○県内で、疏水百選に選定された5つの農業用水路を紹介します!!

疎水百選は、日本の美しい農村景観を形成し、農業や地域文化を支えている水路や堰などの農業水利施設(疏水)の中から、全国で100箇所程度選定するものです。

平成17年度に疎水百選選定委員会において全国110箇所の施設が選定され、本県からは、全国最多の5箇所が選ばれました。

また、心やすらぐ農業水路のせせらぎや美しい農村景観を愉しみながら、地域の歴史や文化にも接していただくことができる「水土里の路(みどりのみち)」としてウォーキングコースが設定されています。

 

◆疏水百選に関する詳しい情報はこちら。

 http://www.inakajin.or.jp/sosui/index.html
 ◆「水土里の路(みどりのみち)」に関する詳しい情報はこちら。

  http://www.maff.go.jp/nouson/sekkei/mwalk/

≪県内の疏水百選認定施設≫

    

疏水名

(管理者)

施設の紹介

鹿妻穴堰

(水土里ネット鹿妻)

南部藩経営のための水田耕作地域開発を計って鉱山師鎌津田甚六の設計により、盛岡市西側より流れる雫石川のせり出した岩山に長さ約6間(約11m)、巾約1間(約2m)の隧道を掘削し、雫石川の流れを導入し開削された。これにより、冷害と水害が常襲していた本地域に安定した農業用水を供給することが可能となり、地域の発展に大きく寄与した。
   
                          「水土里の路」はこちら         

奥寺堰

(水土里ネット和賀中央)

340年前の藩政時代、奥寺八左衛門定恒は、村崎野一体の原野を目の当たりにして開墾を思い立ち、和賀川を取水源とする穴堰、用水路(28Km)を開削し、それまで不毛の荒野だった和賀平野760haの新田開発に成功。

奥寺堰は、農業、工業とも盛んな現在の北上市の繁栄の基礎を築いた。
                              「水土里の路」はこちら 

  

胆沢平野

(水土里ネット胆沢平野)

江戸時代に伊達藩の福原(現在の水沢市付近)を治めていた領主、後藤寿安により開削された。寿安はキリシタンで海外の進んだ技術に明るく、地形的に困難な水路開削を可能とした。キリシタン弾圧により寿安は水路の完成を待たずに領地をったが、その意志を受け継ついだ千田佐馬父子や遠藤大学により現在の「寿安上堰」が完成した。
                              「水土里の路」はこちら

 

大堰用水路・立花頭首工

(水土里ネット江刺)

承応元年(1652年)、伊達藩の家老、古内主膳重広が、当時、南部藩との境にあったこの地域の新田開発を行うため、北上川本流からの開さくを行った。

明治後期には取水量不足や洪水被害が相次いだため、新たに頭首工整備の調査が行われ、大正9(1920)、本県唯一の北上川本流に設けられた「立花頭首工」が完成した。現在は北上、江刺、水沢の3市にまたがる江刺平野約2,000haの耕地を潤している。
                             「水土里の路」はこちら

 

照井堰用水(水土里ネット照井)

平安時代「藤原秀衡公」の家臣であった「照井太郎高春」が完成させた。この用水は、水田へのかんがい、地域の生活用水のほか、毛越寺浄土庭園にも「遣水(やりみず)」として疎水されている。毛越寺では、毎年春の行事として、遣水の水辺に、平安貴族さながらの装束をまとった歌詠み達が短冊に和歌をしたため、流れてくる杯を傾ける「毛越寺曲水の宴」が開催される。

照井堰は約800年前に栄えた藤原文化の象徴であるとともに、現在も地域を潤している。
                                 「水土里の路」はこちら