子育て支援・少子化対策特別委員会会議記録

子育て支援・少子化対策特別委員長 工藤 大輔

1 日時
  平成17年8月3日(水曜日)
  午後1時33分開会、午後3時8分散会
2 場所
  第4委員会室
3 出席委員
  工藤大輔委員長、高橋雪文副委員長、及川幸子委員、千葉康一郎委員、
 関根敏伸委員、ザ・グレート・サスケ委員、三浦陽子委員、工藤篤委員、
 樋下正信委員、工藤勝子委員、飯澤匡委員、小野寺好委員
4 欠席委員
  なし
5 事務局職員
  渡辺担当書記、泉担当書記
6 説明のために出席した者
  前県PTA連合会長 久慈 竜也氏
7 一般傍聴者
  なし
8 会議に付した事件
 (1) 家庭教育の大切さについて
 (2) その他
  ア 次回の委員会運営について
  イ 委員会調査について
9 議事の内容
○工藤大輔委員長 おはようございます。ただいまから、子育て支援・少子化対策特別委員会を開会いたします。
 この際、8月2日の本会議において、当委員会の委員に選任されました三浦陽子委員を御紹介申し上げます。
 三浦委員、一言ごあいさつをお願いします。
○三浦陽子委員 三浦陽子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
○工藤大輔委員長 これより本日の会議を開きます。
 本日は、お手元に配付いたしております日程により会議を行います。
 なお、当委員会における今後の調査の参考とするため、当職において事前に執行部に対し依頼のうえ、提出を受けておりました資料をお手元に配付をしておりますので、御了承願います。この資料1から4ということで、こちらの方で頼んだものになりますので、参考にしてもらいたいと思います。
 それでは、これより子育て支援に関する調査を行います。本日は、講師として前県PTA連合会長の久慈竜也さんにおいでをいただいていますので、御紹介申し上げます。一言ごあいさつの方お願いします。
○久慈竜也参考人 子育て支援・少子化対策特別委員会の委員の皆様方、どうも初めまして。それから、こんにちは。県PTA連合会の前会長にありました久慈でございます。きょうは、子育て支援の関係に関しまして、少し今の岩手県の子育ての現状、子供たちからのメッセージをお届けできたらと思ってお邪魔をした次第でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
○工藤大輔委員長 久慈さんの略歴につきましては、お手元に配付をいたしておりますとおりでございます。
 それでは、本日は、家庭教育の大切さについてと題しまして、子育て支援に関する貴重なお話をいただくこととなっています。
 これから講師の久慈竜也さんよりお話をいただくことにしますが、後ほど講師先生を交えての質疑、意見交換の時間を設けておりますので、御了承願いたいと思います。
 それでは、久慈竜也さん、よろしくお願いいたします。
○久慈竜也参考人 皆さんこんにちは。ただいま御紹介いただきました前県PTA連合会の会長をしておりました久慈でございます。本当、日ごろから委員の皆様方を初め、広く県民の皆様方から子供たちのことに対しまして強く関心を持っていただき、また子供たちの笑顔をはぐくむという面に関しまして、大変御示唆をいただきながら、御支援をいただきながら今の子供たちが健やかにはぐくんでいる実態を見ますと、大変感謝にたえないところでございますが、きょうは貴重なお時間をいただきながら、今の岩手県内の子供たちの実態、または子供たちからの声を参考にしていただきまして、子育て支援につながっていければ幸いだと思ってお邪魔をした次第でございます。今日こういった場面で話をさせていただける機会をいただきました工藤委員長さんには、また改めて感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
 私ごとの話をここでするのは、よろしくないのかもしれませんが、私、県のPTA連合会の会長に就任いたしましたのは平成10年でございまして、7年前でございました。ちょうどそのとき、副会長で母親委員長をしておりましたのが、この席におります三浦陽子先生でいらっしゃいまして、本当に身近に感じているところでもございます。きょうは、党派を超えて皆様方に御理解いただければというふうに思っております。
 また、私の略歴の中に県PTA連合会の会長に就任してからのところの後書きのところに平成12年に社団法人化と書いているところがございます。きょう持ち込みました資料の中で、資料1と入れてありますこのA3版の横長でございますが、県PTA連合会と県PTA安全互助会と2つの団体がございまして、子供の見舞給付事業をしていた団体がPTA安全互助会でございます。子供が家を出て、行ってきますと言って出かけてただいまと戻るまでの間が学校管理下でございまして、それ以外の部分が管理下外でございますが、管理下外での見舞給付をしていたものでございます。平成6年から自営化、いわゆる会費を集めまして、その会費を保険会社に払うことなく自分たちみずからで運営を始めたのが平成6年でございまして、それからの資料を持ち込んだわけでありますが、御覧いただくとわかるように、毎年事故発生件数の中にうち死亡8人、平成6年は8人、7年は5人、8年は6人、このような形でたくさんの子供が実は亡くなっているという実態がございます。平成16年は死亡が3人となっておりますが、現在今のところではまだ警察からの最終的な捜査終結が見えていないという部分で、見舞給付をしていない案件もあるのでありますが、火災事故によりまして亡くなった子供というのもあります。結果におきましては、この数が私どもで管理している部分では6人という形になっているのが実態でございますが、見舞給付になっていないというところでこういう形にさせていただいているものであります。
 私たちは、子供の笑顔をはぐくむために、みんなで横一列になって手をつないで、子供の笑顔をはぐくんでいこうではないかという意思、目的を持って会を運営してきたわけでございます。その目的というもののあらわれているのが、また持ち込みました資料、PTAはみなさんの広場というホチキスどめになっているものでありますが、それの表紙でございます。地域のおじいちゃん、おばあちゃん、そして学校の先生方、お父さん、お母さん方、保護者の方々、みんなが横一列に手をつないで子供の笑顔をはぐくんでいる、これがPTAの理想、理念でもあるわけでございます。
 こういった流れの中で、子供たちの犠牲になっているというのを耳にいたしますと、本当にもう胸が張り裂けるような思いをいたします。特に子供の日の死亡交通事故によっての見舞給付の申請が上がってくるときなどは、大変本当につらい思いをするものでございました。ぜひ子供たちのこと、よくまた観察をしていただければと思いますが、私たちが見舞給付してと、今死亡の話をしたわけでございますが、学校週5日制、いわゆる土曜日曜休みになったことによりまして、私たちの管理下外での給付件数もふえてまいりました。岩手県内だけでの、いわゆる私たち岩手県PTA連合会で行っております見舞給付件数、1年間でありますが、年間で2,400件という見舞給付を行っている実態でございます。これは自分たちで処理をしておりますので、すべてのデータを持っているわけでございますが、月に200件近くの見舞給付を行っております。さらに、そのデータを調べていく流れの中で、しからば土曜、日曜日だけで子供たちはどれだけの確率でけがをしているのだろうか、見舞給付の申請があるのだろうか。調べた結果、土日だけで全体の40%でございました。さらに、では土日けがをしている流れの中で、子供たちはどこでけがをしているのだろうかというのをまた調べてみました結果、自分の家でけがをしているのが29%、約30%でございます。また、自分の家の近くの道路が25%でございまして、全体の55%近くが自分の家もしくは自分の家のそばの道路でけがをしているというのが実態でございました。
 さて、その3割近くの子供が自分の家でけがをしているというのをさらに調べてみました。自宅でけがをしている子供の中のその3割を抽出して調べた結果、その家でけがをしている3割が骨折でございました。自分の家の中で骨を折ってけがをしているというのが3割近くあるということでございました。何でこんなにけがして骨折っているのだと聞きましたところ、その調書を見ていきますと、冬場になりかけたときには特に多いのですが、畳の上にカーペットを敷いてストーブを置く、そのカーペットのへりが膨らんでいるときがあるのです。そこに足をひっかけてしまって転んで、手のつき方が悪くて後ろ手になってついて、手首を折っているというのが結構あるのです。あとは、前歯を折っているという部分がありまして、私たちの見舞給付審査会の中にも現在は歯科医師会からも先生を派遣していただきまして、見舞給付の審査、公平を期すために審査会開いているわけでありますが、そういう形で歯科医師会からも派遣をいただいているというところがございます。
 それだけ子供たちの今の生活の流れのリズムというのは、随分変わってきていると。足を上げて歩くということが少なくなってきている。これは、学校の数が減ってきたのにも共通している部分があるのではないかと、通ずる部分があるのではないかというふうに思っております。というのは、歩いて学校に行っている子供の数が減っております。ドアツードアと言えば聞こえがいいのかもしれませんが、結局学校が遠くなっていることによりまして、親が学校の近くまで子供を運んでいるというのが実態としてそこにある。ですから、子供たちの脚力が減っている。家の中を歩くときはすって歩いているような音が聞こえてくるというのは、まさにそういったけがを起こしている要因の1つでもあろうかというふうに思っております。
 それだけではございません。ペットボトルを口に加えたままペットボトルが家の中の家具にぶつかったことによって、前歯2本を折ってしまったという小学校5年生。それから、自分の手が自分のおしりの下敷きになったことによって、右手小指ねんざをしてしまった小学校5年生。そして、父親の肩車から落ちて鎖骨骨折をした男の子、小学校です。そして、座布団の下に足を入れようとして右足骨折した男の子、座布団に鉄板でも入っているのかと思うわけでありますが、そういったこともあります。それから、水沢だなとやっぱり思いました、水筒を足に落としたことにより左足骨折した女の子。南部鉄瓶が落ちてきたと言えば、これはわかるような気がしてならないわけでありますが、そういった状態があると。
 中学生でありますが、最近家で御飯を食べるときに正座をするといいますか、足を組んで食事をするということが少なくなってきたと、いわゆるいすに座って食事をするという機会がふえてきたせいでありましょうか、正座で足がしびれ、転倒したことにより右足骨折した中学校1年生がおります。これは、正座をしたことによって足が伸びてしまった。ですから、足の指を折り畳めば足がかくっと立つという部分がわからないわけでありまして、正座の仕方がわからない。座っていろと言われたから座っていた結果、そうやって骨折をしてしまったという中学校1年生。それから、自分の家の扉をあけようとして力を入れたとき、右腕を骨折した女の子。弟の頭をたたいて、右手骨折した男の子。布団から起き上がろうとしたとき、ぽきっと音がしてろっ骨骨折した男の子。そういったのが岩手県内の小中学生の今の実態であります。こういったのに対して私たちは見舞給付をしてきているわけでございまして、本当に笑い話でおさまっているうちはいいのでありますが、命という部分になってくると大変だというふうにも思います。
 ただ、こんな見舞給付があるのだろうか、いわゆる後遺症障害という形で、やけどの瘢痕が残ったということで見舞給付の申請が来るというのがあるわけでありますが、その中でも特異な例ではありましたが、左半分やけどで来たという女の子がいました。背中のところ、ちょうど右側がやけどだったということで調べました。赤い瘢痕が残っているので、見舞金の対象になったわけでありますが、なぜ背中半分だけがやけどで来るのだろうか。おふろに入るとき、誤って入ったという話でありましたが、私たちふろに入るときはどうやって入るのだろうか。手で湯を触って、足から入っていくことになりますが、左半分だけ背中が焼けてくるというのはおかしい話であります。これは、しつけという名のもとの虐待であって、熱湯をかけられたと言えばわかる話であります。こういうのが岩手県内にあるのです。信じられない話でもありましょうが、そういったことがあります。この後、終わりの部分でも虐待の部分については少し触れさせていただきたいと思います。
 さて、きょうは限られた時間でもございますが、このPTAはみなさんの広場の中に子供たちからのメッセージを幾らか入れてありますので、御覧いただきたいと思います。不良ってだれのこと?。あの子不良やね。どうして。だって、耳に幾つもピアスしてるもん。あのこ不良らしいよ。どうして。学校はよくさぼるし、この前は親が学校に呼び出されてたぞ。何か問題を起こしたんじゃないか。私たちの周囲では、こういう会話が普通になされている。どういう観点であるグループの人々を不良と定義しているのだろうか。まず、私たちは社会人としてとか、中学生としてとか、その所属するグループに期待される態度や行動といったものがあるが、そこからはみ出している人はよくない、つまり不良という烙印を押されやすい。だから、事情や心情をよく知らない人も簡単に見かけで判断してしまうのではないだろうかと始まりました。これはありますね。盛岡市内でも高校生がピアスしたり、男子高校生がピアスしたり、学校に行っていない子供だとは思いますが、唇のところにピアスをしてみたりするという子供も見受けることがありますが、それで不良という判断をしていいのだろうかという問いかけであります。
 中盤の方なのですが、不良と呼ばれていた児童生徒が小さなきっかけで大きく変化したという経験話があります。(1)、4人の中3生が他校の中2生をショッピングセンターのトイレに連れ込み、金を貸してくれと言って合わせて3,000円を借りた。中2生の学校から中3生の学校へ連絡が来て調べたところ、中3生4人が明らかになり、4人の父兄が呼ばれた。先生が父兄に子供たちの将来にとって最善の方法を考え、話し合ってくださいと言うと、3人の父兄は3,000円を先生から相手の学校へ届けてもらえませんかという対応だったという。ところが、4人のうちの1人の母親が立ち上がり、おわびに行ってきますと言うと、残りの親たちは、ではよろしくお願いしますと頼んで解散したのだった。その母親は、夏の盛りに子供を伴って自転車で相手の中学校へ出かけていって、相手の中2生3人の住所氏名を聞くと、1軒ずつ回り、頭を下げて歩いたのだ。このことがあって、その中3生は生活態度を180度変化させたということだった。学習にも打ち込むようになり、見事に志望の高校へ進学もできた。しかし一方、同じ事件を起こした残りの3人の生徒には少しの変化も見られず、卒業までに何度となく問題行動が見られたというのであるということでございます。
 私県のPTAの会長になりましたときにお願いしたことが幾つかあったのですが、その中の1つに各地域を訪問させていただきたいというお願いをいたしました。そのとき、一番最初に私を呼んでいただいたところが沢内村でございました。沢内村にお邪魔をいたしまして、教育を語る会というのがあったので、お邪魔をいたしまして、今村長をされていらっしゃいます高橋先生が教育長でございまして、ごあいさつにお邪魔をいたしました。今からもう8年も前になるわけでありますが、お邪魔をいたしました。そうしたら怒られまして、何しに来たのかと。県のPTAの会長が沢内村に戦後50年間1回も来たことがない。おまえ何しに来たと言われたのです。きょうは教育を語る会があるというので、皆さん方と懇談をするためにお邪魔をしまして、1泊泊まりで参りましたと言ったら、そんなやつ見たことなかった。まずはいいから参加しろと言われまして参加をし、この話を触れさせていただきました。そして、教育長さんが話をされて、私が話をして、では懇親会をしようということで、乾杯をしようとしたときに教育長さんがちょっと待てと。さっき、久慈君が話をしたあの親が一緒に行っておわびした話なのだけれどもというふうになりまして、教育長さんがこう言われました。おれも小さいころ悪がきだった。悪がきだったので、悪さしてくると必ず決まって親がわかっている。だから、うちに帰ると、無口な母親だったけれども、おれが何か悪いことをしたことを言わせたものだった。そして、無口なものだから、黙っておれの首ねっこ引っ張って、相手のうちに行ってガラス戸たたいて、あけて立っていて、相手の親が出てきて、そしていじめた相手も出てくると、いきなり頭をたたかれたものだったと。悪いことすれば、みんなが見て、親も知っているのだ。だから、やったらわがないのだぞということをその場で教えられたと、そう言われました。それが大事なことなのだなというふうに思ったのです。
 この話を、実は去年教育センターで行われたときにも話をしたのですが、単純に申し上げれば、沢内村では子供が小さいうちから悪いことをしたときに親がだめだということを一緒に指導すれば、子供はそういうことしてはいけないのだということを理解して、末は教育長までなれるという実態が沢内村にはあったわけでありますが、その話を教育センターで話をしました。それが資料2の左側のところでございますが、沢内村でのお話が私自身の記憶と重なり、印象に残りました。小学生のとき、友達のボールに穴をあけ、謝らずに帰ってきた私の様子を不審に思った母は、私に何があったのかを言わせ、その後に一緒に謝りに行ってくれました。そのときに、人として何をすべきかということを教えてくれました。この記憶はずっと消えずに、これからも私の心に残っていくと思いますというふうに、これは中学校の教員研修だったのですが、先生から直接出てまいりました。恐らくそういった部分があるから、人として人の道を外してはいけないということで教員にもなれたのだろうと思いますし、この方は将来的には教育長にまでなれるような素質を持っていらっしゃるのかと思えば、ほほ笑ましいところがあるのだと思いましたが、そういった部分があるということを御理解いただければと思います。
 作文に戻ります。(2)、乱暴で不従順な小6の男児。手に負えない問題行動を次々と起こしていたものの、カウンセリングをしてみると、原因は母親が多忙で、遠足のときなどお弁当をつくってくれないことが判明。やがて母親が生活を改善させると、あっと言う間に変化して素直で優しい子供になったとあります。
 これもまた余談になりますが、私は盛岡市立城南小学校のPTA会長を7年させていただきました。今はこの県庁の裏側にあります下小路中学校のPTA会長をしておりますが、その小学校の遠足、3年生の遠足についていったことがあります。お天気もよくて、みんなで遊んでいって、そしてお昼御飯食べようということで木陰に入り、お弁当タイムということでランチシートを広げて、そこに座り、お弁当を食べようとしました。そうしたら、1人の女の子からこんな声が出たのです。このお弁当食べられないと言うのです。どうしたのかなと思って、そのお弁当を見に行きました。そのお弁当を見に行って驚きました。小学校3年生の女の子の体にちょうどいい見合うリュックサック、そのリュックサックの中に入っていたお弁当は、ローソンの幕の内弁当でした。幕の内弁当、わかりますよね。こうやって持ってくる分はいいのですけれども、3年生の女の子の体にちょうどいい見合うリュックサックの中に入ってきた幕の内弁当は、こう入ってくるわけです。みんなで遊んできた中で、御飯を食べようと言ってランチシートを広げたときのこの幕の内弁当は、こういう形でなくてもうぐちゃぐちゃになっているわけです。食べられないというのはそういう声でした。戻ってからその御自宅を訪問しまして、お聞きをしました。そうしたら、我が家には弁当をつくる習慣がないと言うのです。さすが核家族だなというふうに思いましたし、お子さんは保育園から来た子供でしたから、保育園で給食が出ているのです。そして、旦那さんはお弁当を持って出かける方ではないから、我が家には弁当箱がないと。だから、弁当を持たせなかった。しかも、ないからつくらなかった。そして、学校からの文書に弁当を持たせてくれと書いているではないかと。コンビニから弁当持たせてやって何が悪いのだと開き直られたのです。私は違うのではないかと思ったのです。私間違っているのかどうかわかりません。というのは、おにぎりだっていいだろう。サンドイッチだっていいだろう。もっと極端なこと言うと、コンビニからサンドイッチ買ってきて、袋ばりっと破って、アルミホイルで包み直して持たせただけでもまだいい。やっては困りますけれども、でもそういうふうに思うわけです。だけれども、今のそういう家庭の状況というのは、そういった部分がある。
 これを一関のPTAの母親委員会のときに話をしました。そうしたら、帰り際、私一人ぽつんと真ん中にいて、お母さん方に囲まれたのです。久慈会長、さっきのお弁当の話ですけれども、うちの方はサンクスのお弁当が入っていたのですよと言われまして、まさにコンビニ戦争真っ盛りだということがそこにあったわけでありますが、そういった実情が盛岡だけではなくて岩手県内そういった随所にある。
 私、交通指導員として城南小学校の前に立っておったのですけれども、天神さんの下にサンクスのコンビニができました。別にコンビニができたのは悪いわけではないのですが、今まで二高生はサンクスに行くことなく学校に行っていたものが、サンクスができたことによって、コンビニに行ってから学校に行くようになります。なぜか。500円でお弁当を買ってから学校に入る。コンビニ弁当の方がいいという話になって、これもおかしい話であります。そういったのが実際としてありました。ですから、食というのについても大変大事なことだと思います。
 資料2と3には、そのお弁当のところの話を入れさせていただきました。お弁当の話がありましたが、不登校傾向の生徒が自分の弁当を冷凍食品だらけだからと言ったのが心にひっかかっていました。子育てって手間をかけることが大切だと自分の子からも感じます。食卓のお皿の数がふえただけで子供たちは喜びます。
 リストカットする生徒がいます。やはり自分が愛されているかどうかという部分については、子供たち悩んでいるのですね。資料3の方もお弁当の話なのですが、お弁当の話がありましたが、昨年まで担任した生徒が問題行動を起こしました。その子と話をしたとき、家での様子を聞くと、お母さんが食事や弁当をつくってくれないとぽろぽろ涙を流して泣きました。ふだん突っ張っているその子にとって、お母さんの手料理がどんなに大切なもので、食事をつくってくれないことからか、その子は自分は愛されていない、自分はいない方がいいと母親は思っていると感じている様子でした。やはり母親の愛情料理は大切なものです。昨年担任をしていた学級に弁当を持ってこない子供がいて、弁当のときは机にうつ伏さっているか、教室から出ていきました。廊下でおにぎりを上げたとき、そのこの笑顔が思い出されました。子供たちにとって一番大切なものの象徴なのだと思いますという意見ありました。
 これ、お弁当を持ってこないという部分と、それから朝食の欠食率でありますが、岩手県内でも現在23%近くの欠食率になっております。これをゼロにできないかという話をしたこともあるのですが、無理だということでありましたが、朝御飯食べてこない、それは用意がされていないから食べてこられないというところが多うございます。朝御飯食べない、お昼お弁当持ってこなかったら、この子供いつ食べているのだろうかというのを考えていかなければならない。だから、学校で給食を出せという話をしているのではありません。いかに親がどんなに大変で厳しかろうが、子供に対して接しなければならないところをつくらなければならないというところは、忘れてはいけないという根本のもとを随分忘れ去っているような気がしてならない。この岩手でさえもそういった部分がある。都心部だけではありません。やはり中山間地帯でも、そういった子供たちがいるのは実情としてあります。どうかその辺のところもこの委員会の中で御理解をいただきながら、皆さんの中で御支援いただけるようになっていければありがたいと思います。
 次のページはナイフの問題でございましたので、こちらと関係ございませんので省略をいたしますが、幾つか資料に入っていない部分で、岩手日報に出ました資料をもとに話をさせていただきたいと思います。
 とある中学校が荒れていると言っても、293人の生徒全員が問題行動を起こしているわけではない。数人の一部生徒が荒れ、他の生徒や教員らに迷惑をかけているのが実態だ。PTAは臨時の全体集会を開き、対応を話し合ったが、建設的な意見は少なかったように思う。生徒が荒れる原因は何かと学校側に詰め寄る場面も見られたが、学校側にすべての責任を押しつけるのは無理があろう。ずばり言わせてもらうと、子供が悪くなるのは親や家庭の責任が大きい。たばこを吸ってはいけない、暴力を振るってはいけない、金銭を巻き上げてはいけない、こんなことは学校で教えることではないというふうに岩手日報で出たことがあります。きょうの資料には入っておりませんが、済みません。ただ、やはりたばこを吸ってはいけない、暴力を振るってはいけない、金銭を巻き上げてはいけない、こんなことは学校で教えることではない。当たり前だと思います。ところが、今小学校では子供の給食の場面において、はしの使い方が悪いからはしの使い方の指導をしてくれという親がいます。また、私のいたときの時代に、親が真顔で私のところにやってまいりまして、本校は私の子供に対して差別をしているということを言いました。我が家はデジタル社会、デジタルで動いていますから、時計の見方もデジタル表示であると。だから、60引く幾らであと何分になるという教え方をしてきた。学校にはデジタルではなくてアナログの針がついている。私の子供は読めません、差別だと言ってきた人がいる。そういった時代になっているのです。そういった部分にも、やはり私たちはこたえていかなければならない。
 こういった話をしたときに、いきなり大野村の帯島小学校のPTA会長さんが、講演中にもかかわらず手を挙げて質問されました。久慈さん、聞きたいことあると。どうしたのですかと聞いたら、おらほの息子、高校生になったばっかりだが、学校でたばこ吸っているのが見つかって、呼び出されていって、うちに帰ってちゃんと反省してくれと。そうすれば、今のうちだったら何とかなるからという話だった。うちに帰って息子と話した。でもおれの息子、おれよりも背も高いし、がっちりなってきたから、おっかなかったもんなと。息子と話ししているうちに、おめえわかんねえんだじゃ、なしてや、おめえわかんねえんだ、たばこ吸ってはわかんねえ18になるまで我慢せやと。いや会長、たばこ20歳までだめですよ、おれ18歳から吸っていたからいいかと思ってよと、まずよと言われたのです。まずよで済む話ではないのですけれども、まずよと直されました。そして、わかんねやつだないいかげんにしろと殴ってしまったと。殴ったとき、実はこっちにたばこ持っていたというのです。息子とふだん話しすることないものだから、息子と話ししようと思ったとき、やっぱり怖かったのですね。だから、どうしたらいいかわからなかったものだから、わかんねえんだじゃというとき、たばこ吸いながらたばこ吸ったらわからないという話していたものだから、トリプルパンチみたいな形になってしまって、息子はふてくされて部屋に入っていって出てこないと。御飯用意しても、こうやってお盆に御飯のっけておふくろが部屋に持ち込まなければわかんね。そして食べたやつ持って帰るような状態になってしまって、どうしたらいいだろうと言われたのです。私、免許持ってPTA会長しているわけではありませんので、無免許ですから、何も研究しているわけではありません。ただ、自分に置きかえて考えてみたのです。自分も子供のことで学校に呼び出されたことがないのだろうかなと思って考えたらあったのです。
 中学校3年生のときだったのですが、長男坊が。学校に呼び出されまして、三者面談というのですか、進路指導。私も実は、きょうは余計なことを多く話しませんが、青年会議所に在籍をしておりましたので、最終的にはケニアの方まで行きまして難民キャンプで学校づくり、お手伝いしてきたこともあります。そういうボランティア活動を熱心にしていたものですから、息子は私が何をやっているかわからないという状態がありました。そういう状態の中、三者面談があって学校の廊下に行って座っておりました。座っておりましたら、息子も学らん着てやってきて、隣に座りました。おまえ、恐らくこの辺の成績だろうから、おまえこの辺受験したらいいのだろうと言いましたら、息子が私の顔を見まして、お父さん、お父さん、僕はお父さんの子供なのだよと言うのです。そうか、そうかと。おまえおれの子供だってやっと認めたなと。そうだよ、だから僕の成績この辺だって言うのです。私はこの辺だと思ったのがこの辺だと言われまして、ああ、そうかと。おまえ、おれの子だもんな、しゃあねえな、この辺なんだなと言って、先生の前に行って座って、いや、本当親ばかですねと。子供のことさっぱりわからなくて、この辺受験したらいいのではないかと思ったら、みんなと話ししたらこの辺の成績だと言うから、この辺受験させてくださいと先生にお願いしたのです。そうしたら、先生がこうやって見て、久慈さん、何おっしゃっているのですか、おたくの息子さんの成績のレベルここだというのです。ここからここは、私の息子ですけれども、ここからここはだれの子やという話なのです。嫁さんつれてきて、おまえの子かという話をするわけにもいかないものですから、困りました。家に帰ってよく話し合って、将来のこともありますから、進路希望決めてきてくださいと言われて帰りました。家に帰ってきて、案の定座れ、おまえ今まで何やっていたのだという話になって、いいかげんなものですね、PTA会長ってね。そうやって子供のことも見ないで、自分の好き勝手なことやって出て歩いたばっかりに、子供が何やっているかもわからない、有頂天になっているのは自分だった、舞い上がっているのは自分だったと。そういう流れの中で、息子は私のことを見ているのだと勝手に思っていました。私は、設計事務所の今副社長をしておりますが、おやじが創業的な形でございましたので、自分の父親、私の父親、いわゆる祖父のことの姿を見ているだろう、私のことも見ているだろうと。だから、長男坊は私の家族の長男坊として家業を継いでくれるものだろうと勝手に思っていました。ところが、私はそうやって出歩いているものですから、さっぱりわからない。家にも余りいなかったという流れの中で、息子に座れと言ったものの、おまえどういった社会人になって自立していくのだという話を聞いたとき、最終的に彼は黙ってしまって、わからないと言いました。わからないとは何なのだということで、ぱちんとやってしまった、たたきつけたことがあるのです。案の定ふてくされて、彼は自分の部屋に入って寝てしまいました。私は、若くして結婚を許していただいて、妊娠させたから結婚したのではないですよ、結婚してから妊娠したのですけれども、子供授かったのですけれども、若いうちに結婚したものですから、経済的にまだ自立を余りできておりませんでした。ですから、住むところも母家と離れがあって、離れに住んでおりました。6畳と8畳のある離れに住んでいましたが、夫婦2人と子供3人で5人で生活するには狭くなってきたということもあって、息子も受験があるからということで増築の申請を、おやじに対して請願要請をしました。そうしたら、おやじはおお、いいよ、好きにやればというふうに許可がおりたのですが、補助金申請つけなかったものですから、自分でローンを組んで、ローン地獄に遭っているわけでありますけれども、そういった形で増築をしました。長男坊の部屋、そしてクローゼット、そして寝室という形で家を増築して、家らしくなってまいりました。そのふてくされた部屋に息子は入って寝てしまった。工事をするということもありまして、長男坊だけには簡単なベッドを用意してあったものですから、そのベッドを一回解体して借家に住んだと。そして、その離れに子供部屋ができたものですから、そこにまたベッドを設けて置いたのですが、横1本抑えている金具がどこかに迷子になってしまいまして、見つからなかった。大丈夫、大丈夫、金具1本ぐらいなくてもベッドは崩れないと言って、そのベッドを置いていたところに息子はふてくされて入って寝てしまいました。困ったな。親として困ったな。あしたまでに先生に報告しなければならないのに、息子をたたきつけたことによってふてくされて寝てしまった、どうしようかと思った。そのときに、昔を思い出して息子の部屋に行って、息子のベッドに一緒に横たわって、腕まくらして寝ました。ぐっと入れて寝ました。久しぶりだったものですから、息子の頭が私の腕に乗ってしまったものですから、だんだん、だんだんしびれてくる、じんじんと痛いぐらいです。さらに、中学校3年生、男の子、ふてくされて寝たものですから、ふろに入っていないのです。臭い。頭臭いのですよね、あのにおい。わかりますよね、先生。あのくささと、そして自分の息子の乗っている痛さと、くさい、痛いと思って寝ていた。1時半でした。みしっと音がして、ベッドの底がずどんと抜けたのです。35センチぐらいあったベッドなのですけれども、抜けてずどんと落ちたのです。びっくりしまして、びっくりしたと言ったら、息子は信じられないと言いました。実は、親子げんかしたのはその瞬間で終わりです。ずどんといって、信じられないと言った言葉によって、そのわだかまりがなくなって、いや、さっきはたたいて悪かったという話になりました。僕も自分の進む道をはっきり言わなくて悪かったと言いました。そして、おまえどうするのだと聞きましたらば、やっぱり僕は将来のことを考えていくと、この辺の大学を卒業しないといけないと思うから、やはりこの辺の高校を受験したいという話でありました。でも、今先生はここのレベルだと言っているのに、おまえ、ここをねらうということは大変な話だと。でも、僕は今から一生懸命頑張るから、お父さん応援してくれるかという話でしたから、わかった、応援してやると。いいかげんなものですね。応援するといったって、どう応援するかというのがないわけです。わかった、応援してやる。せいぜい私のできる範囲というのは、塾に行く、塾費を出してやるかどうかレベルなわけでありますが、そういった部分で子供は必死になって頑張ったようであります。おかげで、その3月の受験のとき、息子はここの部分を受験しました。合格通知は来ませんでした。やはり進路指導の先生の言うのは正しゅうございます。逆らったって、結果は出てまいりますので、しゃあない。だけれども、彼は一生懸命頑張って、そこの時点では浪人はしませんでしたが、大学1回滑って浪人をしまして、今仙台の大学に行っておりますが、そういうことになりました。という話を親子の会話というのはそういった部分で難しいのだなという話を大野村の帯島小学校のその会長から質問されたときに答えました。
 そうしたら、その帯島小学校の会長さん、何をしたかと。家に帰って見てたそうです。子供が部屋から出てこないと言ったものの、子供は実際は部屋から出てくることがありました。それは、トイレに行くときとふろに入るときだったそうです。なるほどなと。自分の部屋で用を足すべきではありませんから、部屋から出るわけであります。さすがにトイレに一緒に入るわけにもいかなかったということで、おふろに一緒に入ったそうです。奥様から後から御報告をいただきましたのですが、異様でしたよと。大の大人が2人黙ってふろに入っているのですからと。だけれども、そういったことがあってから、息子は部屋から出てきて、閉じこもることなく部屋から出てきて、御飯を食べて学校に行って、今はもう卒業されていらっしゃいますが、そういう形でおかげさまでしたと。でも、親子の会話は一向にないのですよねと。でも、それは今に始まったことではありませんと。それはそうだったのですよね。大体子供とおまえどうなっているのだ、今何やっているのだなんて話、されませんよね。そういう経験ございますよね。ですから、そういった部分から見ていくと、なかなかそういった親子の関係の会話というのが非常に難しい部分がある。だから、いざ子供が何か起こしたときに、はっと思って、大変だと思ったとき、実は何話ししていいかわからないというのが今の実態の、私たちもそうだったのです。私たちの親もそうだったのです。一生懸命働いているから、親と会話したこともなかったという部分があるのかもしれません。だけれども、そういった部分がありました。
 また話は飛びますが、こんなのも日報の声の欄にありましたので、紹介させてください。もう露骨に言いますが、江刺市内のスーパーマーケットで先日3歳ぐらいの男の子を連れたおばあちゃんがパン売り場の前で、これがいいのと言って菓子パンを1つ取り、その場で袋をあけ、一口その子に上げていました。その場面を見た私は、唖然としました。そんな私に気づいたそのおばあちゃんは、私に聞こえるようにこれはちゃんとお金を払うのだからねと言って立ち去りました。私も4歳と2歳の子の母親ですが、子供たちにはお金を払うまでお店のものだからねと言って聞かせ、我慢をさせています。これ、おばあちゃんやった行為、万引きね。だけれども、私はこれを見て思ったのは嫁姑関係。次の日、スーパーマーケットで先日3歳ぐらいの男の子を連れたお母さんがパン売り場の前で、これがいいのと言って菓子パンを1つ取り、買い物かごに入れました。子供がこのパン今ここで食べたい、だめよ、お金払うまでお店のものだからねと。だって、きのうおばあちゃんここで食べさせてくれたものとなったら、家に帰ってからどうなるのだろうか。おばあちゃん、何てことしてくれたのですか、そんなことやめてくださいよと。だったら、お嫁さん、あんたが自分で孫の面倒見たらいいでしょうというふうになりませんかね。嫁姑問題。我が家にも嫁姑問題ありました。女房の一方的な立場に立ってやれなかった私が本当に申しわけないと思います。この場をおかりしておわび申し上げますので、うちの女房に会った際には、フォローしていただければ幸いでございます。
 ただ、紫波町のPTA研修会のときに紫波署の生活安全課から女性警察官が参りまして講演をしたことがあるのですが、あそこはマックスバリュがーできてから万引きする事案が多くなったということで、やっぱり小学校の小さな低学年の女の子が万引きで補導されて紫波署に送られてきたということ。紫波署の大部屋からお母さんの職場に電話をかけたと。おたくのお嬢さん万引きで補導されましたので、迎えに来てくださいと。今仕事で忙しくて迎えに行けません、何万引きしたのですかと。鉛筆1本です。鉛筆1本万引きなのですか。これ、2つの間違い、もうありますよね。おたくのお嬢さん万引きされまして、迎えに来てくださいと、仕事投げて迎えに来なければいけないですよね。抱き締めてあげれば、それで済む話なのです。それをしなかった、鉛筆1本万引きなのですかと。だったら、何を万引きしたら万引きだと、もっとお母さん私に気づいてくれるのかという部分があるわけです。だから、本当にそういうサインが出ている部分というのがある。
 実は、子供からのサインというのも私たちが見逃すときがありますし、地域の周りの人たちが見逃すときもあります。小児科の先生が見逃すときも、実はあるのです。子供は、いきなり虐待を受けているわけではありません。徐々に、徐々にそれが積み重なっていって、子供が虐待に遭っているという部分があります。しつけという名の虐待です。ですから、そういった部分のサインだとか、いろんな場面を見逃すことのないようにしなければならない。それは、実は子育てという部分について、親の、しかも母親、もしくは父親の方のストレスというもののやっぱり出し方がわからない、そこの中にあるということも御理解をいただきたいと思います。
 親の気分、感情のはけ口と手加減もせず、子供が泣いても構わず暴力を振るうのが虐待。親が子供の物事の善悪を教えたり、手の甲や裸のおしりを少し強めにたたくのはしつけの愛のむちだと私は思っている。相手は幼く、自分でも何が何だかわからず、いたずらやちょっとした悪さをしてしまう。5歳ぐらいになれば少しよくなるが、それまでは乱暴なようでも、時と場合によっては教えたたきになる。人の物を盗んだり、人を傷つけたり、自分より弱い者をいじめたり、人の迷惑になったりなどの場合はしかるのがいい。今の親は、幼児を真剣にしからなくなった。私の父親は怒ると怖くて、身の縮む思いがした。父親が本気で怒ったら、後で母親が子供の怒られたわけを優しく諭してあげれば、子供は具体的にこんなことをするといけないのだと理解するだろう。子供が小さいころからしっかりしつければ、大きくなっても人の道を踏み外すことはないと確信すると、岩泉のお母さんからいただいたお手紙でございました。
 また万引きの話に戻って恐縮なのですが、東京で本屋さんが万引きの被害に遭って、そのどたばたがあって最終的に本屋さんを廃業したというケースがありました。万引きをした子供を追いかけていったことによって、子供が大きな道に飛び出て車にはねられて死んでしまったというのがニュース報道に流れたのです。必要以上に追いかけていったことによって、将来ある子供の大切な命を奪ってしまったのではないかということによってたたかれたものですから、その本屋さんは休業しました。休業したことがまたニュースに流れたことによって、全国から応援の手紙が来ました。それはあなたが悪いのではない、万引きしたことが悪いのだということで、勇気を持って再開せよということでした。防犯カメラを設置したり、防犯用の万引き防止用のミラーをつけたり、設置をするなどして再開しました。ところが、やっぱり万引きはおさまりませんでした。結果において、その万引きをとがめようとすることによって、またとうとい命を失ってしまうかもしれないということで、ついに廃業してしまった本屋さんがあるのです。
 その本屋さんに関連した話です。私がまだ学生で、近所の本屋さんでアルバイトをしていたころのことだ。店番をしていると、いろいろなことに出会う。万引きもその中の1つだ。防止するために店内2カ所にカメラを設置していたのだが、それにも飽き足らず事はたびたび起こった。その日は日曜日だった。午後4時ごろ、店長と2人で店番をしていた私は、カメラを通して不審な様子の男子中学生2人を見ていた。やるのではないかな、私の予想は的中、2人は漫画コミックスを4、5冊持っていたかばんの中へ素早く入れたのだった。何事もなかったように店を出ていこうとする2人をとらまえ、問いただした。彼らは反省の色もなく、結局お金を払えばいいのだろうというような態度をとっていた。もちろんそれでは事はおさまらない。それぞれ親に電話をして来てもらうようにと言うと、親は家にいないと言って電話しようとしない。では、警察に行くかと言うと、慌てて受話器を取ったのだった。お母さん、ちょっと本屋さんに来て、いいから来て。電話の向こうの親が言っていることを聞かなくても予想がつく。僕、本盗んだ。1人の少年の親はすぐ来た。母親だった。店長に謝ると、その場で子供のほおを平手打ちし、目にいっぱい涙を浮かべ、体は怒りに震えていた。私は、その行動を親なら当然だと思った。少年は泣きもせず、母親に促されるままに店を出ていった。もう一方の親は、なかなかやってこなかった。どうせいいかげんな親に違いないと私は思っていたが、予想とは違い、やってきたのは紳士という感じの父親だった。○○です。御迷惑かけて済みません。そう言った父親は、とても落ちついた態度で、決して私たちの前で子供をしかったり、たたいたりしなかった。私は何て甘い親だろう、だから子供がだめになるのだろうと思った。御主人、ちょっとこちらへ来てください。その父親は言った。何だろう。お金で解決するつもりだろうか、私は思った。ところがどうだろう。父親は予想もつかないことをしたのだ。店の奥へ店長を連れていくと、周りに客人もいるにもかかわらず、その場に土下座をしたのだった。どれだけ驚いたことか。私だけではなく、周りにいる人たちもどれだけ驚いたことだろう。頭を上げてくれと言う店長の言葉に、やっと応じた父親のその顔、悲しみにゆがみ、涙でぐちゃぐちゃになっていた。父親は少年を見て泣いた。私もまた涙がとまらなかった。この2人の親たち、2人とも子供を愛する気持ちに変わりはないだろうが、母親の場合は私たちの前で平手打ちをすることによって、自分はこんなに厳しくしつけをしているのだということをみんなに知らせたいという気持ちがなかっただろうか。それは、自分自身をかばうことにつながるように思える。それに対し、父親の場合、他人の目も気にせず子供のためにどうすることが最もよい方法かを的確に判断していると思う。私は、この事件のことを一生忘れないと、この文に出会いました。
 この文に出会うまで、私全然考えていなかった。自分の子供が万引きしたらどうなるのか。幸いにも万引きをしたことがないようでありますが、呼び出されたこともありませんでした。もし呼び出されたら、私はどういう態度をとったのだろうかと考えました。自分の息子が自分の進路のことを自分で口に出せなかったことに対して、腹を立ててたたきつけてしまった私ですから、恐らく前出してきた母親のように、その場でうちの息子をののしって、たたきつけたに違いないのです。だけれども、それが本当に子供のためになることかどうかというのは、この文を見て考えさせられました。だから、自分たちがやろうとしている、またはしなければならない、人の道を踏み外した場合どうしてやらなければならないのかという部分について、やっぱりもっと私たちが考えなければならないこと、そういうことを真摯に語り合うことというのは大切なことなのだろうというふうに僕は思っています。
 子供の気持ち・親の愛情。作文に戻ります。ここに来る子供たちが犯してきた非行は痛々しく、例を挙げれば切りがない。万引き、恐喝、薬物使用、不純異性交遊、たばこ、飲酒に暴力。けれども、この影には、家庭の問題が深く潜んでいるのだ。虐待を受けたり、両親の離婚によって家庭が崩壊されたりして、本当に信用できる人がいなくなり、そのストレスを物や人にぶつける。私の母は、よくだれかに少しでも本当に愛された実感がある子は人間関係をつかめるけれども、本当に愛情に恵まれないで思春期を迎えることになった子は難しいと頭を抱えている。退院を控えた生徒が事務室で父と話しながら泣いていた。後で父に何で泣いていたのと聞くと、暗い表情で退院しても帰るところがないからだよと言った。この子の父親は、数カ月前までは電話で早くうちの子を返せ、返せと言ったのに。また、ある生徒は、玄関の窓から約束の時間になっても来ない母親を探していた。しかし、夜になってもとうとう母親はあらわれなかった。裏切られたとしても、やっぱり親であってほしかった。あの小柄なA子ちゃんの表情.と寒々とした玄関の窓の外の景色が今でも目に焼きついて離れない。愛情に飢えざるを得ない。お父さんやお母さんたちにも、一刻も早く子供の心が読み取れる力をつけてほしいと終わっています。
 実は、平成12年の話で恐縮なのですが、9月に千葉市の少年院であと1カ月で退院、少年院を出ることができる子供が脱走したという速報メールが私の携帯電話に入ってきました。私はそのメールを見たとき、この子供に対して何というやつだと思いました。あと1カ月我慢していれば少年院を退院することができるのに、何だこの子供はと思った。この子供、脱走しましたけれども、金品持っておりませんでしたので、コンビニ強盗をしました。コンビニに行って金を出せと言ったのですが、手に凶器を持っていません。店長におまえそんなことしてだめなのだと一喝されまして、何も盗らずに逃げました。逃げて、クリーニングの取次店のおばちゃんのところに行きました。弱いところに。おばちゃんのところに行って金出せと。あんたそんなことしてはだめなのだよと諭されて、何も盗らずにJRの電車に無賃乗車をして東京都内で保護されました。保護されてわかったのです。この子供、あと1カ月で退院できるのですが、この子供の両親どっちもドラッグ中毒によって死亡していました。たった1カ所の兄弟、身寄りのある親戚のところに相談が行きましたが、その家庭にも事情があってこの子供を引き取ることができないということで、その子供が1カ月後退院して、次に入る施設が決まった日だったのです。僕はまだ更正していないから、この少年院に残してくれというサインだったのです。気づきませんでした。本当に申しわけないと思う。だって、子供って親選べないのですよね。ここに産まれてきたいなんていうのはないのです。授かった私たちが、責任を持って本当に子供のことを考えてやらなければならないのに、そういった部分がたくさんまだあるのだということを思い知らされました。
 ざけんなよという本が出たのです。東京母の会の話です。恐喝容疑で捕まった高校3年生17歳は、僕が中学2年になったころから父は酒を飲んでべろんべろんになって帰ってくるようになった。会社でリストラに遭ったそうだ。このため、母親は夜中はレストランで働き、家では親子の対話は全くない。ぐうたらおやじは早く死んだ方がいい。不良仲間とつき合ううちに、かつあげしている方が楽しくなったと書いてあるのです。
 少女売春と覚せい剤で捕まった19歳無職少女は、15歳のときテレクラ売春で教護院に入ったけれども、3回逃げた。パパは会社員、ママは夜はパート働きで私より猫の方をかわいがっており、私に関心がない。高校生になって援助交際をしてるうちに暴力団と関係し、薬を打つようになった。家庭はばらばらで、今欲しいのは温かい家庭だ。みんなで一緒に食事ができる家が欲しいと、一家団らんを訴えている。
 こんなふうになった子供でさえも、家に帰って一緒に親子で御飯食べたいと言っているのです。そういった流れの中で、少年法だけを厳しくして刑事罰を与えていけばいいというような風潮にもなっているような気がしてならない。本当にそれでいいのでしょうか。東京都では、高校生まではセックスをしてはいけないという条例を出そうとしています。当然そんなことは条例で決めること以前の話であって、本来であればそういうことは条例で決めるものではないと思いますが、今そういった部分で性という部分についてもかなりはんらんしています。
 次のページには、いわゆる平成14年の話で恐縮ではございますが、新聞の切り抜きを印刷物で入れさせていただきました。これは、中学生が乗用車で暴走とありますが、水沢南中学校の3年生の男の子が深夜、お父さんの車、ホンダオデッセイを運転し、交通事故を起こしたものでありました。これは、子供が車を運転していったわけでありますが、このとき江刺の中学生と合流をしています、女子中学生と。ですが、この2人は顔を会わせたことが一度もありません。場所を待ち合わせして、初めて男の子が親から黙って車を借り、そして女の子を乗せて交通事故を起こしたものでありますが、この出会いはメル友でありました。これをきっかけに、隣にありますように買春仲介の女子中学生3人を補導というふうに出てまいりました。盛岡の中学3年生が置屋のおかみをやっていたという話であります。手数料を取っていたと。どうやって手数料を取っていたのかといったら、郵便為替だったのです。郵便為替で送らせて、それを郵便局に行って換金していたというのがあったわけであります。
 実は私援助交際もしてたんですよ。昨年の秋、いわゆる平成14年の秋なのですが、県南のある警察署、少年事件担当の警察署員は、目の前におとなしく座る女子中学生の唐突な一言に面食らった。最近の子供には、重大な罪を犯したという認識はないのかね。調べを終えた署員は、半分あきらめ顔で同僚に語りかけた。しかし、この後中学生の話を糸口に県内中学生グループによる売春が判明し、警察はさらに仰天することになる。出会い系サイトとメールを用いたIT犯罪の一種だった。中学生が売春に手を染めたのは、小学校の同級生2人に援助交際してみないと誘われたからだった。そして、この同級生2人も県央の女子中学生の誘いに乗って売春の道に入り込んだのだった。同級生2人と県央の中学生は、携帯電話の出会い系サイトで知り合った仲。メールのやりとりはあっても、会ったことは一度としてなかった。それが、お金欲しいんだ、ならいい人紹介するよ、お金いっぱいもらえるよと、こんな簡単なメール交換で売春に合意し、県央の中学生から県南の3人へと買春相手が紹介されていった。実は、このときに逮捕されたのは、1人は八戸教育委員会の主事でした。はやてに乗ってきて、はやてのように帰っていったわけでありますが、そういった部分がありますし、今といいますか、去年私の学校でも1人保護した子供がいたわけでありますが、保護したその現場は、ホテルメトロポリタンニューウイングでございます。いかがわしいホテルではなくて、ちゃんとそういう結婚式場を備えた都市ホテルでもそういうことが実際に行われているのが実態としてあります。
 参考資料として持ち込みました、思春期シンポジウムからのメッセージでございますが、これは岩手県医師会から発行されたものであります。これの中で、いろんなことの中身が書いてあるのでありますが、7ページ目を御覧いただければ幸いです。携帯電話にまつわる話でありますが、自分の携帯電話持っていますか、県内高校生73%持っています。出会い系サイトを知っていますか、90%知っております。出会い系サイトを利用したことがありますか、2割。そして、出会い系サイトで知り合ったメル友と会ったことがありますか、4割。こんなことで、出会い系サイトで出会っているのです。岩手県内でも刑事事件あったわけでありますが、未成年の部分、やはり総数が少なかったものですから、ここは全国での数字が載っているわけでありますが、岩手県内のやはりこういった事件について、巻き込まれた部分についての被害者の数値は、ほぼ同じであります。いわゆる女子高校生が約5割、そして女子中学生が25%という形で被害に遭っているのです。
 それから、8ページ目は性行為なのですが、好きな人から性行為を要求されたらどうしますか、その場にならないとわからないが52%あります。つまり残りの48%の人の数をぱたんと反対側に倒して、倍の数字で見ていきますと、好きな人から性行為を要求されたらしちゃいますというのが36%になるわけです。嫌われたくないので受け入れる6%、興味があるのでオーケーが8%、避妊をするならオーケーが28%ということですね。こうやって見ると、断るのは12%だけになってしまいまして、ほとんどの女子高生が性行為をしてしまうという状況になってしまうわけです。ですから、今性感染症に対しての問題だとか、それから性交というのはいつしたらいいのだろうかとかという話が出てくるわけでありますが、そういった部分についても、やはりあなたが産まれてきたのよという部分、命の大切さという部分、あなたが大事なのだよという部分が親子の中できちっと話し合いをされているのかどうか、そういったところがやはり大切なことなのだろう、自分が粗末にされているとなると、そういった部分でも自分のことを見失ってしまうのではないかというふうに思います。
 作文に戻ります。ぼくの右手。僕の右手、みんなと違う右手。みんなと違う醜い手。どうして僕の親指真っすぐ伸びないの。母に問いかけると、母は目に涙を浮かべながらごめんね、ごめんねと僕の右手の親指をさすった。僕は、生まれつき右手の親指がおかしかった。真っすぐに伸びないのだ。暇があると、この右手の親指をぼうっと見ていた。母は、そんな僕の姿を見るたびに謝った。母は、僕の親指がおかしいのは、産んだ自分のせいだと思っていたらしい。気にしなくていいと僕が言うと、母はますます声を大きくして泣いてしまう。母は、とても優しい人だった。どんなときでも僕の見方だった。穏やかで大きな目。笑うと左のほおにえくぼができた。そして、何よりも母の温かい手が好きだった。僕が小学校3年生の終わりごろだと思う。母が病気で入院した。そのころになると、僕の親指も自然に治り、真っすぐ伸びるようになってきた。そのことを話すと、母は飛び上がらんばかりに喜んでくれた。そして、僕の右手を温かい手でさすってくれた。小学校4年のいつだったか、母が突然、ずっと後ろにいてあげるからねと言った。そのとき、僕にはよく意味がわからなかった。そして、小学校4年の終わりごろ、母は亡くなった。母が亡くなってから初めて学校に行ったとき、クラスではばかに明るいやつとして知られていたので、暗い気持ちを押して、みんなに大声であいさつをして登校した。みんなは、最初は声をかけづらそうだったが、僕の声につられたのか、気軽にあいさつを返してくれた。いつもと変わらない風景だったが、何かが違っていた。母が死んでから、僕の心の中が少し変わっていた。何かを失ったのか、それとも得たのかわからなかったけれども。そんなある日、同級生が何かのことで僕をからかった。ふだんの僕なら、ちょっと言い返すだけで終わってしまったはずなのに、そのときは違っていた。頭の中がかっと熱くなって、気がついたときはもう殴っていた。これだけではなかった。ちょっとのことでも腹を立てて殴りつけることが幾度かあった。なぜこんなにまで僕の気性は変わってしまったのかわからない。もしかしたら、母が死に、その寂しさを殴るという行為で紛らわしていたのかもしれない。そして、僕はその心を治せないまま小学校を卒業した。中学生になったある日のことだった。ある本を読んだときだ。その本に出てくる男の子が僕に似ていて、母親がいない子で、気性が荒く乱暴な性格という設定であった。そして、ある人がその子に言うのだ。お母さんが見ているんだぞと。僕ははっとした。お母さんが見ている。母が亡くなる少し前に言った、ずっと後ろにいてあげるからねとは、この意味ではなかったのか。ずっと後ろにいてあげるからね。僕は、母の見ている前で人を殴った。母が祈りを込めて宝物のようにさすってくれたあの右手で。何てばかなことを、とっさに僕は自分を軽べつした。そして、新しい考えを持った。何かを守るためにこぶしを振り上げなければならないことも時にはあるのかもしれない。でも、あのときのようにめったやたらに殴りかかるわけにはいかない。この右手で困っている人を助けるべきだ。この世の中にはたくさんの問題がある。それをこの右手で正していくべきだ。この母のぬくもりのこもった右手で。皆さんの手にもあるのではないのでしょうか。あなたの近くにいる困っている人、悩んでいる人を救う力がであります。
 これ見てすごいなと思ったのは、この子供、本を読んで立ち直ったのです。やっぱり本を読ませるという部分は大事なのだ。だから、子供たちにも本読ませるきっかけが欲しいけれども、やっぱり子供たちのこと、子育てという部分については、親みんな一様に悩んでいるのです。聞き方がわからない。だから、自分の子育てはそれでいいのだろうかという自問自答をしているところがある。最近の講演の中でも出てきた話ですが、子供を連れた親子が、お父さんとお母さんと一緒に赤ちゃんを連れてきた親が先生の前で、うちの子供はおかしいと言うのです。何ですかと聞いたら、私の子供のおむつに出てくるおしっこは黄色いのです、青くありませんと言うのです。あなた方のおしっこはどうですかと言ったら、黄色いですと。黄色でいいのではないですか。だって、コマーシャルで青いおしっこをやっているでしょう、うちの子供は黄色いのです、青くないのですというふうに来る親もいるのです、実際。それだけわからないのです。
 私は、フランダースの犬というのを小学校5年生のときに一晩で読みふけたこと思い出していました。私が本を読んでいたときに祖母がやってきて、今御飯食べなかったら食べさせないよと言ったのです。母親が後からやってきて、今本読んでいるから本読みに集中させてと言ったのが頭に残っていました。フランダースの犬でした。皆さん方には何があるのでしょう。
 今中学校2年生に聞くと、走れメロスというのがあると、太宰治作でありますが。あれも、へえという番組で太宰治が借金地獄から逃げるためにつくった作品だなんていうものですから、半減してしまって困るのでありますが、だけれどもそういった部分で子供たちの中にそういうのが残っているというのもありがたいというふうに思いました。
 子供の生命から学んだこと。お母さん、こんなにかわいく産んでくれてどうもありがとう。6月2日に娘が生まれ、面会に来た5歳の長男の温かい言葉です。2年前、弟が生まれたときも、寝返りを打てない私に、お母さん、僕御飯食べさせてあげようかの一言に涙がぽろり。兄弟げんかはしょっちゅうで、私はどなってばかり。そんな私に、彼はもっと優しく言えないかなとぽつり。すきを見ては生まれたばかりの妹に顔を近づけて、いいにおいとうっとりしています。まだまだおっぱいの香りを恋しがる姿に反省する私です。育児は育自、お母さんといつまでも慕われる母でありたいものです。和くん、あっくん、ともちゃん、お母さんにしてくれてどうもありがとうとあります。
 この中にもお子さんをお持ちのお父さん、お母さんいらっしゃるのだと思いますが、皆さん方いつお父さん、お母さんになったのでしょうか。私気づかなかったのです。自分の子、長男坊生まれたときまだ若かったものですから、大事、大事に育てました。だから、私がだっこしようとするものだったらば、危ないから、落とすからといって、抱かせてくれませんでした。川の字になって寝ようかと言うと、つぶすからだめだといって、私が寝て、女房が寝て、その隣に息子が寝ていました。変な川の字になって寝ていました。そんな家だったのです。3歳ちょっとたって、10月だったのです、6月生まれだったものですから、3歳と4カ月ぐらいたったときに、私が会社から早く家に戻ってくる時に、息子が夕方散歩に出かけると言ってぱたぱたと家から出ていったのです。そのときにたまたま偶然通りすがりで会いまして、どこいくのと言ったら、散歩と言っていなくなったのです。早く戻れよ、暗くなるからという話をして、わかったと言って、ぱたぱた、ぱたぱた歩いていった。当時はまだ携帯電話もない時代でありまして、今から20年前の話なものですから。それで、散歩に出かけていったのに、5時半、6時になっても帰ってこない。もう日は暮れてとっぷり暗くなってしまって、おかしいということで、探しに懐中電灯を持って出かけました。出かけたのですが、探せなかった。それで、近くにある交番、加賀野交番に行って、迷子届け出しました。これこれこういう子供で、こういう服着た子供が迷子になりましたと迷子届け出しました。出したときに、お巡りさんから最後に、では保護者の方、ここにサインしてくださいと言われたので、サイン書こうと思ったときに、保護者の方と言ったから、保護者ですか、今家にいます。女房ですねと言ったのです。息子のことを保護しているのは女房だと思ったのです。そうしたら、お巡りさんにあんたお父さんでしょうと。普通お父さん、あんたが保護者だよと言われたのです。ああ、そうなのだと。息子大事にして、保護しているのは女房なものだから、自分は保護者という感覚がありませんでしたと、そう申し上げました。つまり父親なのだけれども、お父さんになっていませんでした。だけれども、その長男坊が幼稚園の年長さんのころ、今ごろの季節でした。暑くて会社をさぼって、家に帰って上着脱いで、靴下脱いで、ごろっと横になってテレビ見ていました。ネクタイも外して。当時はポケットベル時代になっていましたので、何か用事があればポケットベルで呼び出されるという時代でした。横になっていました。そうしたら、そのときに子供の声が聞こえたような気がしたのです。お父さん呼んできてというような声が聞こえたような気がした。え、と思って、起き上がって外に出て、子供の声が聞こえた方を見向いたら、30メーターぐらい離れたところに県庁の官舎があって、雨水側溝が流れています。そこの側溝のところの溝に指挟んだらしくて、痛いよ、痛いよとうずくまっていたのです。やばいと思って走っていきまして、子供のことを抱き上げました。抱き上げて指を見たらば、カットバンで済みそうな傷だったのです。ああ、よかったと思ったのです。そのときに、足がじんと痛くなった。はだしで出ていたのです。あ、おれおやじになったかなとそのとき思ったのです。だから、皆さん方もどこかでお父さんになったというときがあるのだと思います。お母さんになったときもあるのだと思うのです。いつお母さんになりましたか。それは、お子さんにおっぱいを授乳しているとき、ジューと吸われていくあの感覚、僕にはわからないですよ。だけれども、そういった感覚で命がつながっていくという部分があるのかどうか、そういった部分でやはり自分たち、子供というものはどういうふうに大事なのかという部分を教えられるのだなというふうに私は思いました。
 次の作文なのですが、互いに心を通わせて。私の兄は障害者です。今この言葉を目にして、皆さんはどう思ったでしょうか。兄は、生まれたときから障害を持っていました。病名はダウン症。幼いころから病弱で、入退院を繰り返し、長くて15年の命だと告げられました。私は過去にそんな兄をばかにされた経験が何度もあります。おまえの兄ちゃん障害者だろう。初めは、だから何と気にもとめていませんでした。それが小学校の高学年ごろになると、その言葉を言われたくないために兄がいることを隠し、ごまかしてきました。兄をばかにされると同時に、私のプライドも傷つけられていくような気がしたからです。そして、そんな言葉が耳に入るたびにあんなお兄ちゃん恥ずかしい、お兄ちゃんなんていなければよかったと思うようになり、どうしてお兄ちゃんみたいな子を産んでしまったの、普通のお兄ちゃんがよかったなどと母を責めることが多くなりました。すると、母は決まって悲しそうな表情を浮かべ、何も言わず、時にはそっと背を向けて泣いていることもありました。そんなとき私は、何て子だろう、私や兄を大切に育てている母を悲しませるなんてと、自分への嫌悪感でいっぱいになります。そして、兄のことで弱くなっていく自分がどんどん嫌になっていったのです。おまえの兄ちゃん障害者だろう、このたった一言がきっかけで、兄のことを私自身軽べつしていきました。嫌いになったきっかけは、それだけではありませんでした。実は私の姉も兄のことを嫌っていたのです。今思えば、姉もまた私と同様に兄のことをばかにされていたに違いありません。しかし、私が中学1年の秋のこと、熱を出して寝込んでしまった私に、兄は大丈夫か、早く元気になれよと声をかけ、心配そうな表情で私の顔をのぞき込みました。それは、きっと兄が病弱だったころ、周りの人からしてもらってうれしかったことを私にしてくれたのだと思うのです。私に嫌われているにもかかわらず、病気の心配をしてくれる兄に何だか申しわけないような気がしたけれども、私の心はうれしい気持ちでいっぱいになりました。自分の意志を思うように伝えられなかったり、物事を深く考えたりすることはできないけれども、そのときの兄は素直で優しい言葉をかけてくれました。障害者でも、人を思う気持ちは障害のない人に負けないくらいあるのです。兄が思いやりや温かさ、そして人の心を動かす何かを持っていることに初めて気がつきました。兄のよさは、ばかにしている人たちには全くわからないと思います。兄のことを、障害者のことを何も知らないのにばかにする、見た目が普通の人と違うからといって笑いものにするなんて、おかしいと思います。そのような人たちに本当の人間のよさがわかるのでしょうか。人間は外見だけでなく、相手の心を見てつき合うことが大切だと思います。障害がある人でも、素直に心を通わせれば互いにわかり合えるのです。障害があっても、それでも懸命に生き、人をいたわる心を持つ兄は、やっぱりみんなと同じ人間だと思うようになりました。本当に恥ずかしかったのは、兄を恥ずかしいと思っていた私自身だったことに気づき、私は兄をばかにしたときのことを後悔しました。私は兄から障害者でも生きる権利があることを学びました。それと同時に、自分は障害もなく健康に生まれてきたことに感謝し、これからどう生きなければならないかをよく考えて、できれば人のためになるようなことができたら、兄のことをばかにされ、傷つき、苦しんだことも私の生きるための大きな土台になっていくような気がします。兄は、障害者でも一人の人間であり、私にとってかけがえのない家族なのです。そんな障害者の兄を今までの27年もの長い間支え続け、これからも支え続ける両親と、人を思いやり、大切にすることを教えてくれた兄を尊敬し、こんなすばらしい家族を持ったことを誇りに思います。そして、何より兄にありがとうと言いたいです。
 これ、本当に改めて皆さん方に問いかけるわけではないのですが、子供たちの年代の中では、こういうことというのはあるのですよね。そういう子供がいないわけでもないわけでして、実際に先生方のお子さんにもいらっしゃる場面があるわけであります。どうかそういった子供たちに対しても、私たちは一緒になって心を開いていくよりも、開く前に一緒になってやっていかなければならないという部分については御理解をいただきたいというふうに思うのです。そういった弱い者というのは、最近どうも弱いところは弱いままになっているような気がしてならないのであります。
 母が教えてくれたもの。僕には父がいません。母に女手一つで育てられてきました。でも僕は、父がいないということで自分のことをみじめに思ったことも不満に思ったこともありません。毎日母のしてくれることを当たり前のこととして生活してきました。だから、母が僕たち5人の兄弟を育てるまでにどんな苦労があったのか僕には余りわかりませんでした。しかし、それを知ったのは、働いている母の姿を見たときです。冷凍加工会社に勤める母は、そのとき15キロぐらいある箱を男の人にまじって上げおろしをしていたのです。重そうな箱を持ち上げる母の横顔は厳しく必死でした。そこには、男だから、女だからということではなく、家族のために一心に働く母の姿がありました。そして、その姿を見てから間もなく母は疲れがたまって寝込み、僕が夕食をつくることになりました。はじめは、食事の支度など簡単なことだと思いました。しかし、実際につくってみるととても面倒なものでした。しかも、母は会社で一日じゅう立ち仕事をして疲れ切って帰ってきた上に、食事や洗濯などの家事をするのです。いつもはめったに愚痴をこぼさない母が、珍しく愚痴をこぼしたことがあるのを覚えています。それは、毎日仕事の内容が変わるので、その都度覚える大変さや職場の人間関係の難しさでした。僕はそのとき母が働いていることも、世話をしてもらうこともみんな当たり前のことだと思っていた自分にはじめて気づきました。考えてみれば、僕は今まで自分の身の回りのことばかりか、すべてのことについてこんなふうだったかもしれません。毎日の生活が何事もなく進んでいくことに余りにも無関心だったように思います。母の働いている姿を見たことや、母のかわりに食事の準備をしたことで、それまで考えたこともなかった仕事をやり通す厳しさや家族を守る強さなどに気づくことができました。僕たちは、何かあるたびにすぐに不満を持ってだれかを批判したり、何事でも人のせいにすることがあるのではないでしょうか。また、自分の生活がたくさんの人たちに守られ、支えられているのかということに気づかずに、1人で生きてきたつもりにはなっていないでしょうか。しかし、自分たちの生活は家族や周りの人たちに支えられて成り立っていることを忘れてはならないのです。中学3年も半ばとなり、僕たちは進路について真剣に考えなければならない時期を迎えました。僕は地元の高校に進み、高校を卒業したら就職しようと思っています。まだ具体的な職業は決まっていませんが、どんな仕事に就いたとしても、母が働き通して僕たち5人の兄弟を育てた強さを決して忘れません。いや、忘れてはならないのです。父がいないという現実をしっかり受けとめ、だれにも少しも不満を持つことなく、ひたすら働き通してきた母の姿が僕の目標です。
 これ、親の後ろ姿見ているのですよね。親一生懸命なのです。この子、大船渡の末崎小学校にいてスポ少で野球をしていたのです。スポ少の先生がやってきまして、講演の後、この佐藤君におれのスパイクとグラブ貸してやればよかったと。だって、あいつのグラブとスパイクぼろぼろだった、ぐちゃぐちゃだったと。それは、買ってもらえないから、お下がりをもらって使っていた。でも、こういうやつだったのだなと。そして、大船渡高校に彼行ったのです。大船渡高校でも野球やって、キャプテンやっていました。盛小学校で話をしたときにお母さんがやってきまして、この佐藤君が野球部のキャプテンをやっているのに不満があったのですと言うのです。どうしてですかと。片親でしょう、遠征費払えないのですよ、部活動費だって満足に払えない。何で彼がキャプテンなのと思っていました。これを見て、彼がキャプテンでよかったと言ってくれました。ありがたかったのですね。やっぱりこういったもので親を見ている姿、親は親として感じる部分があるのだというのを教えられたような気がしてならないのです。彼は、前橋工科大学の夜学に進みました。昼働いて、学費と生活費をためながら学校に通っています。僕はこいつだったら会社の社員に欲しいと思いました。
 生きる道を求めて…。僕は涙を浮かべ、布団を握り締めていつまでも叫んだ。小学校は毎日楽しい日々だった。心に傷をつけられるまでは。いつものように友達と外で遊んでいるとき、3つ年上の先輩が来て、げ、玉置の弟だ。一緒にいたくない、あっち行こうと言われた。それを聞いた瞬間、僕の心はずたずたに傷ついてしまった。遊ぶことも、勉強も手につかず、自分が自分でないような気がした。玉置の弟というのは、僕には姉がいて、その人たちは姉と同じクラスだった。僕は、あの言葉を聞くまで姉が数人の人から差別を受けていることを知らなかった。家ではいつも明るく振る舞って、毎日笑顔でいた姉の心は、既に傷ついていたのだった。もちろん親だって知る由もなかった。姉はだれにも相談できず、1人で悩み、苦しんでいた。その姉に励ます言葉1つ浮かばなかった自分が情けなかった。その日から、僕にとって苦難との闘いの日々が始まった。朝学校に行けば靴箱の前で待ち伏せをされ、嫌みを言われ続けた。休み時間、外に遊びに行くと冷たい目で見られて文句を言われる毎日だった。我慢し続け、必死に乗り越えてきたけれども、次第に気持ちは不安になり、怖いという思いでいっぱいになった。次の日、僕は学校に行かなかった。あの人たちに会うのが怖かった。布団にくるまり、必死に今の感情を抑えた。それでも我慢できなくなり、目から自然と涙がこぼれた。それから、思い切ってこのことをすべて親に話した。泣きながら、うめきながら、ゆっくりと。話し終わった後母の顔を見ると、母は優しく笑って僕を抱き締めてくれた。母の胸は温かかった。そして、熱い何かが伝わってきた。大丈夫、守ってあげるからというようなことをきっと母は言いたかったのだろうと思う。
 最近、お子さんいらっしゃる方はお子さんを抱き締めたことありますでしょうか。お子さんのにおい、覚えていますか。きょうは夏日で暑くて大変だと思いますが、きょうお帰りになったら、奥さんいらっしゃる方は奥さんをぎゅっと抱き締めて、旦那さんいらっしゃる方は旦那さんと一緒に、ぎゅっと抱き締めて寝ていただければ、少子化対策にも歯どめがかかるのかもしれませんが、ひとつよろしくお願いしたいと思います。
 僕は今、強く生きている。心の傷も少しずつよくなった。そして、あのこと以来、生きるということについて考え始めた。なぜ今僕は生きているのだろう、なぜ人は死ぬのだろう、なぜ人を傷つけるのだろう、僕は何もかもが嫌になり、投げ出したいときによく死にたいという言葉を口にする。そんなことは何十回も何百回もあったけれども、実際には死ねない。自分に勇気がなかったのかもしれない。でも、同じような思いを持った人に会ったら、きっと僕は今はつまらない毎日かもしれないけれども、生きていればきっといいことはある。だから、つらくても頑張ろうと言うだろう。僕はあのとき本気で死のうと思った。生きていてもつらいことしかない。いっそ死んで楽になりたい。でも、その気持ちをとめてくれたのは母の優しさだった。強く抱き締めてくれたとき、僕は生きていてよかったと思った。それを思うことが僕を生んでくれた母への親孝行なのだろうと思うとあるのです。やっぱり抱き締めるということが大事なのだというふうに思うのです。
 次の文は、室根です。人をいじめたことはありませんか。いじめを見ても、見ぬふりをしたことはありませんか。この2つの質問にはっきりと自信を持ってノーと否定できる人は、どのぐらいいるでしょう。私は、残念ながら否定することができません。私は、小学校のときいじめをした経験があります。しかも1人を15人という大人数で。いじめといっても、手を出すわけではなく陰口だったので、みんないじめという意識もなく、おもしろ半分に余り深刻に考えていなかったような気がします。私自身もどこかで悪いことだとわかっていましたが、やめようとは言い出せないまま、1カ月ぐらい陰口によるいじめは続きました。そして、ついに先生や父母の知るところとなりました。そのときは、悪いことをしたというよりは、怒られるという気持ちの方が強い自分がいました。私は、いつものように母にひっぱたかれて説教を受けるであろうと思っていました。正直なところ、そんなときは母の言うことはむしろうるさく感じ、余り真剣に聞いてもいませんでした。でも、その日はいつもと様子が違いました。手を挙げることもなく、静かに話している母。ふと顔を上げて見たそのときの母の顔。その目は、言葉以上のものを私に訴えていました。その目は怒りではなく、むしろかわいそうなものを見る目。私は一瞬戸惑い、みるみる潤む母の目に初めて自分のしたことのひどさと、何を言われても聞き入れようとしなかった自分に対しての嫌悪感を感じました。自分が人の痛みをわからない自分本位な人間だったと思い知らされました。そのとき初めていじめていた相手の気持ちを考えました。突然の態度の変化に、恐らくひどい心の傷を受け、学校でも家でもびくびくしていたのではないでしょうか。そこまで彼女を追い込んだ、その恐ろしさに私は深い自己嫌悪に陥りました。そして、それが自分を見詰め直すきっかけになりました。私はいじめの中にいるとき、自分1人が何を言ってもみんなにわかってもらえるはずがない。そう勝手に決めつけて、やめようの一言が言い出せませんでした。それは、結局は仲間を信じていないということです。本当は、みんなも自分と同じ気持ちだったはず。そう考えることがそのときの私にはできませんでした。あのときみんなを信じてこんなことやめよう、そう言っていれば、だれも傷つかずに済んだはずです。よく自分1人いい子になりたくないという言葉を聞きます。孤立したくない、それはだれもが思うこと。ですが、自分1人がいい子には、その言葉はまるで周りのすべてが悪いと言っているようなものです。みんなが本当にいい子なのだ、そんなふうにみんなをもっと信じるべきなのです。みんな話せばわかってくれる、そう信じてもっと語り合えば、心のすれ違いや疎外感、そしていじめというものがなくなるのではないでしょうか。お互いが信じ合う。それが人間関係を築く基本なのだと改めて深く感じました。そんなことがあったのですね、室根でも。
 こういった部分があります。そういった部分からいって、実は自分の子供をおもちゃのようにして、これ欲しいの、これ欲しいのとかとやっている親がいます。子供を目の前に置きながらたばこを吹かしている父親、母親がいます。先日見たパチンコ屋さんでは、乳飲み子の首も座っていない赤ちゃんを抱きながらパチンコをしてたばこをくわえているお母さんがいました。これでは、子供にいい影響を与えないですよね。でも、パチンコに行かなければならないというふうにまで思う親の心理というのも、実はあるのです。
 また、今私たちの世の中で、自分の父親を見て思うのですけれども、町内会の老人クラブに顔を出さないのです。おれは老人ではないと言うのです、80のじいさんが。壮年部に入りたいと言うのです。とんでもない話だというふうに思うのです。だから、その言葉がよくなくて、自分のプライドを傷つけられているというふうに思うのでのであれば、言葉を変えればいいのでしょうけれども、そういった部分がある。だから、今の子供たちはそういうプライドが先に立ってしまう、または相談することもできない。
 一番最後のページは児童虐待なわけでありますが、これが結局は子供支援の部分なのだろうというふうに思うのです。今まで言わせていただいた作文というのは、すべて子供たちが自立、自活することができた子供たちの話でありますが、それができないでいる子供たち、またはしつけという名のもとでいじめられている子供たちがある。命を失ってしまったこともあるのです。去年は、4カ月の女の子がお父さんに投げられて殺されてしまった、滝沢村。その前は、青山町でもありました。母子家庭同士が市営住宅に住んでいて、そして小学校6年生の女の子が生まれて4カ月の赤ちゃんの面倒を見ていた。泣きやまないからって口をふさいでしまった。結果、事故になってしまったというのがあります。そういったこともあるのです。なぜなら、今岩手県内では転校してくる子供たちがたくさんいます。転入してくる子供たちがたくさんいます。そのうちの8割近くが、実は欠損家庭であります。逆を言えば、それだけ男、父親が何をしているのだと。自分たちがたばこを吸う、お酒買って飲む、そういったお金があるのだったら、子供の給食費払えと思うのですけれども、給食費をもらいに行けば、うちの子供には食べさせなくてもいいと、子供の前で言う親がいるのです。そうなってくると、給食の時間、僕は食べてはいけないのだと思う子供が出てくるのです。そんなことがあっていいのでしょうか。
 心の豊かさだとかという部分については、どこが本当に大事なのかということを思うのでありますが、こうやって子供たちは傷つき、悩んでいるという部分たくさんありますけれども、最後に自分の評価をしていただいた部分になるのかもしれませんが、参考の部分で、これは遠野保育園のお母さんからいただいた文書でありましたが、やっぱり家に帰って子供たちがお母さんと言って寄ってきた。心から幸せだと思うことができるという、こういうお金では買えない心の価値観というのを買っていただいて、心豊かにしていかなければならないのだろうというふうに思います。
 本当にいろんな、別な違う話で長話をさせていただいて、大変恐縮ではあります。また先生方に対してお話しするような内容ではなかったとは思いますけれども、県のPTAというのは今こういった思いで地域のおじいちゃん、おばあちゃん、学校の先生、そして保護者がみんな横一列に手をつないで子供の笑顔をはぐくんでいることが現在のPTAとしての目指す姿であるということを御理解いただければと思って、話をさせていただいた次第でございます。長時間お話をお聞きいただきまして、ありがとうございました。終わらせていただきます。
○工藤大輔委員長 事例を交えて、またユーモラスを交えながらの講演をいただきまして、まことにありがとうございます。
 それでは、これから質疑、意見交換を行います。ただいまお話をいただきましたことに関し、質疑、御意見等がございましたら、よろしくお願いいたします。
○ザ・グレート・サスケ委員 大変すばらしいお話をありがとうございました。もう本当にお話の中身に関しましては、何も質問も意見も言うすき間がないぐらいの、本当にすべてが勉強になるお話で涙出ました。このPTAの印刷物の方の資料の最後のページにちょうど虐待の記事が3件ほど載っていましたので、児童虐待について、やはり今後県としてどのように取り組んでいかなければならないのかというようなことを、ぜひ久慈先生から何かアドバイス的なものがあれば一言いただきたいと思いますが。
○久慈竜也参考人 ありがとうございます。実は、いろんな新聞報道でも児童虐待というのに対しては、大変大きく取り上げられておりますが、そういう中でも自分の子供をたたく行為をやめられないだとか、子供を窓から投げ出したいと思ったことがあるのですよという盛岡からのお母さんの声があったりなんかします。こういったところというのは実際に何なのかというと、やっぱりお母さん方の孤立、孤独だというふうに私は思っています。もっとフランクな形でお母さん方、またはその子育てをしている人たちが集まれる場所があってほしいと思う反面、今の社会的な経済環境を考えていきますと、そういう余裕のない保護者といいますか、親がたくさんいるというのも実態としてあります。私たちは何をしなければならないのかという部分については、非常に大きな問題、まだまだあるのだと思って、自分自身でも自問自答することはたくさんあるのでありますけれども、なかなかそこは金で解決できるものではない。逆を言えば、もっと厳しく言わせていただければ、自分で責任を持って子供を持つことができるまで、実は性行為をしてはいけないのだということをもう一度わかってもらわなければいけないのだというふうに僕は思います。今、国の方で保健体育の方の学習指導要領作成の専門委員で出かけておりますが、今やっている保健体育の中に食育と性教育が入っております。性教育の話題になりますと、やっぱり道徳で扱うべきなのか、保健で扱うべきなのかという問題がありますが、いつ性行為をしたらいいのかという話になってくると、やはりそれは今のうちの子供たちにしっかりとした自分のことを大切にすることを植えつけないと、20年後、30年後に大変だということ。今の親は、もう見捨てられたという部分、正直言って学習指導要領の考え方の中には、もうあります。だから、そこのところは喫緊の課題なのかもしれませんし、手おくれなのかもしれません。虐待は、目の前にある。どうしてあげられるかと。すごく難しいですよね、個人情報保護法も始まりましたので、相手のうちに行って聞いてくるわけにもいきませんし、情報開示するということが難しくなってまいりましたので、そうすると非常に悩みます。お答えになっていないと思いますが、済みません。
○工藤大輔委員長 その他ございませんか。
(「なし。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 ほかにないようでございますので、本日の調査はこれをもって終了いたします。
 久慈竜也さんにおかれましては、本日本当にお忙しい中、御対応を賜りまして深く感謝を申し上げます。県のPTAの連合会長は辞任をされたということではございますが、今後も変わらず青少年の健全育成、また家庭環境をよりよくする方向など、これまでの御経験に沿った形で多くの方々に広めてもらいたいものと、よろしくお願いを申し上げます。以上申し上げ、この特別委員会からの御礼のごあいさつにかえさせてもらいます。きょうは大変ありがとうございました。
 委員の皆様には、次回の委員会運営等について御相談がございますので、少々お待ち願います。
 次に、10月に予定されております次回の当委員会の調査事項についてでございますが、御意見はございますか。
(「委員長一任。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 御一任ということでございますが、当職において御一任願いたいと思います。そのように決定させてもらいます。
 続きまして、委員会調査についてお諮りいたします。当委員会の県内調査及び県外調査についてでございますが、お手元に配付をいたしております案を御確認を願いたいと思います。なお、11月に開催を予定されています県外調査につきまして、現在のところ調査地は鹿児島県ほかとなっておりますが、状況により変更する可能性もあるということも含めてお諮りいたしたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。
(「委員長一任。」と呼ぶ者あり。)
○高橋雪文委員 済みません、11月15日なのですが、自民党の50周年記念の関係で、それで東北大会がありまして、政党ごとなのであれですが、再考も含めてお願いできないかと。
○工藤大輔委員長 それでは、調査場所も若干変更はあるかもしれませんが、この日程等につきましても副委員長と相談をしっかりしながら決定させてもらいたいと思いますが、それに御異議ございませんか。
(「異議なし。」と呼ぶ者あり。)
○工藤大輔委員長 では、異議なしと認め、さよう決定をいたします。
 以上をもって本日の日程は全部終了いたしました。本日はこれをもって散会いたします。

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