子育て支援・少子化対策特別委員会会議記録
出子育て支援・少子化対策特別委員長 工藤 大輔

1 日時
  平成18年1月19日(木曜日)
  午前10時5分開会、午後0時4分散会
2 場所
  第4委員会室
3 出席委員
  工藤大輔委員長、高橋雪文副委員長、及川幸子委員、千葉康一郎委員、関根敏伸委員、
 ザ・グレート・サスケ委員、三浦陽子委員、工藤篤委員、工藤勝子委員、飯澤匡委員、 
 小野寺好委員
4 欠席委員
  樋下正信委員
5 事務局職員
  渡辺担当書記、泉担当書記
6 説明のために出席した者
  上智大学総合人間科学部社会福祉学科 教授 網野 武博氏
7 一般傍聴者
  なし
8 会議に付した事件
 (1) 少子化の背景と対応策について
 (2) 次回の委員会運営について
9 議事の内容
○工藤大輔委員長 ただいまから子育て支援・少子化対策特別委員会を開会いたします。
 なお、樋下正信委員は欠席とのことでございますので、御了承願います。
 これより本日の会議を開きます。本日は、お手元に配付しております日程により会議を行います。
 これより少子化の背景と対応策について調査を行いますが、本日の講師として上智大学総合人間科学部社会福祉学科の網野武博教授においでをいただいておりますので、御紹介申し上げます。
○網野武博氏 網野と申します。よろしくお願いいたします。
○工藤大輔委員長 先生の御経歴につきましては、お手元に配付しておりますとおりでございます。さまざまな審議会等の委員をされており、そしてまた総合的にこの子育て、また少子化対策について御講演をしていただけるということでございます。また、本日は少子化の背景と対応策について、ということでございますが、本来であればこのテーマはできるだけ早く実施すべきものであったわけでございますが、先生も御多忙でいらっしゃるため、やっとこの機会にお願いができたということでございます。
 これから御講演をいただくわけでございますが、後ほど先生を交えての質疑、意見交換の時間を設けておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、先生、よろしくお願いいたします。
○網野武博氏 それでは、貴重な時間ですので、早速始めたいと思います。座ってよろしいですか。
 私は、専門は心理学なのですが、その後社会人となりました最初が実は国家公務員の心理職というのがあるのですが、そこで現在の厚生労働省、当時の厚生省に入りまして、それ以来行政、それから臨床なども実際にかかわりましたが、さらに研究、そして教育というような道を歩んできました。私自身のこれまでの仕事はほとんど子供の発達と福祉、それから特に最近は保育、この面でいろいろ役割を果たさせていただいております。きょういただきましたテーマは、まさに1.57ショック以来の重要な国や自治体の政策課題となっています少子化、これに対する対応ということで、私自身もその以前から、どちらかというと日本はとても子育てに優しい環境であったはずなのですが、これほどまでに子育てに厳しい社会になっている現実を見ますと、やはり何かが変わった、人間観、価値観を含めて何が変わってきたかという思いをずっとしておりました。1990年代、20世紀の終わりのこの10年、そして21世紀に入りまして、まさに少子高齢社会への対応が次々と政策としても出ております。私は、国との関係も深いのですが、少し、国がいろんな政策、施策を打ち出し過ぎるということはないのですが、何か早過ぎる。しっかり土壌を固めないでどんどん出してきていることにも少し心配をしております。それらも含めまして、私なりの見解になりますけれども、もしきょうのお話が何らかの形で御参考になればと思っております。
 それでは、この流れで進めたいと思いますが、ちょっと話したいことをたくさん盛り込み過ぎたかもしれません。時間的にはむしろ先生方の質疑、私と先生方のやりとりもぜひしたいと思いますので、できるだけポイントをつかみながら話したいと思います。
 人口減社会への問いですが、ちょうどここ数日ライブドアショックという言葉がもう駆けめぐっていますが、このショックという言葉の中身でいいますと1.57ショックというのは歴史的に残る言葉だったかと思いますが、ちょうど平成元年、1989年に、それまでの合計特殊出生率が一番低かった1.58という数、これはひのえうまの年だったわけですが、それよりも下回ってしまった。翌年、1990年に人口動態統計が発表されて1.57となったと、これがいわゆる少子化への典型的な1つの現象ということで、政策的に何か打ち出さなくてはいけないという大変大きなきっかけになった、これは皆様方御存じかと思います。それからはや15年か16年になるわけですが、その後の様子を見ますと、どうも少子化に対しては日本の未来は暗くなる、力がなくなる、老化してしまって活力が衰えていく、例えばそういう暗いイメージが非常につきまとってきました。要するに未来予測からいいますと、働き手がなくなるので老後の面倒を見てくれる人たち、それから保険、年金、この面で非常に見通しは暗いという話がもうかなり出てきているかと思います。そのようなことについては、皆さん方もう余りにも詳しいかと思いますので、私はむしろアンチテーゼではないのですが、本当にそのことが少子高齢社会への対応として十分なのだろうかという、やや疑念を持っております。むしろこの3番目に書いてあります量の問題より質の問題の方が大きいのではないかというふうに考えております。例えば、2に岩手県における少子高齢化の前例と今日の課題と書きましたが、どんどん人口が過疎化し、高齢者の割合が増えるということは、全国的に見ますと相当以前からこの経験はしているわけでして、自治体、地方、地域の特殊性がありますから、その深刻さには程度の差はあるかもしれませんけれども、やはり高齢の方たちの割合が増える社会ということでは、かなりいろいろ経験してきたところなのです。
 むしろ私自身は、きょうお話ししますのは、岩手県ということについてはそれほどつまびらかでありませんので、全国的に日本としてということのお話をさせていただきますが、例えば私自身が厚生省にいたころ、あるいはその後愛育研究所というところでいろいろ仕事をしたときにも、とりわけ母子保健の分野で有名な沢内村などは1つのモデル地区だったのです。多分現在もその流れは続いているのではないかと思います。むしろ自治体こそ、幾ら中央集権的な傾向が強かったとはいえ、自治体こそ、いろんなそういう事情を反映して、特別な独自のものを打ち立てることは、いろんなことから可能であったと思います。それに関しては、現在少子高齢化対策が圧倒的に国の政策として、特に小泉政権は、さらに子供、子育ての一環で、だれも言葉ではあらわしませんが、合計特殊出生率を上げるための施策を本当に打ち出しております。私たちも相当政策には協力して進めている研究者の一人だとは思いますが、やはりこれからお話ししますのは、何とか子供の出生数を増やしていく、労働者を増やしていく、年金制度が安定するように、量的に、財政的に、あるいは税制をどうするかとか、保険制度をどうするかとか、要するに量で、数で見えるものを安心する方向に変えるだけではない、むしろもっと大事なのは、その背景にある私たちの一人一人の現在の生活とか価値観とか、そのようなものがどうも日本のとどまらない合計特殊出生率の低下に関係しているのではないかと思っている一人です。御承知かと思いますが、どの工業先進国、福祉先進国と呼ばれる国々も、もう当然ですが、合計特殊出生率は低下しました。しかし、ほとんどの国は、必ず底があってまた上がっていく。またちょっと下がると上がっていくという傾向を示していますが、日本はずっと右下がりが続いています。この背景は何だろうということが大事かと思います。
 そこで、少子化の背景のとらえ方ですが、大きく3つ分けております。もうこれだけでもちょっと時間たっぷりお話ししても内容のあることかと思いますが、ポイントをつかんでいきますと、これは私は日本全体でお話ししますので、先生方岩手県と照らし合わせながら、後でまた御意見いただければと思いますが、まず比較的余り議論されていない、見過ごすことのできないファクターということで申し上げますと、本来どうも結婚というのは、いわゆる生殖年齢というのがありまして、生殖年齢というのは大体15歳ぐらいから49歳くらいまでです。男性でも女性でもほぼそのような段階にあります。もちろん50歳を過ぎて出産される女性もいますが、おおむね15歳から49歳を専門的には生殖年齢と呼んでいますが、ちょうど自然の摂理か神の摂理か、最も生殖力がしっかりしていて子孫を残すのにふさわしい20代ぐらいで男女の性比、つまり人口の数が一致するような歴史をほとんどたどってきたのです。これはおもしろいことですが、ほかの動物もかなり、特に哺乳類はそうなのですが、人間は生まれるときは女の子を100とすると必ず男の子は105ぐらいに生まれるのです。これが見事にその後を象徴するわけですが、どうも胎児期からいわゆるY染色体、つまり男子の性染色体は女の性染色体より弱そうなのです。だから、胎児期から死亡率は男子の方が高いです。生まれた後はもう目に見えますからよくわかりますが、死亡率は常に男子の方が高いです。やがて105対100で生まれても100対100になる時期があり、その後はもう何か男たちは転げ落ちるように人口が減っていって、80歳以上はどうでしょうか、岩手県なんかどのぐらいの比率ですか。もう100歳なんていったら20人に男性1人か2人ではないでしょうか。そのぐらい、いわゆる性比で見ますと生命力は女性の方が高い。ちょうど生殖年齢に当たるころに100対100となって、結婚の年齢差が5歳であろうと10歳以内ぐらいであっても、大体マッチングするのです。
 ところが、どんどん、特に20世紀後半以降のこれほどの産業化、工業化、民度が上がる中で、変な表現ですが、もしこういう言葉を許していただければ、男は死ににくくなったと言っていいのでしょうか。つまり健康度、生命力を保障する環境が高くなれば高くなるほど男性の死亡率も低下してきたわけです。したがって、30歳代でもまだ男が多いです。40歳代、現在はもう49歳から50歳ぐらいまで100対100にならないのです。つまりこれは経済学者の方の言葉を聞いて、私はもう自分の専門が違うので驚きましたが、結婚というのは需要と供給だというのです。だから、需要、供給関係でいいますと、需要の方が多ければ多いほど供給が満たされませんので、つまり一言で言うと結婚難というのは、晩婚化がふえている背景の高学歴とか女性の就労が多くなった、そういうこととともに、性比が100となる時期がこれほど変化してきているということは、やっぱりもうちょっと考えるべきかと思います。考えるというのは、そのことも配慮すべきだと。したがって、現在はやっと49歳から50歳ぐらいで100対100ですから、もし女性がまだいい男がいるだろう、まだいい男がいるだろうと延ばしていくと、女性の晩婚化も進むし、まして男性の晩婚化は進むということがあります。これは。したがって結婚というものをどう考えるかということと非常に関係するかと思います。
 そうしますと、男性の能力と魅力というのがこんなに議論される時代はなかったかと思うのですが、男は黙っていても女はついていくというふうな社会は、ある意味では性比も関係していたはずです。嫁に行くことは女性の最大の幸せというのは、やはり男中心社会であればあるほど堅牢なものですから、それも含めて男の結婚難というのは余り表立っては見えなかったと思います。しかし、そうなりますと、高学歴になればなるほど女性の選択の目も非常に強くなるわけでして、結婚しなくてはと思っている間は、なかなか結婚に至るまでの動機づけにならないと。やがてある分岐点に来ますと、もう結婚しなくても私は自己実現できればいいのだということを環境が支える社会ができてきましたから、例えばそういう晩婚化、未婚化ということをもう少しそういう視点からも見る必要があるかもしれません。したがって、もっと具体的に言うと、例えば50歳過ぎに初婚という方たちが多くなる可能性は十分考えられる。そうすると、生殖年齢を超えていますから、もう次の世代の子供を産み育てるという意味の結婚ではなくなる。お互いきずなが欲しいね、老後をしっかり支え合おうねという結婚は今後ますます重視されるかもしれませんが、子供を産み育てるという意味の結婚に対してはどう考えるか、これが1つ重要なポイントかと思います。さらに、男女平等、男女共同参画社会、これは確かに意識の変化はありますが、そのこと自体が結婚とか出産や子育て志向を高める方向に行っているかというと、残念ながら今のところまだまだそれには至っていない。どちらかというと男女共同参画社会になればなるほど、女性が社会で活躍すればするほど、結婚したり子供を産むことにためらうということが生じ始めています。
 そこで、2番目ですが、影響力を強める子供を産み育てることへの負のファクターということで、これはかなり質的なものになりますが、少し触れたいと思います。最初に申し上げましたように、子供を産み育てることに冷淡さを増す現代の日本、皆様方も本当に感じておるかと思います。身内で、あるいは御自身が外国での生活を経験すると、本当にこれはよく見えてくるかと思うのですが、身内の方、あるいは知人で外国へ行って子供を出産し育てている方たちの話を聞くことがあるかと思うのですが、ほとんどの方が共通して、日本に帰ってきてやっぱり思うのは、何て日本は子供を育てにくいのだろう、どうしてこんなに冷たいのだろうということです。それは環境がどうも違うのかもしれない。あなたが勝手に産んだ子よねという雰囲気なのか、わあ、私たちの子供よね、あなたは立派に育てているねということで、何かあったときにいつも思いやりとか配慮はできる。あるいはさまざまな医療サービス、福祉サービス、保育サービス、保健サービスがそこを大切にして、何か当然のように、そのときに料金が高いか安いか、社会保障制度でやるかやらないかは国によっていろいろ違いますが、そういう基盤、福祉制度や保健医療制度が日本はもうこれほど普及しているのに、何か心が伴っていないのです。これを感じます。国際比較調査をしても、子育てに対する不安を持っている保護者の割合が日本はやっぱり高いのです。調査をした国々の中でいいますと、日本はある意味では格段に高いと言っていいかもしれません。
 そうすると、それは何なのだろうか。つまり一人の人間が誕生するということについては、古来、特に日本はそうですが、非常にそのことに思いを、そして子供は宝というぐらいの思いもあって、どちらかというと虐待などということは余り起こりにくい社会。逆に本当に困ったときに親が子供を道連れに心中するという、これは最大の虐待ですけれども、むしろ生きている社会の中での虐待は少ないということは1つの典型だったわけです。いよいよ苦しくなったら、子供を巻き添えというか、子供にこんなに苦しい思いをさせたくないということで、あっけなく命を奪うという母子心中の歴史は結構あったわけですが、しかし子育て環境そのものについては優しい。これは「万葉集」の山上憶良もそうですが、それ以来たくさんの例を私たちは学ぶことができます。ついこの間までどうもそうだったのではないかというふうに思います。特に第2次世界大戦後のルース・ベネディクトの「菊と刀」もそうですが、その前の明治以来、西洋人が日本の親の情の厚さ、大人たちの子供への愛情のかけ方の深さ、これは驚いているわけです。もし子供が夜泣きをしたら寝かせてあげればいいというような主張というのは、日本ではもうはるかからある、最近になって、1970年代ぐらいになってアメリカの影響で出てきた程度で、やっぱり必ずすぐに反応する、敏感に反応する、情緒的に接触する、これがやっぱり日本の独特の風土、文化だったと思うのです。
 そういうことが、どこかでどんどんそぎ落とされてきている。だれも私たち専門家でもふっと気がついていなかった時代があったのではないか。いつの間にか、だれも意図せざるにかかわらず、気がついてみたら何と子育てに厳しい社会になったのだ。子供を育てていく、とりわけ親、特に母親に対する視線の厳しさは何なのだろう、結婚に対する否定的志向は何なのだ。親の思うとおりの結婚だったらいいのだけれども、それを許さないというふうなことが、今度は逆にまた変な形で出てきています。それは伝統社会の嫁しゅうとうめ関係とかの中からのこととは全然違って出てきたりしています。そうすると、どうもそのような社会というのは人間として生きる能力とか魅力をそぎ落としていく、人が生まれて育つというのは人間として育つポイントですので、そこに魅力を感じない社会は、本当に結婚にも、その前提である恋愛とか、異性とかかわるということもそうですが、そういうことを深々と小さいときから何かで準備していって、やがて大人になる、父親になる、母親になるという準備がどうも整わないうちに大人にさせていく社会がだんだん広がってきたのではないかというふうに思います。
 その能力と魅力の原点は何か、心豊かな人間的相互作用の経験ということかと思います。それがどうも軽視、等閑視されている。私は、量的な対応はいろんなことは皆さん本当にいろんな議論をして方向づけていますが、どちらかというとこういう質的な面で少しお話をしていきたいと思います。そうしますと、例えば岩手県は、いや、そんなことないですよ、もう大都市圏のあの無機的な冷たい雰囲気、それは全然ないですよとおっしゃる部分も多分にいろいろ見られると思います。にもかかわらず、沖縄県ですら合計特殊出生率が減ってきたのは、明らかに高学歴、女性の参加、そしてそれがもたらす晩婚、未婚ということと関係していると思いますが、もっと本質的には、私は全国どこも今申し上げたような傾向は深まってきているように思います。
 さらに、3番目に、出産、育児に関する家族形成の揺らぎ、これも1つまた出てきました。これは未婚、晩婚というのはもうさんざん言い尽くされていますが、もう一つ、3年前から日本の合計特殊出生率の低下をもたらすファクターとして、配偶者間出生力といいます、いわゆる夫婦の間で生む子供の数です。日本の合計特殊出生率の低下、少子化の最大の背景は未婚、晩婚でした。結婚をしないから必然的に子供は生まれない、晩婚であると生殖年齢から外れれば外れるほど結婚しても子供が生まれないということです。それともう一つ、これはぜひ承知しておいていただきたいのですが、日本は子供が生まれるというのは結婚を前提に考える社会ですから、例えば未婚の母とか、昔はよく不倫とか、私生児とかの言葉よく使われましたが、特に福祉先進国と呼ばれているような国々は、スウェーデンは余りにも有名ですが、いわゆる結婚しなくても子供を産んで育てる、事実婚、この割合が非常にふえているわけです。むしろ半数、もう年によってはそれ以上の子供が事実婚で生まれている。つまり同棲関係にあるとか、いろんなのがあると思いますが、そのような場合にも社会は、国や自治体は何ら差別なく対応するわけです。十分サービスをするわけです。本当に私もいろいろ実際に向こうで見させていただいたのは、とにかく一緒に生活しようよといって子供が生まれます。一生懸命育てていって、やがて子供が小学校4年生ぐらいになって、大丈夫だね、これだったら夫婦でやっていけるねといって結婚をする、正式の婚姻届をする、例えばそういうパターンなどがあるわけです。日本では、多くの場合ほとんどそれは社会的にはまだ許されない。何か隠し子的な形とか、結婚をしないで子供を産んで何て無責任というふうなことが結構あります。これは日本が一気に価値観を変えるということはできませんので、したがって未婚、晩婚が進めば進むほど子供の出生数は減っていくというのはもう必然的なことなのです、日本の場合。
 さらに、今申し上げました夫婦間出生力、配偶者間出生力が低下したということの背景にいろんなことが、理由がもう数年前から議論されています。その中でも特にセックスレス社会が到来したのではないか。つまり本来夫婦であるからいわゆる生殖機能があって子供を産むのだ。ところが、日本の社会はどうもそれとは関係なくセックス文化、性文化、
性産業、これほどまでに、これも世界的に見ても、それぞれありますが、こんなに露骨に広がっている国もちょっとないのかなと思います。そうすると、結婚しなくても、これはもう性的ニーズというのは、欲求の中でもとても大切なことですから、それはもうむしろきちっとどこでも対応できるような社会、これはすばらしいわけですが、日本はどちらかというと夫婦の中では認めるけれども、それ以外認めないというような状況にあればあるほど、肝心の夫婦間でセックスレスがふえているということも、やはりどこか何か少子高齢社会の中でのいろんな問題を引き起こす背景にあるのではないかというふうに思います。
 そして、さらに以下申し上げますことは、子供が生まれて、あるいは子供を育てる段階で生じているさまざまなマイナス面、これを少し挙げて、プラス面もたくさんあるのですが、やはりきょうの課題はマイナス面をどう克服するかだと思いますので、ざっと申し上げたいと思います。まず、進む育児の単相化への対応、これはUの少子化の背景へのとらえ方の3の2番目に複相的育児から単相的育児への変容と書きました。ちょっと専門的な、私自身がよく使う言葉なのですが、わかりにくくて申しわけありません。複相的育児というのは、岩手県でもやはり多世代家族、3世代家族は大都市を抱えている自治体に比べるとまだ割合高いのです。つまりおじいちゃん、おばあちゃんや、時にはおじさん、おばさんのような人、居候的な人も含めて、そのようなたくさんの人たちが1つ屋根の下で生活をともにするという状況、そして地域との交流もどちらかというと家は開かれた状態で見られる育児のことです。これは、一番の特色は、親は常に中心にはあるのだけれども、親とともにたくさんの大人たちが子育てに自然にかかわっている状態です。これはもうかなり重要なことなのですが、近代社会になり、近代家族、現代家族になればなるほど家というものはプライバシーで外との関係ではクローズ、閉じられた関係というものが望ましいことだ、いいことだ、これがどんどん普及しました。結果的に男は仕事、女は家庭というパラダイムが形成されればされるほど、右を見ても左を見ても、子供を見るのはだれといったら、産んだあなたしかいないではないですかという状況がつくられました。このように、おおむね実の親、とりわけ実の母親によって子育てが営まれる状況、これが単相的育児です。日本全国、岩手県もそうだと思いますが、単相的育児がここまで普及してきました。
 そのことは何をもたらしているかということが次、育児の単相化への対応ということになりますが、どういうことが欠けてきたのかといいますと、私個人のことを挙げるとなんですが、私は私の父、私の母の間で生まれてよかったと本当に思っています。今でもそういう感謝の気持ちは常に持っておりますが、感謝しろとか道徳的にどうの、そういうことではなくて、やはり育児の単相化が進めば進むほど、親の影響が圧倒的なのです。とりわけ母親との密度の濃い関係は必然的に生まれます。それがすばらしいかどうかはケース・バイ・ケースです。たくさんの事例、一つ一つみんな違います。母親だからすばらしい、これはそうありたいのだけれども、そうでないからこれだけ今いろんなことで問題が起きている。それは母親がよくないという意味ではなくて、母親に負担がかかり過ぎてくることから、問題を解決する選択肢が余りにも減ってきているわけです。まず、子育てだけでなくて、子供が育つ、子育てに欠かせないのは、実の親もそうですが、たくさんの魅力ある大人たちと小さいころから触れることだと思います。皆さん方も世代とかは違うかと思いますが、親以外にあの人というような影響を及ぼしてくれた人を挙げることはできるのではないでしょうか。私も忘れられない人がやっぱり何人かいます。それは、私のその後に、そして現在にも影響を及ぼしています。親がどんなにすばらしい親であろうと、あるいは、ああ、どうしてこんな親のもとで生まれてしまったのだろう、3軒隣のあの人が親だったらな、つくづく思う、例えばそういう人でも、やっぱりさらに多様な魅力ある大人たちと接触する機会があれば、もう子供の生命力、吸収力、適応力はすばらしいですから、ぐんぐんそれを引き込んで、やがて血となり肉となる糧として吸収できる部分があります。とりわけ乳幼児期や小学校低学年まではそのような人たちとの接触とその中身、これは相当重要だと思います。
 そのことが親の元だけで、後で触れますが、今父性不在ということがもうさんざん言われますが、とりわけ家の中で母親との関係、密度だけを濃くして育った場合に、その元で親準備性、大人準備性をはぐくむことの限界があります。だから、ある意味で私は保育というのは、保育に欠けるから、欠けないからで保育園に行くのではなくて、どの子供もある時期とかある内容として、保育園に親と一緒に行ったり、たくさんの子供たちやたくさんの大人たちと触れることが大事だと思いますが、そのような機会がなければないほど、あるいは幼稚園、NPOも増え始めていますが、子育て環境に協力する地域の方たちとのかかわりが減れば減るほど親準備性、子育て準備性はその親をモデルとしかできないです。これは大きいです。さらに、人間としての能力と魅力に欠かせない母性、父性のバランスが崩れてきているので、今申し上げましたこの三つをやはり考えるということは、基本的に質の問題として大事かと思います。ただ、数を増やそうということでは、こういうことをどんどん見えなくさせています。
 では、どうしたらいいか。母性神話、3歳児神話の克服ということがありますが、恐らく私たちも全国的にいろいろ研究、調査、アンケートをしてきましたが、もし岩手県で皆さん方にお聞きしてもそのような部分で意見が分かれるかと思いますが、母性神話、3歳児神話、具体的に言いますと、子供というものは実の母親が、特に子供が小さいときほど実の母親が家庭で育てるものである、あるいは育てるべきであるという価値観、パラダイムです。3歳児神話、3歳になるまでは実の母親が家庭で育てるものである、あるいは育てるべきである。これは実は近代の科学と近代家族、現代家族が登場することの中で出てきたある意味では神話と言っていいのです。もし反論があれば後でぜひお聞かせいただきたいと思います。これは私自身はもう四半世紀前から、1980年代前半からこのことについて科学的にずっとアプローチをしてきました。何よりもポイントの1つは、ゼロ歳からの保育はマイナスだ、こんなことをしてはいけないという状況が日本ではありました。御存じのように児童福祉法は保育というのは乳児及び幼児を対象としています。ゼロ歳から保育することはできるわけです。もし保育に欠けると判断されたら、ゼロ歳の子供を保育しなければならない、これは公的責任だったわけです。ところが、もうゼロ歳からの保育まかりならぬというのは、社会の考え方もそうですが、保育園自体、あるいは行政自体がそれを拒んできました。そのことがいかに母親やその家庭にいろんな苦労を負わせ、子供の育ちに影響を及ぼしてきたか、これを思いますと、私はゼロ歳から保育をすべきであると全く主張してはいません。むしろ本来的な意味で母性の大切さということからいうと、十分赤ちゃんのころからそれは必要なのです。ただ、その次です。だから実の母親が育てるべきということは、少しずれるということなのです。
 これはどういうことかと言いますと、まずなぜパラダイムが形成されたか、もう十分御承知かと思いますが、近代産業革命以降、徐々に産業化が進み、工業化、都市化、核家族化が進む中でつくり出されたのが性別役割分業の価値観なのです。これは男は仕事、女は家庭という中で、母親以外に責任を持ってしっかり育てる人がだんだんなくなってきたわけです。そうすると、よし、一丁おれが育ててやろうという社会は冗談ではない、何言っている、この男の人おかしいのではないかという社会の中で当たり前ですが、あなたが産んだのだから、あなたが一番ふさわしいのだということは当然出てくるわけです。したがって、子供をほっぽり出して仕事につくとか外に出る、まかりならぬ、これは当然のことです。非常によく理解できることです。ところが、それがどんどんプレッシャーとなって、女性、とりわけ母親を苦しめる社会をつくり上げてきました。1つは、あなたが親なのだから、子供をしっかり育てていかなくてはいけないという具体的な言葉や態度に見られるプレッシャー、言葉、態度に見られなくとも、社会的なものが意図する、せざるにかかわらないプレッシャー、これが結局のところは男は外でしっかり稼いで家族を養うのだ。女は子供でしょうという社会です。これをどんどんつくっていく中で、母性神話、3歳児神話が出てきました。
 専門的にたどると、19世紀後半にこのきっかけは見られてきますが、本当に定着したのはむしろ20世紀後半なのです。例えばその前。いや、男は仕事、女は家庭でしょうという部分ももちろんあったと思いますが、第1次産業がウエートを占め、そして徐々に第2次産業がウエートを占める。そしてついこの間まで、1960年代ぐらいまで女性の労働力というのは、実は非常に高かったのです。今働く女性がふえてきたということ自体は、具体的に言うと家庭外就労、つまり男がサラリーマンというような通勤、出勤という形と同じように、結婚しても家庭外就労、子供を産んでも家庭外就労という状況になったのは全く最近のことです。むしろ女性は本当によく働いていたということです。まして第1次産業が中心であればあるほど、子供を育てるということと働くこと、家事ということはかなり一体だったわけです。そのときには、先ほどのようにむしろ複層的育児を不可欠としていました。はるか昔から実の母親だけがしっかり子供を育てて立派に子供が育ったか、私はほとんどそれは立証できないと思っています。とりわけ上層階級、上流階級の歴史を見れば見るほど歴然としていますが、はるか昔から生みの親と育ての親は違っていました。むしろ現代風に言えば、専門保育者である乳母とか、めのとがしっかりと育てたわけです。だからこそ、また何か大奥ブームのドラマとかがありますが、大奥のあのような人間のどろどろしたということよりも、私たちが見ると大奥のすばらしさ、すごさ、すばらしいのではなくてすごさというのは、時には側室、そして特にめのととして、将来重要な役割を担う、時には将軍になるような人たちを小さいときからしつけ、教育をしていたわけです。だからこそ15歳、元服になり20歳を過ぎても、いよいよとなったら、ねえ、おかあちゃんどうしたらいいという意味でめのとや乳母に頼る、当たり前です。これがある意味ではアタッチメントの形成と同じことだったのです。そのように、例えば上流、上層階級でいっても、もう特に上流階級ほど生みの親と育ての親は違っていました。
 そのような社会、そしてたくさんの多くの庶民と呼ばれる一般の人たちにとっても、先ほども申し上げましたように、複層的育児の中でどれほど社会の中で育つということが可能だったでしょうか。もちろん生みの親の意義は深いですが、母性神話、3歳児神話は、そのような歴史的な必然の中から専業主婦こそ大事だった、つまり今でも時々議論されます日本の高度経済成長を支えたのは専業主婦だとさえ言われています。男は身をすり減らしてエネルギーを外に注いで、これだけの貢献をしてきた。今こそいよいよそのような人たちが、団塊の世代の方たちが定年になる、もうまさに団塊の世代の人たちは一番そこの経験をしていた方たちで、もういよいよ来年からは年金も離婚した場合でも妻が受給できるということで、さあといって離婚の準備をしている女性がたくさん増えてきたということがさんざん話題になっていますが、中年離婚、熟年離婚、男たちは何のために生きてきたのだろうと思うような部分がありました。ところが、もっともっと探っていきますと、男たちは子供とか家庭とか夫婦関係にどれだけエネルギーを注いだか、あるいは無関心であったかということが最近はしっぺ返しで簡単に出てくる背景がある。大体黙っていて、もう女房はおれの気持ちがわかっているだろう、はもうほとんど通じないのではないですか、このごろは。そういうようなことも含めて、これは実は母性神話、3歳児神話と同じ神話です。
 客観的に私はずっとこの研究を進める中で、ゼロ歳からの保育がマイナスの影響を及ぼすということはついに実証できませんでした。これは世界でもいろんな研究が深まっています。十何年という継続研究、私たちも6年やってまいりましたが、継続研究をしても、あるいは中学生、高校生になった人たち、一部成人になった人たちにもアプローチしていますが、ゼロ歳からの保育がマイナスの影響を及ぼす、とりわけ情緒的人間性とか情緒的、あるいは知的発達に影響を及ぼすということはついに立証できませんでした。このことはかなり私も言っているつもりです。さんざんたたかれます。とりわけフェミニストの一部の方とか、私はそういうことで何か世の中をかく乱させるのではないかと感じさせるのか、とりわけ男の人たち、それから一部中高年以上の女性の方たちから批判を受けます。何を言っているのですか、母親ぐらい大事な存在はないのではないか、そのとおりだと思います。私は、何にもそれを否定しているのではなくて、むしろ母親が母親らしく育つ環境をさんざん軽視していて、親になってから責任ばかり問う、だから今現代型児童虐待というものが増えているわけです。それらを含めて考えると、母性、父性の均衡の回復ということはとても大事だろうということになります。
 そこで、3番目には三つ挙げました。時間が限られていますので、本当にポイントだけ申し上げます。一言で言いますと、非常にちょっと単純に、簡潔に表現しますので誤解を招きやすいかと思いますが、母性過剰、父性欠如社会、日本は相変わらずここから抜け出ることができない状況です。母親が母親だといっていることから起こっている母親養育の過剰性の問題は、まず母子密着です。それから、子育て競争が相変わらずあおられます。とりわけ母親の生きがいというものが子供であればあるほど、それと社会やほかの人とのつながりを親自体も希薄にすればするほど、子供も希薄になるだけでなくて、親は何に生きがいを求めるかというと、どうしてもやはり子供が社会の中で満足に、私が満足できるように育つことという競争の原理、子育て競争になってしまっています。父親、夫がそこに何らかの形でかかわらなければかかわらないほど、養育の過剰性が浮き彫りになっています。それは、もう一つ、母親が心理的に自立できないだけでなくて、子供の心理的自立を遅らせています。モラトリアム人間とか今いろいろ言葉あって出ています引きこもり、あるいはニート、これらも私は関連しているというふうに思っている一人です。さらに、母親養育の過剰性が深まれば深まるほど、単相的育児が強まれば強まるほど現代特有の児童虐待が出てきています。過去の子供の虐待というと、やっぱり親が殴ったりけ飛ばして、これはしつけなのだという意味の虐待がかなり多かったわけですが、現代の虐待はもっと複雑です。殺人、結局子供を虐待死させたというのは、マスコミが本当にセンセーショナルに取り上げています。これもとても大事な大変なことなのですが、もう一つ死まで至らなくても、虐待のトラウマを受けて、結局いよいよ自立するときに、私って一体何なのだろうという私探しに戸惑う。そうすると、社会に出られない、人と人との健康で健やかなかかわりを持てないのです。そういう状況の中で、どうして異性とかかわることができるのでしょう、どうして結婚をうまくこなしていくことができるでしょう。それは、今虐待を典型として挙げましたが、そうでない、そのような虐待を受けていないたくさんの子供たちにとっても、どうもこの部分はさまざまにいろんな影響を及ぼしています。
 ずっと長年若い人たちとつき合い、学生とつき合っていて、やはり最近の傾向は、とても表面的に人とつき合うのは上手な人はたくさんいます。でも、本気でけんかしたり、本当にぶつかり合う、それをしない、あるいは避ける人は多いです。だから、サークル活動でみんな仲よく、楽しく、とことん人間経験のあの奥深さ、あるいは肌のぬくもりを感じさせるような深さ、こういうものをどっちかというと避ける人もふえている。もちろんそうでない人もたくさんいますけれども、そういうふうなことが実は恋愛とか、異性とつき合うとか、結婚するとか、まして子供を産み育てるということに対して、決してプラスのモチベーションをつくってはいない部分なのであります。これは、私はきょうはマイナスを言って、何かすごく強調しているように聞こえるかもしれません。プラス面もたくさんあるのですが、でもプラス面も覆い隠すぐらい出てきている部分がありますので、御理解いただけるかと思います。
 さらに、父親養育の不全性、これは父親の心理的不在、父性的権威の混乱です。男は、夫は、父というものは、そこにいるだけで、威張っているだけで大丈夫というのは、私は思うのですけれども、それは女性がそうさせたと思うのです。いい意味で。逆に言えば、男というの確かに弱いのです。いろんな意味で。女性がいつの時代も、やっぱり女性が上手だったと思うのです。どんなに権威がなくても、お父ちゃんというふうな部分を、あるいはしゅうととか、しゅうとめとか、そういう全体の関係も含めて、父親の権威を失墜させるようなことというのは家族内では余りしなかったのではないかと思います。ところが、あれよあれよという間に男女平等とか男女共同参画社会という形でも進むし、ああ、そうでなくてはいけないというふうなことになっていく中で、今混乱しているのではないでしょうか。たくさんのアンケートとか調査を通じて言えることは、父親というのは子供のおむつがえをしたりおふろに入れてくれたり、それはすごくありがたい、そうしてくれるのは物すごくうれしい。一緒に買い物してくれたりする。本当にありがたい。でも、一番大事なのは、私がこれだけ子育てしているということを理解してくれて支えてくれるだけ、これだけで一緒に子育てをしている、本当に、ああ、あなたと私の間の子供だ、すてきに育てたいというプラスの感情も起こるということだと思うのです。忙しいよね、僕も忙しくてごめんごめん。例えばそういう言葉を聞くだけでも違う。ところが、今はもうそういう母性と父性とか、夫とか妻というのは、たくさんの価値観で混乱して、ちょうど過渡期だと思うのです。黙っていてもおまえの苦労はわかっているよ。これでは本当に通じない社会だということです。最も、アメリカのように毎朝おまえを愛しているよなんていうのはもうどうしようもない、きざで、日本人にはできない。ですけれども、気持ち、一緒の夫婦だね、一緒に子供を育てているねということをしっかり育てていく、これも父性なのです。母性は包み込むことですが、父性というのはやっぱり対立とか相克があったときにしっかりと立ち向かう、これは父性の一番のポイントです。そのこともまた父親の中に余り見られなくなった。どっちかというと、お父さん引き下がっていなさい、私が全部やってあげるという母親や妻も出てきています。ましてひとり親はどうでしょう、母子家庭、父子家庭。本当に大変です。円満に離婚する方がいいということも1つどんどん出てきていますが、その後だれがサポートするかという部分も大変です。
 そういういろんなことからいうと、どうも子供を産み育てるということは、余り楽しくないという部分がどうも少子化の部分と影響が出ています。私は、県議会でこのように委員会で発言させていただいていますが、やっぱり岩手県は今私が申し上げていることのさまざまな土壌とかは結構あるのではないでしょうか。むしろそれが1つのモデル県というか、モデルとなり得る部分は結構あるかと思います。それにしてもどうなのでしょう。結婚する女性が減ってきている、それこそもう1980年代半ばぐらいからですよね、過疎化が進んでいる県では、外国人女性を嫁にという動きは本当にあったわけで、だからある意味では過疎化、高齢化ということはもうその背景に少子化ということは明らかに進んでいたわけですが、1.57ショックまでは少子化という視点ではなかなかとらえにくかったということかもしれません。
 そこで、4番目の内にこもる、育ち、自立のエネルギーということで、先ほど申し上げましたモラトリアムとかニートがもたらされているのは、どうも人として生まれるのだけれども、人間として育つという心豊かな人間関係がだんだん十分に与えられる環境が少なくなっている。「私探し」ぐらい結婚をためらう背景はありません。確かに給与が低いから結婚できないということもあります。それから、子育てには費用はかかる、それを思うともう子供は産みたくない、これもあるのです。しかし、それは現実的に、量的に見えることですが、質的に私たちはもうちょっと探っていったとき、これをどういうふうにしたらいいか。だれもが私たち一人一人、物すごい生命エネルギーと潜在的パワーを持って生まれてきているのです。それはすごいものを授かって生まれてきているのですが、本当に今の子供たちや私たちがその可能性を生かすことができる環境、どんどん提供できているかがこんなに重要なのです。価値観が広がりましたよ。生き方もいろいろあるのですよと言えば言うほど、どうして今の子供たちや学生は、何か可能性、限られたものにしか興味を持たなくなっている。やっぱりそれは親の育て方とともに社会の育て方、学校の先生はもちろんですが、私たち日々かかわっている大人たちが子供にもっと目を向けていない、そういう社会になっているかと思うのです。
 そこで、ちょっと時間的に急がせていただきますが、子育て支援、次世代育成支援ということをこの視点で見たときに、ポイントだけちょっと申し上げます。まず、子育てを担う人というのは、何よりもまずだれでもそう思いますが、実親です。実親が中核にある、ウエートも高い、これを前提として、しかし育ての親というのは実の親だけに任せることのさまざまな問題がこんなに出ているではないですか。もっと真剣に社会は考えましょうということを言いたいわけです。その場合に、子育ての歴史を見ても、もう具体的なことだけを挙げますが、名づけ親とかしつけ親とか旅親、職親、養子縁組の養親、里親、実の親以外の人たちがどれほどいろんなかかわりをしてきたでしょう。現在でも里親とか養子縁組は、そのとおり歴史的な名前は今でも引き継いでいます。とりわけ職親というのは今欠けていて、私はもっと広げたいのです。いよいよ職親制度というのは、かえって制度上は軽視され始めています。そして、それらをすべて総括的に表現すると、私は社会的親ということをかなり主張している一人です。子供が求める魅力的な心理的親、社会的親、ちょっと心理的親ということはここでは省略させていただきます。私たちすべての人は社会的親なのだ。ある山田太郎君という人がいて、山田さんちのあそこの子供ねということももちろん大事ですが、その次です、だから関係ないでしょう。わいわい騒ぐと、うるせえ、てめえらという反応をしてしまう心の貧しさです。むしろ山田太郎君は、私たちと一緒に生活しているのだね、やがては自分たちを支える、次の時代を担う人たちなのだね、社会の子だよねという意識です。これを家庭教育、社会教育、学校教育もそうですが、社会で本当にもう一回きちっととらえ直す必要があるのではないでしょうか。
 児童福祉法は、3の子育てにおける社会連帯という1番目ですが、1947年、幾らGHQの指導とはいえ、日本国憲法ができて児童福祉法ができたとき、これはもういまだにそうですが、世界でも画期的な児童福祉の法律だったのです。なぜかというと、この第1条、それから第2条ですが、この原理がすごかったわけです。「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない」、「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」ということです。第2条では、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」として国、地方自治体の責任を上げたのです。これを公的責任としましょう。そうすると、第1条は、私は社会的責任という表現がふさわしいと思っています。子供を産み育てるということはプライバシー、基本はもうそのとおりです。プライバシーです。でも、社会的な営みとして、私たちが十分責任を持たなくてはいけない。よそ様とかよそ様の子、そのような意識がどういうわけか日本は第2次世界大戦後の、いろんなこれほど変化していく中で、それがどうもうまくいかなかった。児童福祉法がこんなにすてきな理念を挙げたにもかかわらず、実態はますます第1条から遠ざかっていったという必然性があります。それを見直す時代が、私は例えば1.57ショックでもそうだったと思います。ごめんなさい、私たちは専門的にこう見ていましたから、どうしてもっとという気持ちはあります。本当に子供を大切にしようよということはずっと言ってきたつもりですが、ほとんど関心は向けられませんでした。むしろ少子社会になって私たちは忙しくなってきました。それは、本当にいいきっかけだったと思います。子供が生まれる、子供が生きるということの大切さを本当に社会は考えるという、いいきっかけになったと思います。ですから、子育て支援のさまざまなサービスや施策も、次世代育成支援のさまざまなサービスや施策も、その視点でいけば私はやっぱりまだまだ日本は相当いろんな可能性を持っていると思います。しかし、ただ形ばかりのもので、結果的にすぐ批判されて、政策が悪かったとかということになれば、いつも何かが悪循環で、気がついてみたら全国平均の合計特殊出生率が1.1になっていたという社会、東京がもう1.09まで下がっていますが、そういうことが起こるかもしれません。
 次世代育成支援対策、その次に推進を入れていただけますか、申しわけありません。次世代育成支援対策推進法です。平成15年に、もう年が明けましたから3年前になりますか、2003年に通過しました。これは、子育て支援、もっと積極的に私たち社会が保護者とともに次世代を担う子供たちをしっかり育てる、その子育てに喜びが感じられるように配慮する社会にするということが掲げられたわけです。これは私は画期的なことだと思います。子育て支援は消極的です。次世代育成支援は私たちが積極的に責任を担うという意思表示として受けとめるべきと思っている一人です。したがって、Aにありますように、社会の子供観をしっかりと形成していくことと、男は仕事、女は家庭、を変えていきましょうと意識変革をどんなに進めても、徐々に変化はしていますが、次世代育成支援対策推進法はもう意識改革でありません。行動改革と呼ばれる、もうそこの必要性まで出てきております。何よりも子供を産み育てることへの価値観の確認と子育て家庭への感謝、これをやっぱりもっとしっかり受けとめるべきかと思います。
 次世代育成支援対策の行動計画がいよいよ策定されて、昨年4月から実施に移されています。岩手県、それから市町村すべて行動計画策定の義務がありますので、そして何よりも大きな特徴は、一般事業主、特定事業主、すべての事業体、企業なども必ず次世代育成支援のための行動計画を策定しなくてはならないという強制義務、それから努力義務が課されました。御承知のように、301人以上の被雇用者、従業員を抱えている企業は策定の強制義務がありますし、300人以下のいわゆる中小、あるいは零細と呼ばれる企業や事業体、社会福祉法人などもすべてそうですが、策定するように努めるという努力義務が課せられました。もしこの関連で皆様方既にかかわっていることがございましたら、きょうの話といろいろ結びつける部分もあるかと思いますが、そこで最後の5番目、地方自治体の特性を活かすというところに触れたいと思います。
 実際に行動計画や具体的ないろんな事業を実施する上での重要なものは何かと。私が今申し上げたことを踏まえてということになりますが、本当に中央集権から地方分権へ、それから規制改革、それから三位一体改革、いろんなことが進んでいますが、本当に皆様方地方自治体で地方の自立性、主体性というものをどう進めていったらいいかという部分は随分迷う部分、特に補助金とかを考えますと迷う部分があるかと思います。これからというか、既に20世紀末からもうその時代に入っていると私は思いますが、子供を産み育てることへのさまざまな施策は、国は大きなもうプランを出すだけでいいと思っています。むしろ自治体がそういった一律性や基準に基づくということよりも、それぞれの特色や独自性に立った計画とか実施、評価をすべきかと思います。私は、どうしても住んでいる関係上、東京都とか東京都区内のところでこれにかかわったり、審議会や委員会にかかわったり、それから神奈川県とか、どうしても大都市圏を抱えているところでのこれについての独自性をいろいろ検討しておりますが、割と出しやすいのです。財政的にもそれを保障する部分もあります。しかし、全国の多くの地方自治体は、やっぱり財政面をどうするかということから、そんな机上の空論をやっているのは簡単です、でもという部分はあるかと思います。
 しかし、今後の展開を言いますと、やはり市町村を強くする、市町村の力をつけるということがかなり少子化、それから子育て支援、次世代育成支援では重要になるかと思います。最近の国の調査によりますと、例えば地方自治体の特性を活かすの1のBです、次世代育成支援対策地域協議会、これを設けることになっています、法律で。それから、要保護児童対策地域協議会、これは児童福祉法です。次世代育成支援対策地域協議会は次世代育成支援対策法ですが、それぞれ設けることがもう義務づけられている。実施状況を見ているのですが、全国の自治体でとりわけ虐待の対応の関係で要保護児童対策地域協議会があります。それから、これは本当は子供の非行犯罪、養護問題に本格的に全部取り扱うという大事なところなのですが、おおむね虐待対応ということで進んでいますが、まだ全国で6割ぐらいです、自治体で。岩手県、たしかこの間調べましたら、五十数%でしたか、自治体で、そういうことが進んでいます。もちろん県としてもこのような協議会を設けたり、市町村との連携の中で進める部分があるでしょう。県は、国と市町村との間でどんな役割を持つかということですが、これ自体もかなり独自のものがあっていいかと思います。その上で大事なことは、1のAに8つの基本的な視点を重視する、これは私自身も実は育成支援対策推進法の中の行動計画、策定指針をつくるというところで、ちょっとまとめ役を仰せつかったときに内容を固めたもので、もう十分先生方御存じかと思いますが、行動計画策定指針の中にこの8つの基本的な視点ということが書かれています。子供の視点、次代の親づくりという視点、サービス利用者の視点、社会全体による支援の視点、すべての子供と家庭への支援の視点、地域における社会資源の効果的な活用の視点、サービスの質の視点、地域特性の視点、この8つです。非常に1つ1つは抽象的ですけれども、それをどう生かすか、特に例えば岩手県でしたら市町村の特色を、全体を見つつ、しかも国というか、日本の政策、法律、制度の中で独自の条例をどう考えるかというふうな部分が出てくるかと思います。
 私は、岩手県は先ほど来申し上げました、全国的にはなぜ少子化が進んでいるかの背景の質的なものにもっともっと目を注いでほしいと思っている一人ですが、皆さん方の環境の中で、これはある意味ではいろんな形で生かせる。そうすると、Uターン現象とまではいかないでしょうが、何が活性化をもたらすかという点で、県内で子供を産み育てたいという環境をつくる1つのきっかけというものが、例えば東京とか大阪などと違ったものが当然ですが出てきます。東京はとりわけ本当にもう行き詰まっています。結婚に対する関心という点で言うと、全国で一番低い自治体かもしれません。本当に苦労しています。いろんなことを今やろうとして、今私も協力していますが、そのような点から見ると、質的な面から見るといろいろ悩むでしょう。ただ、何より人、そして財源だと思います。
 具体的には、今いろんな課題があるかと思いますが、2番目に挙げましたが、子供を産み育てる環境というのは、縦割りでは本当に効果を発揮するのは難しい、関係機関、市町村、そして何よりも企業、事業主が連携のネットワークに入るとこれは強いのです。つまり会社というのは、将来たくさんの子供を産み育てる予備軍の人たちです。その人たちがどう結婚を考えているか、子供を産み育てることを考えているか。さらに、結婚した後も安定して家庭と仕事を両立することができるように、育児休業とかさまざまなことももちろんそうですが、それから託児保育のサービスをどうするかということもありますが、何よりも会社の経営者、とりわけ役職にある人たちのもう意識改革ではなくて行動改革が求められています。
 先ほどもちょっと議会の事務局長さんとお話ししましたが、もちろん岩手県も企業誘致をいろいろ進めておりますが、何も企業、もちろんIT企業などは脚光を浴びていますが、いろんな形、それから第1次産業、第2次産業のさまざまな形、それから私はこんなことは分野が違うので余り申し上げられませんが、郵政民営化の中で郵便局と呼ばれているところは地域の拠点になる可能性は結構あるのです。むしろ早速、いわゆるコンビニ的な機能を持ってやろうとか、いろいろな試みがありますが、そこが地域のさまざまな人たちにとっても拠点になる。ここに来れば子供とかいろんなことの情報が得られる、あるいはいいですよ、大丈夫ですよといって保育サービスをするとか、いろんなことは、むしろ大都会よりやりやすい面がいろいろあるかと思いますが、それらも含めて、連携ということから、はい、児童相談所がありますよ、民生委員、児童委員が活動していますよという縦割りでは、かなりこれは難しい面があります。特にさまざまな事業体が子育てに関心を持ったかかわりをする、これは社会に大きな変化をもたらすと思います。
 それから、2番目ですが、御承知のように児童福祉法は1997年に、平成9年ですか、大きな制度改革をしました。それ以来4回にわたってなお大きな改正をしていまして、御承知かと思いますが、子供のすべてよろず相談の中核にある岩手県内の児童相談所だけではなくて、市町村が児童家庭相談の窓口になる、これは児童福祉法第25条での一番の大きな改革です。市町村が児童相談所の窓口になります。そうしますと、都道府県としての児童相談所の役割、さらに児童相談所以外のさまざまな県としてのこの部分の役割を、特に市町村との関連でうまく連携するということが必要になってきます。例えば具体的に言いますと、都道府県が市町村のさまざまな窓口にソーシャルワークとか、心理臨床の知識、技術を持っている人がいる、例えばそういうことがもう求められているわけです。多くの場合、現在執行されてからの状況を見ますと、多くの市町村はそれらの専門家を確保できてません。大体養成できませんし、人件費としてそれを確保するようなこともできません。まだそういう状態ですけれども、都道府県がどう動くかでこれはかなり違ってきます。そうすると、全体の市町村や県の子育て力を底上げしていく大きな1つのきっかけになる。関係機関の連携の次に挙げましたのはそういう意味で、都道府県と市町村が児童家庭相談体制を密接に連携しながら進める、大きなことかと思います。
 それから、保健福祉の推進、沢内村の例を挙げさせていただきましたが、今保健サービスはほとんど親が子供を連れて保健所とか保健センターとか、いろいろな地域のところへ出かけます。沢内村の例もそうですが、本来保健サービスの重要なポイントは、在宅保健、訪問保健、これは制度としてそれを普及していなかったので日本ではなかなかできていないのですが、これはむしろ大きな方向として県のシステムとして、あるいは各市町村に協力するシステムとして訪問保健、あるいは私の分野でいいますと訪問保育です。保育サービスというのは、ほとんど何か家庭から保育所に行く、保育ママさんのところへ行く、つまり子供の本来一番生活している、生活の拠点である家庭から離れる、子供も離れるというシステムを中心に運営されていますが、在宅保育、訪問保育、つまり保育者がその家庭に入って保育サービスをする、これも広げようとしています。特に大都市圏ではもう必ず需要が起きています。現在全国ベビーシッター協会というので公的な機関がありまして、国の助成、補助金を受けていろんな仕事もしておりますが、残念ながら東北では仙台市に加盟している3つがあって、今もう2つか1つになりましたが、大分合併したりしていますが、それ以外の東北の県ではまだそのようなことまではいっておりません。しかし、むしろ訪問保健とか訪問保育ということをサービスのシステムとして取り入れるということは、検討に十分値することだと思います。ではそれを事業としてやっていけるか、コスト、それから人というのを都道府県が指導する部分が出てくるかもしれません。
 さらに、もう一つは、教育福祉の推進。岩手県でもいろいろ話が出ている部分があるのですが、総合施設構想です。保育所と幼稚園が一体化する。従来から幼保二元性です。文部科学省と厚生労働省の縦割りで幼稚園と保育所が機能している、これは典型です。特徴的なことで、幼保一元化を図ろうとする動きはいつもありますが、今のところありません。私は、21世紀初頭にはなるかならないかという、1998年の調査のときには多分ならないだろうと答えた一人です。幼保一元化はとても難しいのですが、幼保一体という言葉、一元ではなくて幼保一体が本格的に進んでいます。これはまず規制緩和、それから地方分権、さらに特区制、これでどんどん広がりつつありますが、数から言えばまだまだです。岩手県での保育所をこれからどうするか。いわゆる教育委員会の関連ですが、幼稚園をどうするかという部分も関連するとは思いますが、1つは幼保の連携、それから幼保と小中の連携ということをこれから広げていく、これは実は遠いように見えますが、子供を産み育てることへの関心とか、優しい社会とか、あるいは結婚し、子供を産み育てるということにプラスに働くファクターがたくさんあります。
 例えば不幸な事件が昨年ありました。小学校1年生が途中で殺されてしまう、それも実は保育問題なのです。児童福祉法、そのほかは保育は学童に、小学校1年に入っても保育をすることができるように制度はあるのですが、実態は完全に分断です。だから、実際のところは、保育を必要とする時期というのは、私は思春期になるまであると思います。本当に保育を必要とします。保護という部分は欠かせないのです。しかし、現実には小学校低学年までは保育に欠けていれば保育をしなくてならない、私はこれは公的責任だと思っています。そうしますと、子供たちは小学校に上がる前に、はい、さようならですよということで保育園を卒園するわけです。本来保育園の役割は、入園、卒園という機能はないのですが、余りにも幼稚園と同じような仕組みで進めていますので、卒園です。子供たちがまた来たいと、小学校で授業終わったら飛んでくる子供たちはたくさんいるわけです。でも、もうお兄ちゃん、お姉ちゃんなのだよ、もう小学校に入るなら保育園には来なくていいのだよ、これは制度がそう言わせるわけです。そういうときに、もし先ほど上げたそういう不幸な問題というのは、保育園だったら、幼稚園もそうですが、必ず送迎保育をやっているわけです。なぜ小学校1年生だからやらないのか。実は、私たちは、児童館とか保育園の関係で、もう小学校に入ってからもお帰りなさいというシステムをつくろうということはかなり言っていますが、制度上はなかなか難しいです。本当に努力、よくわかります。地域の高齢者の方々が下校時にみんな立ってボランティア的にやろう。結構なことだと思います。でも、続かないと思います。もう本当に大変なことです。それをシステムとして、あるいは人や公費をかけて行うことが、実は高齢者にこれだけ莫大な予算をかけているのに対して、子供関係は4%だとか7%だとか言われている。現実だと思います。あのような不幸な事件というのは、私たちから言わせていただくと、物すごく僣越で申しわけありませんが、防げることなのです。それをやっぱり学校なのだからといって学校は保育の機能はありません。したがって、そういう不幸が起きるわけです。だから、送迎は当たり前です。親御さんも迎えに行ったり、送っていったりということは、保育を必要とする時期は、責任として持ってほしい部分があるわけです。そういうことをこれからどうするかということも教育福祉の推進とも関連があるかと思います。
 いただいた時間をちょっとというか、超えてしまいまして、あと30分ぐらいなのですが、行財政の方向などは、そこで具体的にということで、先生方の御意見とか、御質問を受ける中でよろしいでしょうか。
 それでは、とりあえずは私のお話を終わらせていただきます。
○工藤大輔委員長 大変ありがとうございました。
 それでは、これより質疑、意見交換を行います。ただいまの御講演をいただきましたことに関し、質疑、御意見等はございませんか。
○及川幸子委員 大変ありがとうございます。私どもの会派で、10月に、まさにお話の中にありましたスウェーデンの方に視察に行ってまいりまして、大変福祉の部分で子育てに優しい環境世界一だということで、18歳になるまでの子育てに関する医療費がただとか、教育費もただ、すごく優しい環境の中で恵まれ過ぎて、逆に離婚率が50%ということで、大変驚いたのですが、施策の中でやっぱり全国的に見て、子育てに対して優しい施策をすればするほど離婚率が高まるのではないかというふうに思ったのですが、いかがでしょうか。
○網野武博氏 本当に指摘されることは非常に重要な意味を持っていると思います。スウェーデンは、先ほど例を挙げたように、もう一方ではいわゆる事実婚といいますか、不婚でも、正式な婚姻届でなくてもという部分が関係しているのです。結局もちろん結婚、子供できちゃった婚ではないですが、それで婚姻届をしたり、むしろ日本よりははるかに古くから離婚率は高かったわけでして、要するに自立か、きずなかを、どっちを大事にするかというと、最後は自立ですので、離婚ということになる。その後のアフターサービスとかいろいろ勉強されてきたと思いますが、離婚そのものが日本のように非常につらくて、経済的なことも含めてというのでない部分は確かに違いがあると思います。私も離婚率が50%とか、アメリカなどの離婚とちょっと違っていて、余りにも自由なということへの危惧は感じていますが、そのこと自体と、もし子供が生まれる、育つということで結びつけると、離婚後もだからといってほっぽり出すとか、日本で言えば母子生活支援室がどんどん増える、どうもそうでもないのです。むしろ私たちが今までの離婚の一番の心配問題は、例えば旧ソビエト、今ロシアでもそうですが、男性側の背景で特にアルコール中毒の夫が多くて、結局家庭崩壊するということが社会主義圏のころからあったのです。そういう東欧圏の離婚の背景と北欧圏の離婚の背景がちょっと違うのかなというふうな感じです。
○及川幸子委員 あと1点ですが、先生のお話の中で、一人の生みの親で育てるよりも大勢の中で、3歳前でしょうか、育てる方がいいという部分はとても共感できるのです。そういうお話を逆に若い子育て中のお母さん方に先生は全国歩かれて講演をする機会がおありなのでしょうか。
○網野武博氏 最近は特にNPOがふえてきましたので、NPOがこういうことで勉強したいのでということで、お母さん方と一緒にということでは多いです。
○及川幸子委員 工藤勝子委員も私もですが、9人とか10人で暮らして、3代、4代で暮らしているのですけれども、若い嫁と話をする場合に、やっぱり最後は今と昔は育て方違うというところで、ばんと一掃されてしまうのですが、逆に育て方というのはそう変わらないと思うのですが、どちらかというとしゅうとの話を余り聞かないものですから、先生のような方が幼稚園のそういうPTAとかに積極的に足を運ばれて講演なさる方が効き目があるのかなという気がいたしたので、ちょっとお話をさせていただきました。
○網野武博氏 今のことは大事だと思うのです。つまりさっきの量か質かで言うのと同じで、例えば3世代家族がいいと私は申し上げているわけではないのです。いい3世代家族もあるし本当に困った家族もあれば、すごくいい家族もあるのです。私の申し上げたいことは、今もう現実にそうですけれども、干渉しない方がいい。むしろそれを周りのほかのお母さん方が悩み合っているときに、例えばうちは一緒に同居しているのだけれども、結構すごいのよ、こういうことでやってくれる、例えば40度の熱が出て、うわあ、どうしたらいいのだろう、どうしたらいいのだろうというときに、落ちついて大丈夫、大丈夫と言って見事に孫の世話をする。都会は、御存じでしょうが、すぐ救急病院なのです。だから、もう救急車は本当に出動して、こんなことで来てくれなくてもいいのにという数が大きくて困っているわけです。ですから、そういうときにそばにいても、あるいはそばにいなくても、だれか一緒にやってくれる人、むしろじっと控えておられて、いよいよというときにそうしたらもうがんと評価上がるのです。
○工藤勝子委員 どの先生とも言いませんけれども、今の少子化になってきたのは日本が豊かになり過ぎたという先生がおりまして、もう少し日本はもうちょっと戦後みたいな貧しさというのはないのですけれども、そうなってくると子供がふえるのではないかという話をした先生がいたのです。先生の講演の中で、今1.29とか1.28とか言われている中で、どこまで少子化が進んで、さらにこれがどこのあたりで、歯どめがかかるとお考えなのでしょうか。
○網野武博氏 私は、人口の専門ではありませんので、ただ現在の社会保障・人口問題研究所の高橋先生がその専門で、時々そういういろいろ議論をするのですが、一番のポイントは、例えば東京のように1.0になった場合に、必ずいろんな意味で復元力はあると思うのですが、幾つリスクがあったとかはちょっと専門的でないのでわかりません。ただ、重要なことは、本当に豊かになった国で間違いなく歴史的には合計特殊出生率が減っていくのです。1.5以下に下がったり、1.3とかになる。でも、スウェーデンがまさにそうですが、底なしに減るということはないです。とどまったり、むしろ上がる、そしてまた下がる、上がるという現象、そこが日本と違うところなのです。ですから、貧しくなったらみんなちょっと緊張してというような方向というのは私は余り妥当ではないというふうに思います。どんな社会でも豊かになれば出生数は減ります。もう間違いなく減ります。
○工藤勝子委員 では、もう一つだけ。実は、盛岡なんかは違うと思っているのですけれども、私は遠野なのですが岩手県の地方を見ますと、世の若いお母さんたちの話を聞いても、もう一人子供を持ってもいいと思うという話の中で、まず病院、さっき言った保健福祉の関係で、病院だというのです。遠野の人たちは1時間から1時間半かけて、こちらの病院に来なければ、産婦人科の先生がいないわけです。また、小児科もいない病院もあるわけです。そういう関係で、ここでやめようと、苦労しながら子供を持ったという経験があるものですから。そこで、国全体としてもう少し地方の方に、そういう医師の関係、それからまたさっき言ったように、在宅の保健というのですか、そういう例えばお年寄りだけではなくて、妊婦さんに対しても例えばそういう在宅で見てもらえるような形のものが今後入ってくればまた違うのだろうと思うのですけれども、先生の不在ということに関しての先生の御所見を。
○網野武博氏 実は、私も国の社会福祉審議会の児童部会にかかわっておりますので、そのときにもいろんな最近の報告があります。全体的には医療政策局というのがあるのですが、今もう御承知のように、一方では医師余りが始まっているのです。ところが、産婦人科と小児科の医師不足は深刻になってきています。とりわけそういう地方での不足の問題をどう解決するか、これはかなり進めているわけです。ただ、それはやっぱり職業選択といってもどの科を自分が担当するかは主体的に、自主的にやりますので、それは尊重しなくてはいけないのですが、そろそろ今度の、来年度予算かな、それでもたしか含まれていたと思いますが、例えば小児医療、産婦人科医療に対するバックアップ、特に医師がそういう仕事をしやすいようにということが予算につき始めています。とりわけ医師の過疎化がなされているところへの対応というのは、恐らくそれに基づいて県がどうするかという流れになると思います。それから、大都市圏でも今もう小児科が足りません。産婦人科は随分すごく集まっているところとないところとでの競争の原理というか、それは始まっていて、不足している部分がありますが、やっぱり妊娠中だけでなくて、出産後の対応で小児科の検討をどうするか、小児保健と一体ですので、これも国の重要なこれからの課題です。
○工藤勝子委員 ぜひ先生の方から国の方に提示していただいて、私たちも運動はいたすのですけれども、お願いしておきます。
○ザ・グレート・サスケ委員 非常に中身の濃いお話をありがとうございました。まず、入り口論として、大前提としてお伺いしたいのですが、少子化というのはやはり問題なのかというところからお聞きしたいのです。というのは、1960年代ぐらいから環境問題が叫ばれて世界的に人口を抑制しようという動きになって、ですから少子化がいけないのかというところなのです。問題は現代の少子高齢化になっている、この頭でっかちが問題なのであって、これ100年や200年たってくればだんだんバランスがとれてちっちゃい世の中になっていくということで、今がその通過点で苦しんでいる状態だから問題なのかと思うのですけれども、その点の先生のお考えをまずお尋ねしたいのですが。
○網野武博氏 まさに最初私が触れましたのは、きょうはそれがテーマでありませんので、具体的には触れませんでしたが、本当に思い起こしても、私が子供のころ、中学1年のころでしたか、はっきり覚えているのは、日本の人口6,000万適正説があったのです。もう増えて困る、だから産児制限とか家族計画があれほど普及したわけです。あれよあれよという間に1億人を超え、そして1億2,000万人になって、今度はすべて右肩上がりだったものが低下するということへの不安なのです。不安心理なのです。だから、低下することがすべてよくないことかということは、それぞれ内容で判断すべきことかと思います。これほど資源のない日本がそもそも1億を超えていること自体がある意味ではもう不適切だったのではないでしょうか。だから、極端に輸入国になって、何とかしのいでいるわけです。今の問題は、私はすべて楽観的ではないのですが、やっぱり団塊の世代、これだけ戦後の日本に貢献してきた、私は実は年齢的にはちょっとその上なのですけれども、団塊の世代の方たちがいつも社会でいろんな影響を及ぼし、変化にも関係してきた部分が約20年続くわけです、これから、いよいよ、ことし、来年ぐらいから。これをしのぐのは大変だと思います。特に年金関係は大変になるでしょう。だから、私は個人的に言えば、特別立法でやはり特別措置法的なものが必要だと思うのです。どんなに全体的に体系を今変えても、また5年後見直しが始まると思うのです。だから、そのような面をどう考えるか1つ。
 それから、もう一つは、人口が例えば100年後には約6,000万になっています。半分になる。非常に不安をあおり立てる学者は、やがて日本人はゼロになると言っているわけです。あり得ないわけです。いろんなことの中で必ず人間は復元力があるわけで、そうすると6,000万が適正かどうかはわかりませんが、土地、資源、それから都市、地方の分散、そのようなことを考えると、例えば一人っ子が増えて、その2人が結婚したら4人の親を持ちますよね。4人の親御さん皆さん生活保護を受けているわけではないですよね。ほとんどの人は資産を持っているわけです。では、その資産はどうなるのか。いろんなことを考えたときに、目先のことだけではない、全体的に見ますと、いろんな生活の変化があるわけです。まして人口が減るということは、それだけ消費が減るわけですから、経済的に規模が縮小することだけを心配していればともかく、そうでなければ、必要な生産量も余り多くなくていいという部分もあるわけです。だから、いろんなことを考えた場合に、まして1億を超える国なんてそんなにないわけです。インドとか中国、インドネシアはそうです。だから、それはおっしゃるとおり、私はもっと長期的視野に立って、こうしよう、ああしようという提言が必要だと思います。でも、日本人はどうも不安心理に陥りやすい民族ですから、どうしても不安ばかりが先に立ちます。それと、御承知のように、今地球は爆発的に人口がふえているわけです。そっちの対応の方が本当に深刻ではないでしょうか。
○ザ・グレート・サスケ委員 あともう一点、及川幸子委員が先ほどおっしゃったように、スウェーデン型の離婚の形態なんかもあるわけですが、やはり離婚だから暗くなるとか、そうではなくて明るいシングルマザーの方もたくさんいまして、やっぱりそういった意識の変化というのはここ日本でも起こるのではないかなと思うのですけれども、先ほどの人口の話もそうなのですが、やっぱり日本は江戸時代に戻るべきだという学者もいるみたいで、それは精神的な意味でも人口的な意味でも、何かもっと離婚しても別にいいではないかとか、あっけらかんという、そういう文化になっていくのではないかなんておっしゃる方もいるのですが、その辺何かもしございましたら。
○網野武博氏 離婚がマイナスであるという考え方はだんだん払拭はされてきていると思います。むしろ問題は、なぜ離婚したか、そのハンディキャップとか、不幸をないがしろにして、離婚はいいのだよとは絶対言えないです。むしろDVなど、家庭内暴力、日本で離婚がふえている背景はかなりDVですから、やっぱりそういうことの方を真剣に考え、もしDVから逃れられたらどんなに親子は幸せだろうと思って離婚している人たちもたくさんいるわけです。参考にDVの相談件数見ると、実は男性が被害者で相談する数もふえています。圧倒的にもちろん女性の方が被害者ですけれども。ですから、父子家庭も支えなければいけないという時代になってきています。だから、父子家庭にも児童扶養手当は、もう本当に考えなくてはいけなくなっています。
○三浦陽子委員 お話を伺いながら、自分の歩んできた道が何かここにもあらわれているような気がするのですが、私4人の子供を育てながら仕事をやってきたという経緯がありますが、ただ一番私も今のお話の中で、私の職業は歯科医師だったのですけれども、同級生が約半分離婚しております、女性は。その中でもいろんな、これは微妙なというか、デリケートな部分がいっぱいありますので、一番私が思うのは、やっぱり子供を育てている間はみんな我慢している。ところが、ある程度めどがついたらもう離婚しようというような形で別れている方もいるし、子供さんが生まれなくて、その相手の方がやっぱりどうしても子供欲しいといって別れて別な方と結婚したり、結婚している途中でつくってしまったりとか、そういうのもありますし、それぞれいろんな形態があるのですけれども、私の場合は結局私も同じに、うちの主人と同じように仕事をしてきたけれども、子供、先ほどの3歳の神話ではないのですけれども、私も実は子供を産んだら3歳までは自分の手元で育てたいというふうに思って、最初の子供のときちょっとしばらく仕事をするのを我慢していたのです。それでも1週間に1遍とか来てくださいというところがあって、近所の人が見てくれて、私は外に行くことができたのです。私は、実家も岩手県ではなくて、親戚縁者もいませんでしたから、結局社会の一員、近所の方に見ていただいたというふうに、本当にそれはありがたいことだし、岩手県というか、本当に盛岡の方たちは非常に気持ちの大きい方が多かったのかもしれませんが、いずれ私を理解して、そうやって見てくださって、細々ながらもそうやって仕事をすることができたのです。そのうち、その子が3歳になったら仕事に出ようと思ったら2番目が出てということで、ずっとそうやって子育て4人もしながら、結果的に常勤では仕事はできなかったのですけれども、やっぱりいろんな仕事の仕方もあるかもしれませんが、女性は周りの人に支えられれば、やっぱり子供はたくさん産みたいというふうに思うのだと思うのです。だから、私は経験してきたことを若い人たちに伝える責任があると思って、子供を育てるのは楽しいよと。やっぱりそこをまずみんなで言っていかなければ、若い人たちは子育てに対するやっぱり恐怖心とか、それから今こういう社会ですから、当時私が産み育てたのどかな環境ともまた違ってきていますので、やはり社会全体が子育てを楽しんだ、本当に楽しんでねという優しい気持ちを持って見守ってあげれば、とても子供を産みやすくなる、いろんなそれは環境整備も必要ですけれども、私みたいにお金がなくても4人の子供を育てることもできましたし、そういうやっぱり雰囲気づくりをしていくということも社会制度とあわせて大切なことなのではないかというふうに思っております。
 それから、あともう一ついいですか。若い方たち、特に未成年者の堕胎率が岩手県が非常に多いわけです。本当にもったいないことだと思うのです。一回そういう堕胎の経験をすると、もう次から次と堕胎をしていきます。結果的に本当に子供を産みたいときに産めなくなる、そういう体になってしまいます。ですから、本当にそういう不幸をできるだけ未然に防ぐために、もっと社会的な協力、それをやっぱり充実していく必要があると思うのですが、ただ性教育というものに関しては非常に難しい部分があると思うのですが、その辺の先生のお考え、先ほどの私のちょっと話も含めてですけれども、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
○網野武博氏 本当に先ほど性産業がこんな形で膨れている国というのは珍しいというお話をしましたが、やっぱり一方では性的なことというのをすごく隠して、暗部に置いておいて、その一方では暗部であれば幾らでも何かかき乱すという、両方が今見られるのだと思います。一番そういう意味で犠牲になっているのが小さい子供たちだと思いますが、御承知のように人工妊娠中絶の数とか率は大体その倍以上はあるだろうと言われていますので、特に10代の妊娠でどうしたらいいか。1つは、精神教育とか道徳教育、ほとんどこれはもうある意味でちょっとでもそういうふうにすればするほど子供は反発します。それは、子供はおかしいということよりも、そういう環境が日々ないのに、そういう教えを受けてもどうしようもないということです。むしろ具体的なことの方が大事で、要するに人間というのはどんなに大切なのだろうと、命の教育とかというのは、やっぱり日本は宗教的な部分がないですから、教えようとしなければだれも教えないのです。だから、そういう意味の人間とか命を本当に大切にすることがやっぱり幼児期からどこかでしっかりはぐくまれる。それも、いいですか、はい、皆さん集まりなさい、静かに聞きなさい。そういうことではなくて、しっかりやっていく、あることが起こったときにみんなどう思うということでしっかり育てていくことです。
 それから、もう一つ具体的には、私もやっぱり、ああそうなのだ、物すごく現実的だなと思ったのは、産婦人科の先生方全員ではないですが、かなり多くの方は、もっと現実的な避妊教育をしなさいというのです。つまりこういうことをしたら赤ちゃんが生まれるというすごいことと関係しているのだよ、しっかり育てられますかと尋ねたときに、いやだ私、とか、そんな余りの格差です。妊娠、出産ということと子供の心理的発達状態、身体的成熟。具体的にはまだまだ勉強しようよ、まだ大事なこといっぱいあるのだから、子供を産まないようにしなければいけないよといって避妊教育をすると、これはどうでしょうか。岩手県の中で議論が対立するでしょうね。私も初めはやっぱりどこかこだわりがあったのですけれども、現実的にもうそれは本当に大事なのかなと思うケースによく会います。避妊の大切さ。本当にこれは子供の権利条約でも議論されたところなのですが、いわゆる性の権利というのがあるのです、性的権利。私たちは、本当にそれは健やかな、非常にまともな欲求なわけで、それが侵されるということが私たちの基本生活の上ではあってはいけない。だから、障害のある方たち、ハンディキャップのある方たちも結婚しないで当然なんていう社会ではないのだというふうにしたいというふうにどんどんなるわけです。それから、結婚できなくても、性的な欲求を満たす機会をつくるとか。そういう流れでいうと、何歳ぐらいからそういうことが人間に必要なのか。現在の法律では、18歳未満では不本意な性的行為はやっぱり児童虐待というふうにもなってきたわけです。ところが、現実16歳以上で女性は結婚できるわけです、許しを得れば。そこの矛盾があるのです。ですから、本当に好きだよといってあなたと私の間で、歯の浮くような言い方でごめんなさい。2人の愛の結晶を産みたいとかというようなことはいいのではないかと思いますが、でも危険、リスクはたくさんある。特に男たちは大体妊娠したら逃げてしまうのです。結局未婚の母になる心配があるわけで、だから非常に難しい問題。そういうことを考えると、もっと積極的にしっかりと避妊教育をするという。だから、そうしたら、ああ、そういうことはどんどんやってもいいのだと、もう性的に乱れてどうしようもない社会が来る。必ず反発がありますが、そこは難しいところです。
○工藤大輔委員長 済みません、昼に議会運営委員会が予定されております。できれば時間の関係もあり、この辺でということにさせていただきたいと思いますが、いずれ先生に若干お時間がもしあるとすれば、この委員会を一度閉じてからでももしお答えできる分があったらというふうに思いますが、それが可能だったらよろしくお願いしたいと思います。そのようなことでよろしいでしょうか。
 (「はい。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 それでは、本日網野先生には東京の方からわざわざおいでを賜りまして、貴重な講演を賜ったというふうに感じています。私ども地方に住む者にとってみれば、例えばこれは地方寄りの考えかもしれませんが、先ほど東京の方では出生率が1.09というふうな数字があるわけですが、それでも活力を維持し続けていると。それはなぜかというと、当然地方から出ている地方の人が育てた子供によって守られ維持されているというのが現状だと思いますので、全国一律の子育てに対する政策ではなく、やはり先生もお考えになっている、やはり地方独自の考え、それを支える国の施策であり、あとは資金的、税制、さまざまそういったものを複合的に国の方では唱えてもらいたいというふうに思います。子供が現在何人欲しいかという問いにまだ3人だとか、可能だったらというふうな気持ちがあるうちにしっかりとした対策をとらなければ、これが1人、もう2人でいいというふうな気持ちが定着してしまうと、そこから打開する方策というものはまた相当難しくなるというふうにとらえています。ですから、そういった地方、また低所得者、子育てする上でのそれぞれの課題について、しっかりとまた見ていただきながら、それを政策に反映させてもらいますように心からお願いを申し上げますとともに、先生の今後一層の御活躍に御期待を申し上げまして、委員会としてのお礼とさせてもらいます。本日はまことにありがとうございました。
 それでは、委員の皆様方には次回の委員会運営について御相談がありますので、少々お待ち願いたいと思います。
 次に、4月に予定されております次回の当委員会の調査事項についてでありますが、御意見はございますか。
 (「なし。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 御意見がないようであれば、御一任を願いたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。
 (「異議なし。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 それでは、御異議なしと認め、さよう決定いたします。
 本日の日程は以上で全部終了いたしました。
 本日はこれをもって散会いたします。

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