうことをした子供はどうなのだという問題は一つも出てこなかったというのに私もちょっとくってかかったことがあったのですけれども、やっぱり暴力はいけませんよ、体罰はいけませんよというふうなことだけなのです。私は100%とは言わないが、80%ぐらい子供が、先生の手に負えないという状況で、こういう状況があるのだろうと、そんな感じがするので、特に女性の教員には務まらなくなってくるのではないかとそんな心配さえもしているというような状況なのですけれども、この辺のあれは、やっぱり先ほど申しておったように知事がもう少しきちっと、教育委員会が、教育長が、教育委員長がぎちっとすることなのか、あるいは教育委員の意識がもっと変わっていかないとどうにもなりませんよということになるのか、その辺は肝に銘じなければならないと思いますが、最後にこうしなさいというふうなことをお知らせいただければ、お聞かせ願いたいと思います。
○田鎖巖参考人 言おうと思って言い忘れたのがあったのですが、知事の費用対効果のところで、例えば県立大学と県立高校というのがありますよね。そこの優秀な子が県外に行かれたときに、私は費用はとんでもないマイナスなのだろうなというふうに思うのです。県外に行ってもいいのだけれども、卒業のときに30万円払って行けと。何かそういうふうにしてわかりやすくしてあげればいいのではないでしょうか。
○小野寺研一委員長 お医者さんもそうですよね。医大とか医学生とか、岩手に残る人たちが岩手医大あるいは自治医大でそういう約束事があってもそういうのは完全に無視して県外に出て行く。
○田鎖巖参考人 私は宮古工業の校長には宮古から抜けたらばペナルティーというようなことで、抜けていってほしいやつは抜かして、そっちで鍛え直してもらって帰ってくるのだったらいいかもしれないけれども、いい子を外に出して、いい子というか皆知っているような会社に行くわけです。もともとそういう人員構成になって、上積みがとれていますからね。さらに、そこのいいところが県内の有名企業とか県外の有名企業に行くと、こっちを何とかしてくれと言っても地場に仕事がないと、こういう話につながっていきます。ちょっと違うのではないのと。
○小野寺研一委員長 ほかにございませんか。よろしゅうございますか。
 (「なし。」と呼ぶ者あり。)
○小野寺研一委員長 それでは、ほかにないようでございますので、本日の調査はこれをもって終了いたします。田鎖様、本日はありがとうございました。
 それでは、委員の皆さんには次回の委員会の運営等について連絡事項がありますので、少々お待ち願いたいと思います。
 (参考人退室)
○小野寺研一委員長 9月に予定されております次回の当委員会の調査事項についてでありますが、若年者の雇用問題と対策ということで調査を行うこととしております。また、委員会の県外調査につきましては11月13日から15日までの2泊3日の日程で実施をしたいと思っておりますので、ひとつご参加をお願いをいたしたいと思います。調査先等の詳細は当職に御一任をいただきたいと、このように思いますので、よろしくお願いを申し上げます。
 それでは、以上をもって本日の委員会は全部終了いたしました。本日はこれをもって委員会を散会いたしたいと思います。御苦労さまでした。

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